かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

ブログ版  馬場あき子の外国詠 87(スペイン)

2018年09月20日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠10(2008年7月9月実施)
   【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P55~
    参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:T・H    司会とまとめ:鹿取 未放


87 黒きグレコのぎしぎしの腸の犇きを逃れんともがけり東洋の思惟

     (レポート)
 エル・グレコ:(1541~1614)ギリシャ生まれのスペインの画家。本名はドメニコス・テオトコプロス。奔放で、神秘的、怪奇的な画風の宗教画・肖像画を描く。作者達はたぶんプラド美術館にいて、これらの作品群を観たのだと思う。(いや、グレコの作品はトレドに多く残されているので、トレドで観たのかもしれない。)
 グレコの絵を観て、「黒き・ぎしぎしの腸の犇き」のように感じられた。この呪文のような絵画を理解するためには、東洋のとりわけ日本人の思想では理解できないなあと嘆息している姿が目に浮かぶようだ。彼のぎしぎしした腸の犇きのような作品とは、「三位一体」「オルガス伯爵の埋葬」「聖衣剥奪」「キリストの復活」などであろうか。(T・H)


      (まとめ)
 場面は移ってプラド美術館であろう。スペインの空や教会の尖塔に圧倒されていた作者は美術館に行ってもまだ西洋思想にがんじがらめになりながら、グレコの絵に東洋の思惟をもって対峙しようとしている。そしてその絵を「ぎしぎしの腸の犇き」と形容している。その強い身体感覚を伴った形容によって作者がグレコの絵にいかに圧倒されているかが伝わってくる。
プラド美術館には膨大なグレコの絵があるようだが、彼の絵にはプロポーションを無視した細長い奇妙な人物像が描かれる。たとえば、「聖三位一体」「十字架を抱くキリスト」「オルガス伯の埋葬」など地上・天上を同一画面にたくさんの神や聖人や地上の人物が描かれている。それらの過剰な錯綜は、東洋の思惟では理解しにくいものなのだろう。釈迦をとりまいて一様に悲しんでいる涅槃図とは全く違う趣のものなのである。(鹿取)