勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

脚折雨乞

2012-08-05 23:51:15 | Weblog
 ふるさとは遠きにありて思ふもの、などといわれるが、故郷というものは時に美しく、時に悲しいものでもある。僕にとって故郷は遠くはないが、そんな故郷に一度も見たことがない行事がある。子供の頃話には聞いていたが、興味がなかった。姉の勧めもあり、一度は見ておくのもいいかと出かけた。


 埼玉県鶴ヶ島市脚折地区で行われる、「脚折雨乞」の起源は江戸時代に遡るという。その雨乞いが行われる池を「雷電池」という。ここで問題です。まず地名の「脚折」の読み方をご存知だろうか?これを正しく読める人は、この界隈かこの地を知っている人だろう。これは「すねおり」と読みます。すねは「脛」とも書くが、我が漢語辞典には「脚」の読み方に「すね」もあった。へぇ~?ですね。


 さて、雨乞いが行われる池を「雷電池」と紹介したが、地元以外の人でこれを読める人がいるだろうか?弟の友人が地図でこの文字を発見して読んだのが「かみなりでんち」。弟曰く、地図にあるのだからせめて「らいでんいけ」と読んで欲しかった、と。。。しかし「らいでんいけ」ではない。な・なんとこれは「かんだちがいけ」と読む。こうなると、ヘェ~、ではなく、うっそぉ~、ですね。


 この雷電池で行われる雨乞いも、僕が故郷を離れた頃、一時は途絶えていたらしい。その後、地元住民の熱意により復活させ、4年に一度、オリンピックイヤーに行われるようになり、現在まで継承されているという。竹と藁で作った「龍神」が、300人の男衆によって担がれ、白鬚神社から雷電池までの約2kmを練り歩き、池の中で掛け声と共に周回しながら雨乞いを行う。


 この龍神は、長さ36m、重さ3t、頭の高さ4.5m、胴回り6mあり、材料は竹80本、麦わら570束で作られ、はじめはこの池に住んでいたといわれる大蛇を意味する龍蛇が、入魂の儀ののちに龍神になると、案内のパンフレットにある。 


 故郷を離れて知った、脚折雨乞行事だが、暑い日が続く毎日、この雨乞いが、暑さを和らげる恵みの雨を呼んでくれるだろうか。「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたうもの・・・」と、室生犀星は云うが。。。