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ガジェットがいっぱい。

私が気になる「ガジェット」をチェック!オブジェクトの種類は問いません。気になる物は、手当たり次第にピックアップします。

I have a dream.

2014-09-25 05:42:00 | thought
えー、お題の「I have a dream.」です。

私には一つだけ大きな夢を持っています。
それは、「宇宙から地球を見てみたい」です。

私が年齢を重ねて、いわゆる後期高齢者になるまでには、
あと25年以上あります。

その頃には、宇宙旅行が昔の世界一周旅行並のお値段で出来るのでは、
とか思っていたりします。

私は子供の頃に宇宙戦艦ヤマトというアニメを観ました。

作者である松本零士先生の描く宇宙観や人生観、死生観が、
私の今の性格を作ったといっても過言ではありません。

実はもう一人偉大な漫画家がいらっしゃるのですが、
その方は手塚治虫先生です。

この方は、私にとってのバイブルの様な存在です。

私が中学生の頃にひどいいじめで悩んでいた時に、
元々本が好きだった私は、父が買い集めていた「火の鳥」を読みました。

その中では、生命の根源が何であるかや、世界はどうなっているかなどについて、
火の鳥という想像上の鳥をモチーフに、様々な物語の主人公たちが、
「生きる」とは何か、「命」とは何か、について独特の世界観で描かれています。

その中ではいわゆる「輪廻転生」とか世界は極小化しても極大化しても、
その仕組みは変わらない、とか非常に深い、大人が読んでも色々と考えさせられる、
作品になっています。

もし、私がノーベル賞の選考委員で、ノーベル文学賞に漫画の部門があるとするなら、
間違いなく手塚治虫先生の「火の鳥」を候補に挙げるでしょう。

それぐらいすごい作品なのです。

私はその作品で、宇宙や生命について学び、知る事が出来たのです。

宇宙戦艦ヤマトでは単純に「宇宙に行ってみたい」と思う様になり、
火の鳥では「宇宙から地球を観てみると自分がどうなるか知りたい」と思う様になりました。

このお二人の作品は、宇宙や生命に関して、まさに金字塔とも言える作品です。

もし、今、何かで悩んでいるとしたら、まずは「火の鳥」を読んでみて下さい。
きっと何らかの道しるべとなるでしょう。

私が、私の夢を叶えた時、きっとまた新しい事にチャレンジしてみたいと、
思う様になりそうです。

ちなみに私が子供の頃よく読んだ本は、ジャポニカ大百科という図鑑です。
これに載っている色んなものの写真やイラストを観るのが好きでした。

本を読んで、想像の翼を広げる事が一番の楽しみだったのです。

私の基本スペックはこの頃に形作られました。

中学の頃に一番嫌いだった父が、実は私の先生だったりもします。

その頃のお話はまた、追々書いていきたいと思います。

宇宙に行けるといいなぁ。

ではでは。

悪夢

2014-09-07 08:37:52 | thought
えー、お題の「悪夢」です。

これ今日見ました。

内容はここに書けないくらいひどいものでした。

時々私は悪夢を見ますが、今日の悪夢は本当につらかったです。

人が集団で一つの事を行うとき、結束を固めるために「雰囲気」というものを作ります。

その「雰囲気」は、ある時は暴力で、またある時は精神的な攻撃で、
対象者を追い詰めます。

これは「いじめ」の構造と同じです。

私は過去にいじめを受けていました。
そのトラウマが今でも悪夢として、私を襲うのです。

私はこの悪夢の中で、十数人からいじめを受けます。

ただ、その中でも一番きつかったのは、肉体的な暴力よりも精神的な暴力が、
一番きつかったのです。

十数人の中には3人ほど、私に味方をしてくれる人もいました。

私はこの悪夢を見て、学んだ事があります。

それはどんな悪い状況でも、仲間になれる人が必ずいる、という事と、
暴力で人を支配する事は絶対に人としてやってはいけない事だと痛感しました。

日本は昔から「島国根性」で自分とは異質なものを受け入れない、
という風土が根強く残っています。

この風土が「いじめ」と呼ばれる他者に対する人権侵害を、見て見ないふりをする、
そんな事をはびこらせる要因となっています。

私は「いじめ」は絶対に無くさなければならないと考えています。

それには一人一人の行動が必要になります。

それは、「もし自分がその人だったらどうするか」を考え、行動する事にあると思っています。

それを出来る様にするためには、国の最小単位の「家族」から、
変わっていかなければならないと考えます。

未来の子供たちに出来る事は何かを、今一度考えさせられた今朝でした。

ではでは。

あれから

2014-03-11 18:37:54 | thought
えー、お題の「あれから」です。

このあれからとは、3年前のこの日、大きな地震が東日本を襲いました。

ちょうどその日は日曜日で、地震後、テレビで色んな映像が流れました。

燃えるコンビナート、潰れた家々、そしてあの大津波の映像です。

家で、ただただ流れる映像を見ているだけしか出来ませんでした。

幸いな事に、私には東日本には当時、知り合いも親戚もいませんでした。

でも、何か出来る事は無いかと出来る事を考えたのですが、
結局、ほんの少しの募金をするくらいしか出来ませんでした。

今後30年以内に、私の住む地域でも南海トラフ地震が起こると言われています。

その時、私が生きているとしたら、結構な年齢ですので、
周りに迷惑をかけそうです。

それまでに家族を作って、私が伝えていきたい事を子孫に伝えたいと考えています。

私が家族を持とうと思ったのは、あの震災がきっかけになりました。

未来を託せる人材を家族から作っていこうと思ったからです。

私は、国の最低単位は、家族だと思っています。

この国を良くするには、まずは身近な家族から良くして行かなければなりません。

その為に、家族を持とうと思いました。

もっと若い時に家族を持ちたかったのですが、
結局、ご縁が無くて家族を持つに至っていません。

これから私のベストパートナーを見つける事が、
その第一歩になると考えています。

この国を託せる子孫を残すのが私の責務ではないかと思っています。

私にもし子供が出来たら、好きな事をやらせてあげたいです。
でも、好き勝手な事をさせるつもりはありません。

この国に生きて、この国に残せるものを創れる人材になって欲しいのです。

それは物理的なものだけではありません。

1つの思いという名の思想だったりします。

それを家族で共有したいのです。

それが正しいかは、子孫が判断すればいいと思っています。

私は、お天道様に恥じない様な国のきっかけの一部に、
子孫になって欲しいのです。

そんな事を色々と考えています。

これは、私に先祖から託された事だと思っています。

私に、色んな経験を与えたのも、何かの啓示だとも考えています。

そんな私が、理想を思い描いてもいいとは思いませんか。

そんな子孫を作りたいなぁ。

ではでは。

記憶力

2014-03-05 09:03:42 | thought
えー、お題の「記憶力」です。

私は現在、英語を勉強しています。

その時に参考にしている本が「やさしい中学英語」です。

今まで、英語を色々と勉強してきましたが、
やはり、基本中の基本のbe動詞のおさらいをしてみました。

私は特に3人称がずっとあやふやでした。

3人称の単数と複数の区別がしっかりと把握出来てなかったのです。

1人称単数はI、複数はwe、2人称単数はyou、複数もyouです。
ここまでは解っています。

3人称単数がshe、he、it、Kenなどです。

3人称複数がthey、Ken and Kumiなどです。

ここでtheyが出てきました。
このtheyが彼ら、彼女ら、だというのは解っています。
しかし、theyがこれら、だというのがすっかり抜け落ちていました。

単語は決して1つだけの意味にはならないという事をど忘れしていたのです。

なので、今までなんとなく英語を聴いて意味が漠然とは解っていましたが、
きちんと解ってはいなかったのです。

これは、単語をしっかりと覚え直ししないといけないと痛感しました。

ここで出てきたbe動詞も3人称は、ちょっとあやふやでした。

1年近くやって来てこれです。

私はモノを覚えるのに、非常に時間がかかります。
しかし、覚えてしまうとなかなか忘れられないのです。

記憶力というと暗記が得意かどうかとかよく言いますが、
私は実は暗記は得意ではありません。

小さい頃は暗記が得意だったみたいですが、
それもイメージを暗記する事が得意だったのです。

私は記憶をイメージで覚えます。文字や数字では覚えるのが難しいのです。

英会話でも、聴き取りで覚えます。
聴き取って、それを自分自身でしゃべって音として覚えるのです。
私は音楽が好きです。
一度聴いた曲は、大体すぐに覚えてしまいます。

文字も企業のロゴなどはすぐに覚えました。
なので、英語もロゴや音で覚える様にしようと思いました。

こんな変な記憶力を持つ私は、音とイメージでモノを覚える様にしないと、
何故か覚えるのが苦手に感じます。

自分なりの記憶方法を構築するのが急務です。

なんとかしたいと思います。

ではでは。

2014-01-11 06:37:15 | thought
えー、お題の「雨」です。

水曜日、通院の為に自転車で出かけました。

その日は天気予報では、雨の予報が出ていました。

外出した時間は午前11時頃で、
その時は今にも雨が降り出しそうな雲が出ていました。

そして、いつもの様に昼食の為に喫茶店でタイムランチを注文しました。
タイムランチを食べ、コーヒーを飲んだ私は喫茶店を後にしました。
その時も雨が降りそうで降らない天気でした。

自転車で自宅から30分かかるちょうど中間地点に、
その行きつけの喫茶店があります。

私の場合2週間に1回、水曜日の通院で、今までの統計上、
天気は割と良い日が多かったのです。

久しぶりに雨合羽を準備して、病院へと向かいました。

病院で受付を済ませ、待ち人数を確認すると自分の順番は10番目という事で、
今までの経験則から、一人当たり約18分程診察時間がかかっています。
ですから、3時間は最低待たなければならないと覚悟しました。

結局待ち時間は4時間を超えました。

診察時間は5分です。薬の調合を合わせても、必要な時間は15分です。
15分の為に4時間、時間を潰すのは非常にもったいなく感じました。

帰りの時間は午後5時20分を過ぎていました。

暗く、雨の降る中、自転車で30分帰らなくてはいけないのです。

雨は本降りになっていました。

私は眼鏡を掛けているので、眼鏡が水滴で前が見えにくい状態でした。

雨降りの時の外出は、自転車では大変です。

こんな時、雨なんて降らなければ良いのにと思ってしまいます。

でも、夏場の水不足の時は、雨よ、なんとか降ってくれと思うのです。

人間は自然の前ではなす術もありません。

人間の都合で天気が変わる訳では無いのです。

子供の頃は雨降りの外出はなんか楽しかった記憶があります。

水たまりをわざと踏んだり、道に這い出したカエルと戯れたりしていました。

私は、基本的に、雨というものは嫌いではありません。

雨は生命に無くてはならないものです。

農業にも必要です。

近年、異常気象が発生しています。
これは、色んな原因が考えられますが、最もしっくり来る原因は、
自然が人間の周りに無くなった事が一番の原因だと考えられます。

人間のエゴで、自然を破壊し、コントロールしようとする事が間違いなのです。
人間は自然と上手く付き合っていかなければなりません。

雨の日に思った事をちょっと書いてみました。

天気が良くなるといいなぁ。

ではでは。

通院日

2014-01-10 05:48:08 | thought
えー、お題の「通院日」です。

これ、一昨日いつも受診している病院の通院日でした。

私は現在持病を抱えていて、その通院が2週間に一度、
水曜日に通院する事になっています。

一昨日も通院日で、この日は一日まるまる潰れてしまうのです。

それは、予約が当日受付をしてみないと、どれくらい待つか
わからないという事から、非常に長時間待合室で待たされるのです。

これは、歯科医に受診した事がある人ならわかるかと思いますが
歯科医の様に初診は待つかもしれませんが、
2回目以降は何月何日の何時何分までに来院して下さいという
今では当たり前のシステムが、私の通院する病院は
導入していない事に原因があります。

ちょうど私の担当医はその病院の院長なので、昨日もあまりに
待たされたので、提案をする為に、探りを入れてみました。

私は院長にITコンサルタントと契約しているか聞きました。

すると院長はしている、と答えました。

そこで、私は、長時間待たされた事と、待ち時間を少なくする為に
予約制にしないのか、という事を聞きました。

院長は、個々の患者さんの状態によって診察時間が読めないので、
予約は当日来院、受付した順にしている、との事でした。

患者の満足度を上げる事も、病院経営では必要になります。

特に、待ち時間は本当にもったいないのです。

私は、待ち時間に、英語の本を持っていって、英語の学習をしています。

でも、4時間は待たされすぎです。

待つのが割と平気な私でも4時間あれば、仕事が一日の半分相当出来るので、
このロスは、何とかならないものかと思います。

院長の話を聞く限り、暫くはこの待ち時間は解消されないと思います。

待ち時間をいかに有効に過ごすか、自分自身で考えて行動しないと
いけないと痛感しました。

私は、待ち時間は仕事の勉強に使いたいと思っています。

しかし、仕事の勉強には分厚い本を、何冊かと、MacBook Proを
持ち歩かなくてはなりません。

インターネットにも繋がる環境も必要です。

ちょっと、環境構築について、本気で考えないといけないかもしれませんね。

私の仕事はアプリを開発する事なので、MacBook Proは必須なんです。

Xcode 5が使える環境が必要になります。

それから、書類作成に必要なNumbersも必要です。

今のところ、暫くは英語学習にその時間を費やそうと思います。

なんとかならないかなぁ。

ではでは。

昨年の雑感

2014-01-03 06:51:02 | thought
えー、お題の「昨年の雑感」です。

昨年は一昨年から続いて、病気療養の一年でした。

しかし、2年前の暮に、今後の自分自身の目標について考える機会があり、
体調の様子を見ながら、少しずつ自立に向けての準備を始めようと
考えました。

具体的には、仕事を色々探したのですが、私の現状を考えると、
実際問題普通の会社には就職出来ない事がわかりました。

いわゆる障がい者雇用を探さないと難しいと痛感しました。
しかし、障がい者雇用に関しては、色々と雇用という場自体が、
この香川県ではほとんどありません。

私は、現在障がい者手帳を持っていません。
多分、手続きを取ると精神3級の手帳は発行してもらえそうです。

しかし、実際問題として、私の病気はもうこれから
一生付き合っていかねばならないものと覚悟しました。

持病を抱えての就職は、県内では大変難しいと実感しました。

そこで、自分の好きな事、得意な事で仕事が出来ないか色々考えて、
自分でアプリを作って販売する事を思いつきました。

今なら、パソコンがあれば、ネットを使って販売する事が出来るのです。

幸いな事に私はMacを持っています。
そこで、AppleのAppStoreでアプリを作って販売登録しようと考えました。

ここで、1つネックな事が判明しました。
それは、Appleのアプリを開発するには基本的に英語の習得が
必須であるという事です。

この時点で英語のレベルが中学一年生レベルの私としては、
こんな私でも英語を習得する事が出来るのか、色々調べました。

すると、ネットのSecond Lifeで出来そうである事がわかりました。
Second Life自体、日本で話題になった2007年に一度トライしたのですが、
やはり、基本的に英語圏で開発されたシステムである為に、
当時の私としてはメリットがわかりませんでした。

Second Life自体、インフラである、という事に気が付いたのです。
インフラですから、明確な目的を持たないと、楽しむ事が出来ません。

当時の私は、Second Lifeをゲームの一種としか認識していませんでした。
今考えると、Second Lifeはその名の通り、自分の分身を使って、
第二の人生を送る場所である事に気づくのが出来ませんでした。

名は体を表す、ですね。

日本で話題になったのは、広告代理店の、Second Lifeは儲かる、という
キャンペーンに乗ってしまったから、活用が出来なかったのだと思います。

で、昨年の4月からSecond Lifeで海外留学を目的にもった私は、
英語を勉強する事にしたのです。

正直言うと、最初は、やはり何をどうしていけばよいのかわかりませんでした。
しかし、自分自身で色々調べて、初めの日本人のSecond Lifeフレンドが
出来たので、その人に色々聞いて、英語を無料で覚えたいなら、
それが出来る場所がある事を教えてもらったのです。

それがCypris Chatとの出会いでした。

チューターさんを紹介してもらったのです。
MystieさんというCyprisのチューターさんで、非常に親切に
手取り足取り教えてくれました。

私は、とりあえずCyprisのアクティビティを継続して受ける事を始めました。
そして現在に至ります。

英語のレベルが超初心者である事に変わりはないですが、それでも一歩づつ
進んで行っているのが実感できました。

これは続ける事に意義があると、理解したのです。

来年も、英語の勉強はずっと続けようと思います。

無理しない、やってみる、続ける、の精神で、出来る事からコツコツと
やっていこうと思います。

今年も勉強の一年になりそうです。

ではでは。

新年の目標

2014-01-01 07:21:39 | thought
えー、お題の「新年の目標」です。

今年の目標として、iPhoneアプリをリリースするという目標があります。

一体、どれくらいの時間で私の思い描くアプリが出来るのか、
現時点では不明ですが、勉強しながらコツコツと作っていこうと思います。

まだ、ここでは発表出来ませんが、一応有料のアプリを作って、
それを第一弾としてリリースして、その後、アプリのアイデアはかなり沢山あるので、
それを実現出来る様に頑張りたいと思います。

今年も、規則正しい生活を送る為に、昨夜はカウントダウンパーティが
Cyprisであったので、0時を超えての就寝となりましたが、
起床時刻は6時40分になりました。

今年は、目標としてiPhoneアプリを今年度中にリリースするという
目標を立てました。

今年度中という所がミソで、一応、来年の4月までには、
なんとかしたいという希望的観測で、目標としました。

勉強する事は非常にたくさんありますが、なんとかやりきりたいです。

英語の勉強も今年も継続して、ドキュメントを読める様になりたいです。

プログラミングに関しては、良書を見つけたので、それで学習しています。
これも継続して、やっていきます。

無理しない、やってみる、続けるの私の三大原則にのっとって、
実行して行こうと思います。

いつやるの?今でしょ!で頑張りたいです。

出来るのか、やれんのか。出来るといいなぁ。

ではでは。

来年度の目標

2013-12-09 05:52:48 | thought
えー、お題の「来年度の目標」です。

来年の事を言うと、鬼が笑うと言いますが、多分、あっと言う間に年が明けてしまうと思います。

まずは、公私の公から、
iPhoneアプリをリリースします。

具体的には、これから作るので、まだどんなものかは発表出来ませんが、お金に纏わるアプリです。

次に、仲間を作ろうと思います。

私の理想に共感してくれる人を一人でも多く増やそうと思います。

そして、公私の私ですが、パートナーを見つけようと思います。

これは、色んなネットワークを使って、探そうと思います。

今の所、以上を目標とします。

出来るのか、やれんのか、出来るといいなぁ。

ではでは。

2013-11-03 05:50:03 | thought
えー、お題の「嘘」ですが、これ、ある方と、あるサイトで知り合ったのですが、
嘘をつかれてしまいました。

そのサイトは所謂お見合いサイトで、そこで知り合った方と
メール交換していたのですが、なんか、相手の対応がおかしいな、
と思っていました。

いきなり最初のメールで、自分の写メールを添付してきたのです。

はじめは、「きれいな人だなぁ」と思っていました。

暫く、メールのやり取りをしたのですが、こちらの情報は聞きたがるのに
自分の情報はほとんど教えてくれませんでした。

70通ほどメールのやり取りをして、ちょっとおかしいなぁ、
と感じたので、メールに添付されていた画像をGoogleで検索したのです。

すると、なんとその画像は、とあるアイドルのブログに載せられている写真と
同一のものだったのです。

もちろん、そのアイドルさんと、メール相手は年齢が全然違います。

驚きました。

自分自身の写真だといって、メールに添付していたのは、
まったくの別人だったのです。

いやぁ、怖い怖い。

何が目的かはわかりませんが、個人の携帯メールアドレスやら、
実家の場所やら教えてしまっていました。

とりあえず、サイトのスタッフに通報しました。

私の時間と、この気持ちを返して欲しいです。

騙された私が悪いのか、騙した相手が悪いのか、判断はお任せします。

ショックが大きいです。

ではでは。


君のこころはどう?[その18]

2013-02-04 07:07:00 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その18]」です。

しあわせって?

しあわせって何でしょう?

うれしい時?

楽しい時?

こころが満たされている時?

大好きな人と一緒にいる時?

すべてが思い通りにうまくいく時?


悲しくない時?

辛くない時?

苦しくない時?

あなたは、どんな時が「しあわせ」ですか?

私?

まだ、よく分かりません・・・・・

でも、いつか「しあわせ」って思える日が来るといいね。

以上が2001年夏時点での書き込みです。

これが、「君のこころはどう?」の最後のページです。

皆様は、どんな時に幸せを感じますか?

ではでは。

君のこころはどう?[その17]

2013-02-03 05:57:19 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その17]」です。

恋愛と結婚について

これは、私自身の恋愛、結婚観について述べたものである
現在、私には彼女と呼べる人もいなければ、好きな人もいない
30何年か生きてきて、いわゆる「男女の付き合い」は、何回かはあった
ただ、その場合も、あまり長くは続かない
その理由も、うすうすは感づいていた

周りからは、「何で、彼女を作らないの?」とか、「早く、嫁さんをもらえば」とか、
言われるたびに、「いや、別に・・・」とか、言葉を濁してきた
もちろん女性に興味が無い、ということはなく、大いに興味があり(いやはや・・・なんとも)
「理想が高すぎるんじゃないの?」ということも、よく言われるが、本人は、
自分の彼女は「こうでなければならない」というのも本当は無いのである
(個人的には、私がたばこを吸わないので、吸わない人ならいいなぁ、とかは思うが)
多分、好きになった人が理想の人だと、考えている

私の場合、好きになる前の段階で、自分が「人を好きになる資格があるのだろうか」と
悩んでしまって、スタートをなかなかきれないのである
もちろん、人を好きになるということは人間が持っている基本的な「感情」であるから、
資格も何もいらないのは、頭では分かっている
ただ、今まで、感情を押さえつけられて育ったことから、自分の正直な感情を
ありのままに表現することが、「悪いこと」のように思えて仕方が無いのである

その分、告白にまで至る人が出来た場合、「この人しかいない!」と思い込み
付き合う前、いや、告白する前から、あれやこれや考えて、「でも、自分は、嫌われる」とか
「多分、うまくいかない」とかマイナスなことばかり考えてしまうのである
自分に自信が無い、きっと自分は嫌われる、と思い、頭の中をぐるぐる、
その言葉が駆け巡るのである

また、今まで、付き合ったり、告白した人たちに言われたことが、余計に拍車をかけるのである
「想いが重過ぎる」「嫌われるのが怖いんだ」「あなたは一人で生きていける」
「やさしすぎるから」・・・・
それぞれの言葉にそれぞれのシュチュエーションがあるのだが・・・・
結局、私にとって、「別れの言葉」ばかり思い出してしまい、その時のつらさが、脳裏をよぎるのである

なぜ、「別れの言葉」ばかり思い出してしまうのか、ずっと、ずうっと考えていた
多分、これは、自分にとって一番「大切だった人」との別れが原体験となって、自分の心の奥底に
「自分が好きになった人と必ず別れてしまう」という強迫観念が植え付けられてしまったからだと
気が付いた
そう、それは、「自分にとって一番大切だった、母親との別れ」だったんだと・・・

私は、「自分にとって一番大切な人」には、ずっと一緒にそばにいてほしいと思っている
多分、その人が「結婚する人」になるんじゃないかと考えている

まだ、「その人」を見つけてはいない・・・・

以上が2001年夏時点での書き込みです。

現時点での恋愛観、結婚観はあまり変わっていません。

今の私の状態では、恋愛や結婚したくても、よほど奇特な人でも現れない限り
難しいと思います。

まずは、生活の立て直しが急務です。

ではでは。

君のこころはどう?[その16]

2013-02-02 08:41:46 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その16]」です。

母親について

それまで、母親については、なるべく考えないようにしようとしていた。
でも、「合いたい」と思ったことが無かった訳ではない

片一方では、母親のことを「忘れよう」としていながら、もう一方では、
例えば、「親子参観日」なんかは、来るわけも無いのに、「もしかしたら・・・」という
淡い期待を抱いて、どきどきしてみたり、小学校の卒業式や、中学校の入学式なんか、
手紙でも、送ってくれないかと考えたりもした

でも、何もなかった・・・・


ただ、「母、お母さん」という言葉自体、見るのも、口に出すのもすごくためらわれた
祖母から、何かにつけ「お前の母親を恨め」と言われ続け、本当は恨みたくない、
だけど、「母親を嫌いにならなければ、ここにはいられない」と思うようになったからだ

大阪にいた頃の、母親についての記憶は「あまり家事をしない人」というイメージが残っている
普段の食事は、「幕の内弁当」か「菓子パン(クリームパンとかジャムパン)」がほとんどだった
たまに、「カレーライス」だけ、手作りしてくれてたのを覚えている

母親について、私が今でも鮮明に覚えていることがひとつだけある

私が、小学校3、4年生ぐらいの頃、父が、大怪我をして、半年ほど入院した
もともと、そんなに収入の多い方ではなかったと思うが、父親の入院がきっかけで
母親がスナックで勤めることになった
夕方5時ごろから出かけて、夜中の2時,3時ぐらいに帰ってくるという生活をしていた
その頃、私たち兄弟は、一番下の妹が3歳、上の妹が5歳、弟が7歳、私が9歳という
年齢だったので、私以外の兄弟は、夜の9時ぐらいにはもう寝入っていた
私も、9時過ぎには大体寝ていたと思うが、その日に限って、なかなか眠れなかった
何か、このまま、母親が帰ってこないんじゃないか、と思ってテレビを終了まで
ずっと見つづけて、母親の帰りを待っていた
「砂の嵐」がでるまで・・・
3時ぐらいになっただろうか、母親が帰ってきた
帰ってくるなり非常に驚いた様子で、「何で、寝てないん?」と言われ、
私は、「帰ってくるまでまっとったんや」と半べそで母親に答え、そのまま安心して
眠ってしまった

なぜか、このシーンだけは、未だにたまに思い出すのである・・・・

以上が2001年夏時点での書き込みです。

現在まで、母親には逢っていません。

実は、自分以外のきょうだいは、成人して、母親に逢った事があります。

でも、未だに私は逢う事が出来ません。
憎んではいないけれど、逢う気になれないのです。
それに、今の自分の状況では逢う事で、病気が悪化する様な気がしてならないのです。

いつか、好きな人が出来て、結婚するとかなったら、逢える様になるかも知れません。

いつか逢えたらいいのにと思っています。

その17へ続きます。

ではでは。


君のこころはどう?[その15]

2013-02-01 08:41:38 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その15]」です。

父親の自殺について

最近になって、ようやく少し心の中での整理がついたと思う
父親が自殺をしたのは、私が22歳の夏である
実は、それが自殺であったことが分かったのはそれから3年後のこと

私が22歳の夏、「小旅行に行く」と言い残して、1ヶ月たっても帰ってこなかった
いわゆる「蒸発」である
その時、父には付き合っている人がいた
父は、その人と結婚を考えていたらしい
しかし、その相手の人が病弱であったことから、祖母が反対していた
ある日、父と祖母は口論になり、父が「出て行ってやる!」と言い残して実家をでた
私たち子供には、「ちょっと、この人と旅行に行く」ということを言っていた
正直、私は父の再婚を「いいんじゃないの、もうそろそろ」と思っていたので
反対はしていなかった
1ヶ月ぐらい帰って来なくても、「どこかで2人で暮らしているのだろう」ぐらいに
思っていた・・・・

普通なら警察に捜索願を出すところだが、祖母の「世間体が悪い」という事で
出さずにいた

父がいなくなってちょうど1ヶ月たった頃、「1通の手紙」が届いた
それは、紛れもなく父からのものであった

内容は、私たち子供一人一人に宛てたもので、まず、「探さないでほしい、この人と一緒になる」ということが
書いてあり、私や、妹たちに対して「今まで、親らしいことは何もしてやれなかった、ゆるしてくれ」ということと
私に対して「後を頼む、貯金は全部やるから」というようなことを書いてあった
いや、「書きなぐっていた」のである

私は「遺書だ」と直感した

そして、その時心の底に「どーん」という音が鳴り響いた

その時、祖母は「一緒になるって書いてあるから、どこかで暮らしているんだろう」
そして「本人が帰ってくるまで、探さない方がいい」と説得されて、結局そのままになってしまった

それから、3年後・・・・

1本の電話からはじまる
九州の港町の警察からの電話だった
「あなたのお父さんの車が、港から引き上げられた」ということだった
私は、「どういうことですか?」と聞き返した
警察の人は「その車の中から男性と女性の骨が出てきた」というのである

「・・・・・・・・」言葉がでなかった

それから、私は、身元確認のため、叔父と一緒に、九州へと向かった

そこに待っていたものは、子供用の棺が2つと、色んな物が、ビニールシートの上に
並べられていた
そこに、父親の免許証と、父がもっていた、見覚えのあるくしがあった
「父のものです」私は答えた
そのあと、2つの棺のうち、「男性」と書かれた紙が貼ってある方の蓋があけられた

中には、幾つかの骨と、頭蓋骨が入っていた
「これがあなたのお父さんです」と警察の人が言った
私はその時正直、「こんなに頭が小さかったっけ」と思った
と同時に、涙がこみ上げてきた

それから、帰りの列車のなかで、ずっと「何でだろう?どうして?」という言葉が
私の頭を駆け巡った・・・・・

未だに、あの骨が父だったとは信じられない

ある日、ひょっこりと、何事も無かった様に帰ってくるのではと思うのである
でも、現実は、確かに父はもういない・・・

私は、父に対して、ぶっ飛ばしてやりたかったのと、一緒に酒が飲みたかったという
気持ちが、心残りになった

以上が2001年夏時点での書き込みです。

父については、今思う事として、父は父なりにいろんな事で悩んでいたんだと思いました。

父の周りの人が、もっと親身になってくれる様な人が一人でもいたら、
結論は変わっていたのかも知れません。

その役割を自分が出来なかったのが非常に悔やまれてなりません。

でも、子供の言う事を聴く様な父ではなかったので、やはり、父に親友と呼べる
友人でもいてくれていたらと思いました。

その16に続きます。

ではでは

君のこころはどう?[その14]

2013-01-31 07:52:12 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その14]」です。

自殺について考えること

人は、精神的に追い詰められると、自分の存在について、その意味や、意義について、
無意味で、どうでもいいものとして、考えてしまう

自分が、この世に存在していていいのかどうか、疑問に思ったり、
何の為に自分は生まれてきたのだろうかと考えてしまう

何をどうすれば、先が見えるのかもわからなくなる
自己完結してしまって、先が見えないのである

そこで、一番楽な方法を、選んでしまうのである
とにかく、この現状の苦しみから逃れるためだけに
手っ取り早い方法として、死を選ぶのである

死んだ人を悪く言うのは大変、心苦しいけれど・・・
だからこそ、もしかしたら、これから先、いいことがあるかもしれない「未来の自分自身」を殺してしまう
自殺という方法は、ものすごく罪が重いと思う

「今の自分自身のことだけを考え、後に残されるものの事や、未来の自分自身のことを考えない」
自殺は、人間として、やってはいけないことだと私は思う

後に残されたものの気持ちとしては「なぜ?」という大きな疑問符と、
鍵の無い、重い「枷(かせ)」を心の奥底にかけられてしまった苦しさしか残らないから・・・

以上が2001年夏時点での書き込みです。

私が中学2年の頃、真剣に自殺を考えていました。

いじめや、親からの虐待、周りの大人たちに絶望して、死ぬしか無いと考えて、
どうやったら、楽に迷惑をかけないで死ねるか毎日考えていました。

そんな時に「火の鳥」を読んで、「なんで俺は死ななきゃいけないんだろう」と
考える様になって、自殺を思いとどまりました。

これを読んでいる方で、自殺を考えてる人は、今一度、冷静になって「未来の自分自身」を
殺す事について思いを馳せてみて下さい。

その15に続きます。

ではでは。