職場では、専務から「あれせぇ、これせぇ」と
腐るほど仕事を振られ、振り回されている毎日が
続いていますが、なんとかこなしていってます。
上杉景勝の家臣直江兼続の生涯を描いた
「天地人」の〈下〉人の巻では、
豊臣秀吉が亡くなり、関ヶ原の合戦を経て
豊臣家が滅ぶ大坂夏の陣までを描いています。
関ヶ原の合戦前夜、家康からの詰問状に対して
兼続が書いた直江状は現代語訳されています。
まあ現代語訳されるとちょっと迫力に欠けるかもしれませんが。
家康が会津へ進軍を開始したのち、
上方で石田三成が挙兵したため、
家康軍は引き返すのですが、
なぜ、上杉軍は家康の背後を襲わなかったのか?
その理由が明らかにされる景勝・兼続主従の
やり取りが切なかったです。
ここで、上杉軍が徳川軍を背後から襲っていたら
歴史は変わっていたかもしれませんが。
その後、徳川家康の手によって幕府が開かれ
天下に泰平がおとづれたとき、上杉家をいかに存続させるかが
直江兼続の命題になってきます。
家名断絶であってもおかしくなかった上杉家が
江戸時代を生き延び明治まで続いたのは、
直江兼続の働きが一役買っているかもしれません。
↓いつも読んでいただいてありがとうございます。
↓あなたのポチが大変励みになっています。
腐るほど仕事を振られ、振り回されている毎日が
続いていますが、なんとかこなしていってます。
上杉景勝の家臣直江兼続の生涯を描いた
「天地人」の〈下〉人の巻では、
豊臣秀吉が亡くなり、関ヶ原の合戦を経て
豊臣家が滅ぶ大坂夏の陣までを描いています。
関ヶ原の合戦前夜、家康からの詰問状に対して
兼続が書いた直江状は現代語訳されています。
まあ現代語訳されるとちょっと迫力に欠けるかもしれませんが。
家康が会津へ進軍を開始したのち、
上方で石田三成が挙兵したため、
家康軍は引き返すのですが、
なぜ、上杉軍は家康の背後を襲わなかったのか?
その理由が明らかにされる景勝・兼続主従の
やり取りが切なかったです。
ここで、上杉軍が徳川軍を背後から襲っていたら
歴史は変わっていたかもしれませんが。
その後、徳川家康の手によって幕府が開かれ
天下に泰平がおとづれたとき、上杉家をいかに存続させるかが
直江兼続の命題になってきます。
家名断絶であってもおかしくなかった上杉家が
江戸時代を生き延び明治まで続いたのは、
直江兼続の働きが一役買っているかもしれません。
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