勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

台風一過

2014-10-06 20:05:30 | Weblog
 早朝から激しい風雨をもたらした台風18号は足早に去り、昼頃には晴れ間が広がり、台風一過の爽やかな秋晴れとなった。


 野菊の一種である我が家のヤマシロギクも、強い風にもめげず小さな白い花を風に揺らし、青空に向かって誇らしく咲いている。


 この花は日当たりのよい山地に生え、別名をイナカギクというらしいが、その可愛らしさは都会人にはない素朴さを感じさせる。田舎という言葉はマイナスイメージではなく、プラスと思いたい。


 台風が去って気温が上がったため春と間違えたのだろうか、どこからか一頭の蝶がやってきてイナカギク、いやヤマシロギクに羽を休めている。


 その蝶はベランダを飛び回り、先日紹介したばかりの出窓に置いたコハマギクに飛び移り、今を盛りの3輪の花の密を丁寧に吸っている。


 ちょっと待った、先ほど一頭の蝶と書いたが、間違いと思った方も多いかと思うが、何故か蝶は一頭二頭と数えるらしい。


 理由は諸説あるようだが、数え方を表す英語の「head」を、そのまま直訳したからという説が有力だとか。しかし、一羽や一匹でもいいらしいので、こだわるのはよそう。


 ひとしきり我がベランダで遊んだあと、この一頭の蝶はどこかに飛んで行ってしまった。台風一過の秋晴れにやってきた客人は、「野菊の如き君なりき」などと、あの伊藤左千夫の「野菊の墓」を思い出させる秋を演出してくれた。

秋草の いづれはあれど露霜に 瘠せし野菊の花をあはれむ

伊藤佐千夫


 秋の草花は、いずれ劣らぬ素晴らしいものがあるが、冷たい露霜に当たってしおれかけた野菊が愛おしい、という意味らしい。秋はもの思う季節でもある。