「ゆれくる」コールは収まった。
国道4号線を南下。名取市役所前で左に曲がり、閖上(ゆりあげ)港線に入る。
2kmも走ると、道路脇に散乱した漂流物が見えて来た。
(ここはまだ地獄の入り口にすぎなかった。)
海岸から3.5km地点。自衛隊が所々で検問を行なっている。
その後ろに見えるのは・・・
一面、瓦礫の山。まるで戦場かと錯覚する。
ここは住宅地だった。墓標のように立つ電柱。
ここは美しい水田だった。
晴れている空がなお悲しく見える。
ひと月たってもまだ水が残っている。
農業ハウスも水が通り抜け、骨組だけになった。
元がなんだか分からない金属の棒。
ビニールハウスの骨組みだったかもしれない。
道路には乾燥したヘドロが層をなしている。
この中には有毒物質、細菌が含まれている。マスクは必須。
あちこちに転がるプロパンのガスボンベ。
津波があった夜は、引きちぎられたホースからガスが漏れ、シュー、シューという音が何時間も聞こえていたそうだ。
一帯は今でも火気厳禁だ。
家がすべて流され、転がり、砕かれ、散乱してしまっている。
自分の家がどこに流れて行ったかも分からない。
アルバムを探そうとしても無理。
閖上は美しい漁村だったが、色彩を失くしてしまった。
4月14日現在、宮城県の行方不明者は7965人。この泥の下にも見つけられていない遺体が多数あるだろう。
四方に合掌する。
中学校の参考書が風に吹かれていた。
絵画の道具が悲しげに持ち主を待つ。
履いていた人はどうしただろう。
泥だらけの畳が二つに折られている。
コの字に曲げられた電柱。
自衛隊の車がひっきりなしに往来。
この地域は目下自衛隊の管轄下にある。
茫然とこの風景を眺める人。
津波は海水だけでなく、鋭利な材木、ガスボンベ、電柱、車などを運んで来るから恐ろしい。
水にもまれた遺体は衣服が剥ぎ取られ、白く膨満している。五体完全であれば幸運だ。
この地区の遺体安置所は空港ボウルだが、肉親でも一見しただけでは身内と分からない場合が多いという。
ここは東部道路の名取インター。
東部道路は現在山元IC~利府中IC間が通行できる。
(続く)