勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

花の絨毯

2013-03-30 23:05:06 | Weblog
 満開から一週間、気温の低い日が続き、桜の花も盛りは過ぎたとはいえ、まだまだ美しさを保ったまま、冬のように寒い土曜日を迎えた。


 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に対(むか)ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。(徒然草第137段)


 吉田兼好は徒然草でいう。桜の花は満開だけを、月は満月だけを見て楽しむべきものだろうか。物事は最盛だけが全てではなく、月を覆い隠す雨に、見えない月を思い、簾を垂れた部屋で、過ぎていく春を思うこそ、味わい深いものだ、と。。。


 花びらの絨毯はいさぎよい桜の美しさを際立たせ、寒さなどどこ吹く風、散り行く花を惜しむかのように、隅田公園には花見客が溢れていた。  


 桜守の佐野藤右衛門さんは、姥桜はええなぁ、と言う。花にはみな「色気」があるんです。その「色気」を通り越すと「色香」にかわる。桜も満開になったら、誰もがきっと「色気」を感じますわ。それが時が経ち、「色気」がいつか「色香」にかわる。「色は匂へど散りぬるを」ですわ。 


 我が「大辞林」によると、「姥桜」とは、娘盛りの年頃を過ぎても、なお美しい器量を保っている女、とある。つまり姥桜は褒め言葉だそうだ。間違っても「しょせん私は姥桜・・・」などと言ってはいけないと、「意味を間違えやすい言葉」のサイトの3番目にある。


 隅田川に架かる桜橋のたもとの墨田区側では、墨堤さくらまつり・芸妓茶屋が開かれ、盛りを過ぎてもなお美しい花の下、向島墨堤組合の向島芸妓の色香漂うサービスが人気を呼んでいる。