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君のこころはどう?[その16]

2013-02-02 08:41:46 | thought
えー、お題の「君のこころはどう?[その16]」です。

母親について

それまで、母親については、なるべく考えないようにしようとしていた。
でも、「合いたい」と思ったことが無かった訳ではない

片一方では、母親のことを「忘れよう」としていながら、もう一方では、
例えば、「親子参観日」なんかは、来るわけも無いのに、「もしかしたら・・・」という
淡い期待を抱いて、どきどきしてみたり、小学校の卒業式や、中学校の入学式なんか、
手紙でも、送ってくれないかと考えたりもした

でも、何もなかった・・・・


ただ、「母、お母さん」という言葉自体、見るのも、口に出すのもすごくためらわれた
祖母から、何かにつけ「お前の母親を恨め」と言われ続け、本当は恨みたくない、
だけど、「母親を嫌いにならなければ、ここにはいられない」と思うようになったからだ

大阪にいた頃の、母親についての記憶は「あまり家事をしない人」というイメージが残っている
普段の食事は、「幕の内弁当」か「菓子パン(クリームパンとかジャムパン)」がほとんどだった
たまに、「カレーライス」だけ、手作りしてくれてたのを覚えている

母親について、私が今でも鮮明に覚えていることがひとつだけある

私が、小学校3、4年生ぐらいの頃、父が、大怪我をして、半年ほど入院した
もともと、そんなに収入の多い方ではなかったと思うが、父親の入院がきっかけで
母親がスナックで勤めることになった
夕方5時ごろから出かけて、夜中の2時,3時ぐらいに帰ってくるという生活をしていた
その頃、私たち兄弟は、一番下の妹が3歳、上の妹が5歳、弟が7歳、私が9歳という
年齢だったので、私以外の兄弟は、夜の9時ぐらいにはもう寝入っていた
私も、9時過ぎには大体寝ていたと思うが、その日に限って、なかなか眠れなかった
何か、このまま、母親が帰ってこないんじゃないか、と思ってテレビを終了まで
ずっと見つづけて、母親の帰りを待っていた
「砂の嵐」がでるまで・・・
3時ぐらいになっただろうか、母親が帰ってきた
帰ってくるなり非常に驚いた様子で、「何で、寝てないん?」と言われ、
私は、「帰ってくるまでまっとったんや」と半べそで母親に答え、そのまま安心して
眠ってしまった

なぜか、このシーンだけは、未だにたまに思い出すのである・・・・

以上が2001年夏時点での書き込みです。

現在まで、母親には逢っていません。

実は、自分以外のきょうだいは、成人して、母親に逢った事があります。

でも、未だに私は逢う事が出来ません。
憎んではいないけれど、逢う気になれないのです。
それに、今の自分の状況では逢う事で、病気が悪化する様な気がしてならないのです。

いつか、好きな人が出来て、結婚するとかなったら、逢える様になるかも知れません。

いつか逢えたらいいのにと思っています。

その17へ続きます。

ではでは。


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