かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 2の109

2018年09月26日 | 短歌一首鑑賞
  渡辺松男研究2の15(2018年9月実施)
    【〈ぼく〉】『泡宇宙の蛙』(1999年)P75~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放
 

109 おいしそうに野のあちこちに蛇苺ママの乳首がちらちらとある

     (レポート)
 食用にならず毒のある蛇苺のきれいな赤い実が野のあちこちにある。蛇苺は赤くてかわいい、それなのに毒がある。成長期の羞恥心にとって垣間見える景のように禁忌めく乳首のように「ちらちらとある」という苺。幼児の気分がいつとはしれずエロスにすりかわろうとしていよう。(慧子)


            (当日意見)
★美味しそうだけど毒がある、ママの乳首はママの怖い部分と繋がっている。(T・S)
★野いちごでもよかったのに蛇苺といったらやっぱりエロスかなあと。前の108番の歌(どうし
 てママ歯をみがくときさみしいの昼寝に覚めた三時の気分)を読んだとき幼稚園児くらいを想定
 して詠んだのかなあと思ったのですが、これはもう少し大きい子で10代の性の芽生えという 
 のを思ったんですね。松男さんがこういうふうに幼い抒情性を展開するのは詩の現場として理屈
 ではなくて感情の細かな部分で何かを感じてみたいという欲求とか、大人になっても残っている
 原初的なものがポエムとして表れているのかなと。それで見ちゃいけないものを見たくて、感じ
 ちゃいけないけどもやもやと何か感じそうな、そういうのを蛇苺の赤いポチポチに見ている。結
 句の「ちらちらとある」もそういう感じを出していて面白い歌だと思いました。(真帆)    
★蛇苺の形が乳首と繋がる。やっぱりエロスを感じる歌だと思いました。(岡東)
★でも、最初読んだ時は、お母さんのおっぱいに吸い付きたいという子どもの欲求かなと思いまし
 た。ですが、蛇苺に拘ると禁忌めく何かかなと鑑賞が落ち着きました。(真帆)
★「おいしそうに」は「ある」に繋がるんですよね。(A・K)
★そうすると主語が蛇苺と乳首と2つになりますね。(鹿取)
★同格になりますね。見えているのは蛇苺だけど、それはママの乳首なんだよって。蛇苺の蛇はア
 ダムとイブに繋がるようで、禁忌って感じはすごく伝わります。こういう感じを子どもは持つん
 だろうなと。「ちらちら」とか「あちこち」とか何でもないように言っているけど、蛇苺と乳首
 を結びつける練られた言葉だと思う。ところで、蛇苺って毒なんですか?(A・K)
★毒はないって辞書には出ていますね。私はこの発話主体は十代の男の子とは思わなくて、108
 番歌「どうしてママ歯をみがくときさみしいの昼寝に覚めた三時の気分」と同じような小学校入
 学前の男の子だと思うんですけど、だからといって禁忌がないとは思いませんが。それで歌は二
 重構造になっていて、蛇苺をママの乳首のように感じているのは幼児で、それを描写しているの
 は大人。(そんなこと言ったら、全ての歌が、例えば木になりきっている歌も記述しているのは
 作者以外にないので、みな同じ構造ということになりますけど。)幼児はエロスとかたとえ感じ
 たとしても意識化はしないし言語化も出来ないんだけど、記述する隙間のところにエロスとか禁
 忌とかが入り込んでくるような気がします。そこが面白いのですが、入り込むように歌が仕掛け
 られているんでしょうね。(鹿取)


      (後日意見)
 当日意見で、私は「どうしてママ歯をみがくときさみしいの」と発言しているのは男の子と信じて疑わなかったし、他の参加者もみなそう思っていたようだ。しかし、気が付いたらどこにもそうは書いてないのだった。おそらく作者が男性だからそれに引き摺られた考えなのだろうか。しかし女の子とはどうしても思えない。男の子と信じて疑わない理屈を言えば一連の題が〈ぼく〉だし、何首か後には歌の中に「ぼく」が出てくるからではあるけれど。(鹿取)