かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 301

2016年04月22日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究37(16年4月)
    【垂直の金】『寒気氾濫』(1997年)124頁
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆
     司会と記録:鹿取 未放

301 わが首のにおいをさせて五十本ネクタイが闇につるされている

      (レポート)
(解釈)五十本のネクタイを持つ勤め人は普通いないので、「わが首」とは馘首、作者の解雇を意味するだろう。ネクタイをした五十人ほどの同僚、上司、部下たちが、みな作者と同様にクビの危機をにおわせつつ、職場の闇に吊るされているという。
(鑑賞)この一つ前の連作「ポケットベル」(鈴木さんのレポート)で私達は、霞ヶ関に𠮟られに行く歌や、「職を全うできざるはわれのみならずトイレに入りて出てこぬ上司」という歌を研究した。そこでは、終身雇用の時代が去り、企業だけでなく公務員にもアメリカ式の成果主義が導入され、組織として同じ目標や成果を課され働かされる深刻な苦しさを見た。この一首の「闇」は、苦しい職場の状態もあらわすが、そこに働く人々の生殺与奪の権を握るものの象徴としての「闇」でもあるだろう。(真帆)

      (当日発言)
★解雇という意味に解釈されていますが私は意外に思いました。非常に感覚的な歌だと思いましたが。五十本のネクタイを持って
 いる勤め人もいるだろうと思います。30年くらいの間ですから。新入社員だった時はこれとか思い出もあるでしょう。(石井)
★五十本というのがミソだと思いますね。三十本だったら一人のものと思うのですが。(真帆)
★五十本というのは少し多いかなとも思うけどあっておかしくない数ですよね。家に帰ってネクタ イを吊したと思うのですが
 「わが首のにおいをさせて」のところが生っぽい感じがあってこの歌 ではそこが面白いのかなと。(鈴木)
★五十本は一人の勤め人のネクタイの数として違和感なくとりました。においの部分はついてはい ろいろ解釈できると思います。
 物理的にも科学的に鑑定すれば、もちろんそういう臭いの分子だ かが検出されるわけですよね。ここではそんなことを問題にし
 ているわけではないですが、勤め 人にはそういうものを眺めて感慨が湧くのでしょうね。(鹿取)
★私は首のにおいをさせた五十本のネクタイって涙ぐましい数だなと思いました。(慧子)
★脚光をあびることなく吊されているネクタイなのですね。(M・S)