高岩寺の境内は結構広い。
悪いところに線香の煙をなすりつける。
全身につけている人も。(全身が痛いのか?)
何の行列?
観音様を洗う順番を待っているのだった。
これは洗い観音と呼ばれる。
とげぬき地蔵は秘仏で拝観出来ないので、みんなこの観音様に触れたいのだ。
江戸時代最大の火事であった「明暦の大火」(1657年)で、当寺の檀徒の一人「屋根屋喜平次」は妻をなくし、その供養のため、「聖観世音菩薩」を高岩寺に寄進した。
この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしかうまれた。
これが「洗い観音」の起源。
その後永年タワシで洗っていた聖観世音菩薩の顔がしだいにすりへってきたため平成4年11月27日、新しい聖観世音菩薩の開眼式を執行した。
同時にタワシを廃止、布で洗うことになった。
有名な赤パンツ屋。
赤い下着を身に着けると長生きできるのだという。
パンツ1枚750円ほど。
メンズもあります。
看板犬です。
カキフライで有名なときわ食堂。
次から次へとお客さんが入って行く。
猿田彦神社
正式名称は「巣鴨猿田彦庚申堂」。
地蔵通り商店街の西端に鎮座する小さなお社。
ここは江戸時代、よしずで囲んだ「団子茶屋」という有名な茶店があった場所だった。
狛犬の代わりに猿神が左右にいる。
猿田彦大神は日本神話に登場する。
天孫降臨の時に天の神々の通り道に立ちふさがっていた神で、猿ではない。
この猿田彦をお色気で悩殺したのが、かの有名な天鈿女命(あめのうずめのみこと)という女神である。
彼女に悩殺された猿田彦は天の神々を高千穂まで道案内した。
このことから猿田彦は「道と境界を守る神」つまり道祖神として信仰されるようになった。
商店街を抜けると都電荒川線の庚申塚停留所に出る。
庚申塚
庚申信仰の起源は、中国から伝わった道教の三尸説(さんしせつ)に求めることができる。
それによれば、人の身体にいる三尸という虫が、六〇日に一度訪れる庚申の日の夜に人の罪状を天帝に告げに行くため、人々はこの晩は寝ずに過ごし、寿命が縮められるのを防ぐというものである。
室町時代の中頃から庚申待(まち)が行われるようになり、さらに僧侶や修験者の指導によって講集団が組織され、江戸時代になると各地に庚申講がつくられ、その供養のため庚申塔が造立されるようになった。
江戸時代の文化年間に出された地誌「遊歴雑記」によると、祠内に納められている庚申塔は明暦三年の江戸大火後に造られ、その際文亀二年造立の高さ八尺の碑は、その下に埋められたとされている。
その庚申塚は、旧中山道(現地蔵通り)沿いに展開した巣鴨町の北東端、すなわち旧中山道と折戸通りの交差地に位置し、天保年間に刊行された「江戸名所図会」では、中山道板橋宿に入る前の立場(休憩所)として描かれている。
現在も都電の庚申塚停留所を下車して参拝する人や、とげぬき地蔵の縁日帰りに立ち寄る人が後を絶たない。
庚申は「かのえさる」と読むことから、庚申と猿田彦が一緒になって信仰されている。