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サントリー山崎蒸溜所見学と アサヒビール山崎山荘への散策

先日、サントリー山崎蒸溜所講演を聞に行ったのですが、その時の遊び心の部分を紹介します。
山崎で思い出すのは、私が子供の頃 父親が仕事仲間と 琵琶湖方面へ車数台でドライブした時 一緒に連れられて行った時のことでした。香里園・成田山(大阪別院)に安全祈願した後 車列が 見渡す限りの水田の中を進むにつれ、かなたの山(天王山)の麓に ひっそりと しかも忽然と洋風の奇妙な建物があったのです。誰かが“サントリーだ”と言ったようでした。これがサントリー山崎蒸溜所だったようです。奇抜なデザインの建物のない当時にあって、その外観の異様さに 非常に 不思議な感覚だったのを覚えています。
その後、長年月を経たのですが、私には ここへ 訪れる機会は全くありませんでした。
ところが、昨年末 京都中小企業技術センターから “食品・バイオ技術研究会の開催のご案内”の連絡が来たのです。これは、あの建物の中に入るチャンスだと思ったのでした。

その当日、午後1時前 阪急電車で大山崎駅に降りて サントリー工場へ向かったのです。どうやら この付近は歴史的に様々な事件の舞台になった要衝でもあるためか、街の雰囲気に観光的なものを感じました。
フト気がつくと アサヒビール大山崎山荘美術館の方向を示す 案内板があり、そうだ ここも一度 行って見たいと思っていた所だ、と思い出したのです。午後4時半には講演と見学会は終る予定だったので 早めに抜け出して、明るい間に 立寄ってみようと決めました。



事前に 見ていた地図はJR山崎駅が ランドマークになっていたので、この駅の脇を通って サントリーに向かいました。駅の西側にある自転車置場前を通って 少し広い通りに出ると 蒸溜所の建物は、彼方に見えて来ました。暫くそれを目当てにまっすぐ歩くと ようやくJRの踏切に至りました。すると その向こうに工場入口が 開けていたのです。入り口手前の黒い 蒸溜釜のオブジェが印象的でした。かつて使われた蒸溜釜は 他にも工場内でもいくつか設置されて雰囲気を醸し出していたのでした。
工場の門で “食品・バイオ研究会”の参加を告げると さらに奥の 道路の右側の建物に行くように指示されました。
講演は その建物の中で行われたのです。その建物の入り際には 創業者鳥井信治郎氏と佐治敬三氏の像がありました。



講演が終わり、いよいよ醸造・蒸溜所の見学となり、道路の向こう側の建物に入ったのです。どうやら この建物等を子供の頃 遠くから望見したのではないかと思われました。
建物の中に入ってみて、“場内写真撮影可”、と聞かされて驚いたものでした。ウィスキーの製造過程などは 古くからのプロセスであり、最早 表面上の見た目では分からないノウハウばかりなのでしょう。例えば 最も重要なブレンド・プロセスなどは ブレンダーの鼻の中にある感覚が極秘事項でしょうが、これはいかにも写真撮影しても判らない事柄だろうナ、と想像したのでした。
見学したウィスキーの製造プロセスは 概ね 次の写真の順です。



工場というか、蒸溜所は 意外に小さな規模です。少なくとも私のように 重厚長大産業に長年親しんで来た者は そう感じるものでしょう。この規模で、日本全国の需要を賄うということは、利益率は 私が考えているよりはるかに高いのだろうとも思ったのでした。

そんなことより驚いたのは 場内見学を終えて戻る時に構内道路と思っていた道路を 近所の下校する小学生が 当然のように歩いていたことでした。山崎蒸溜所の中央を縦貫している道路は どうやら公道らしいと気が付いたのです。恐らくその道路は椎尾神社への参道であったようですが、湧き水の近くということで、その道路沿いの工場立地が好都合だったのでしょう。それが、今や大きな工場になってしまい、道路の向かい側の土地にも建物を建てた結果、道路の両側に建物が建ち、あたかも構内道路のようになってしまったのだ。ここは、いわば門前工場というロケーションでした。

さていよいよ試飲会となりました。サントリー渾身の“山崎”と“白州”を 飲み比べてみて欲しいとのことでしたが、この日ばかりは、何故か鼻が特に利かなくなっていて、サッパリ利き酒不能。折角のチャンスに違いがわからないまま、酔っ払ってしまうだけに終わるという残念な結果でした。
それに、実は 試飲会の後 酔っ払って意識散漫になり 貴重なサントリーのガイド・パンフレットを忘れて来てしまったのです。それに気が付いたのは 帰りの電車の中であったという体タラクでした。そのほろ酔い気分のままで、山崎ウィスキー館(サントリーの歴史展示と土産品販売)に案内され、思わず 勢いでチョコレートとウィスキー入りパウンドケーキを買ってしまった。僅かでも アルコールが入ると 気分がゆるんでしまいます。見学会をも利用する関西の上手いビジネスです。

しかし 未だ酔いつぶれていなかったのは幸いで、帰り際に アサヒビール大山崎山荘美術館へ行ってみることを忘れてはいなかったのでした。JR山崎駅の北側へ回り込み、山荘への案内板を見つけ、それに従って 坂道を登って行きました。途中で 小さなトンネルをくぐり 山荘への期待感は高まったのです。
ようやく 坂道を上り詰めてふと目の前の瀟洒な洋館、まさしく山荘風スタイルの建物でした。入口に行ってみて、やっぱり残念ながら入館限度時刻を過ぎていました。入館は断念です。
仕方がないので 南側の庭をしばらく散策しました。振り返ると 隣接の宝積寺五重の塔だろうか、木立の向こうにニョッキリ見えたのには 少々驚きました。庭には わずかにオブジェもあり、池もありで、変化に富んでいて面白い。
帰り道、大阪方面を望むと 向こうの男山でしょうか、その丘陵の右側は ニュータウンが展開。“耕して天に至る”という言葉がありましたが、ここでは“家を建てて天に至る” といった趣きです。そういえば、この山荘美術館の そばにも 民家が押し寄せていて、“山荘”と呼ぶには ふさわしくないようにも思ってしまいます。



確かに 私の子供の頃は 山や丘陵には森林があり平地は水田ばかりで、その所々に集落があるといった様子だったと思うのですが、それ以前ならば この山荘も、サントリー蒸溜所も 山紫水明の中で もっともっと意味のある存在だったのでしょう。恐らく、これらの創建者達は 今日のことを予測はしていなかったのだろう、と思ったのでした。

今回は 山荘美術館に入れなかったのですが いずれ必ずもう一度 来て見たいものだと 思いつつ 帰りの電車に乗り込んだのでした。
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