立地調査で南大阪周辺をまわっていたときに
少し足を延ばして枚岡神社に参拝してきました。
暮も押し迫る神社の境内には参拝客はおらず、
業者が初詣の準備をしていました。
迎えてくれたのは猫一匹。
ノラだけど餌をもらって丸々と立派な体格をしていました。
不審な顔つきで僕を見ています(笑)
枚岡神社は河内国一宮で、かなり古い神社です。
社紋は下がり藤で春日大社と同じ。
藤原氏となんか縁があるのかなと思っていたら
藤原氏の祖、鎌足が藤原姓を名乗るまえの姓である中臣氏と
関係があったようです。
社伝によれば、神武天皇紀元前3年(神武天皇即位の3年前)、
神武天皇の侍臣で中臣氏の祖の天種子命(あめのたねこのみこと)が、
天皇の命で神津岳の頂に祖神の天児屋根神を祀ったのに始まると
伝えられています。
中臣氏の支流の平岡連(むらじ)の氏神として信仰されました。
白雉2年(650年)、平岡連によって山頂から中腹の現在地に移されました。
神津岳山頂には現在も奥宮があります。
階段を上ると、そこには荘厳な社がありました。
商売繁盛を祈願して木札をいただいて帰途につきました。
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社紋は下がり藤で春日大社と同じ。
藤原氏となんか縁があるのかなと思っていたら
藤原氏の祖、鎌足が藤原姓を名乗るまえの姓である中臣氏と
関係があったようです。
社伝によれば、神武天皇紀元前3年(神武天皇即位の3年前)、
神武天皇の侍臣で中臣氏の祖の天種子命(あめのたねこのみこと)が、
天皇の命で神津岳の頂に祖神の天児屋根神を祀ったのに始まると
伝えられています。
中臣氏の支流の平岡連(むらじ)の氏神として信仰されました。
白雉2年(650年)、平岡連によって山頂から中腹の現在地に移されました。
神津岳山頂には現在も奥宮があります。
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