かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 2の108

2018年09月25日 | 短歌一首鑑賞
  渡辺松男研究2の15(2018年9月実施)
    【〈ぼく〉】『泡宇宙の蛙』(1999年)P75~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放


108 どうしてママ歯をみがくときさみしいの昼寝に覚めた三時の気分

            (レポート)
 暮らしの中に生の根源的なさみしさを感じるのは唐突だったり、またそのきっかけは各々異なっているのかもしれない。歯みがきのときに感じた寂しさを上句「どうしてママ歯をみがくときさみしいの」と問うているのは幼い者のようである。幼い者がそう感じ、また言葉にしている。小さな者に澄んだ感受性が与えられている。一首の構成として比較的経験されやすい昼寝のあとの茫漠としたむなしさを下句に置き、上句の内容をより深くしていよう。(慧子)


            (当日意見)
★上句を聞いたとき、夜寝る前の歯磨きのことと思いました。歯を磨き終わると眠りに入っていく
 ので、子どもとしても寂しい気分になるのだろうと(この歌は子どものことだと思ったので)下
 句での説明を読んで少し分からなくなりました。お昼寝から覚めて3時頃さみしい気分になるっ
 て、とても特殊な気がして。字面では伝わるけどどういうことなんだろう。レポーターの澄んだ
 感受性というところを読んでそうかなあとは思ったのですが、特に分からない歌でした。(真帆)
★私は下句が時間としてものすごくよく分かったのです。存在していることの根源的なさびしさ、
 虚無感かもしれませんが、下句はこれ大人の感覚ですよね。上句は子どもの感覚で下句は大人の
 感覚、一首の中でこれがどう結びつくのか?上の句は母親に聞いているとも取れるが自分自身に
 聞いているとも取れる。幼児期の記憶と大人の今が作者の中に同居しているのか。(A・K)
★そうなんですか、私は下句を子どもの気持ちだと思って読みました。子ども時代、夏の座敷で 
 みんなでお昼寝しましたが、目覚めの空しい感じとか、何かあてどない不安感とかものすごく感
 じたので。昼寝の後は家族でスイカや真桑なんかを食べるので、しばらくするとそのさみしさは
 忘れるんだけど。それを言葉にすればA・Kさんが言われたように「存在していることの根源的
 なさびしさ」なんでしょうね。歯を磨いているのは朝か夜か分からないですが、歯を磨いている
 と昼寝から覚めたときと同じようなさびしい気分になる。それをお母さんに呼びかける形で言っ
 ているところに、お母さんと男の子の関係のあまやかさとかエロスも覗く気がする。(鹿取)
★話は少しそれますが、ここ2か月ほど岩田正の歌集や評論を集中して読んでいたのですが、ちょ
 っとこの歌に似通った歌が何首もありました。眠っている時の孤独感ですけど、朝目が覚めても
 しばらくは茫漠として虚無感のようなところを漂っているんだけど、はっと妻が横に寝ているこ
 とに気づいて安堵するみたいな歌もありました。(※後日意見で歌を引用)でも大部分は寂しさ
 で歌が終わっているんです。眠りとうつつの間みたいなところでひとりぼっちの怖さとか寂しさ
 とか感じるのは割と共通しているのかなあと。(鹿取)
★それから幼児ことばの話ですけど、穂村弘さんの歌集『空中翼船炎上中』を読みましたけど、穂
 村さんの使う幼児語とか女性言葉というものがいかに戦略的に使われているかということがよく
 分かりました。松男さんの幼児語とか女性言葉とは全然質の違うものだって思います。(鹿取)
★渡辺松男の言う〈わたくし〉と短歌の私というものは全く違うものなので、男とか女とか子ども
 とかいうのとは全く違いますね。この前鹿取さんがくれたプリントで、坂井修一氏が鎧わずに松
 男さんの歌を読みたいと書いていらして全くその通りだと思いました。こちらが世間的な通俗的
 な尺度で読んでいたのでは渡辺さんの歌は全く理解できない。高度に知的な人だけど、高度に純
 粋なところがありますよね。ジェンダーも権利と結びつくのは嫌で単なる差違だと思うんです。
  (A・K)
★ところで、さっき鹿取さんが下句も幼子の気分っておっしゃったけど、幼子だったら三時って時
 間の感覚を持つかなあ。それで私はここは大人の感覚で、子ども時代の歯を磨くときの寂しさと
 共通するなあと思ったのかと。(A・K)
★三時というのはお八つの時間として小さい頃からインプットされていたので、幼児でも三時とい
 うのはわりと自然かなあと思います。(岡東)


           (後日意見)
 ※引用は、鹿取。
    朝さめてひとりと思ひしばしして妻に気づけりかかる朝いい
          岩田正『視野よぎる』