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“なぜ日本人は落合博満が嫌いか?”を読んで

先週に引き続き、今週も落合氏をテーマにしたい。標掲のテリー伊藤著“なぜ日本人は落合博満が嫌いか?”を読んでいたからだ。本来は、先週の“采配”の読後感想のなかで、取上げるつもりであったが、先週も言ったように何故だか思わず長くなって記載余地が無くなってしまったので、ここで別に取上げることにした。 まず何故、私がリーダー・シップ論を考えるにあたって落合氏を取上げたのか。それは、プロ野球の監督として目を見張る業績を残したからの一言に尽きる。そればかりではない。名選手、必ずしも名監督ならず、と言うが、この人にそれは当てはまらない。さらに落合氏には選手時代から、インタビューへの受け答えに自信に満ちたブレない姿勢を感じていた。その自信の塊のような人が、監督をした中日が何とか優勝を果たしたとき泣いたことがあった。それを見て、自分に厳しく、他人にも厳しいはずの人にも涙があるのだと感動したものだった。 こういう人の信条はどういうものだろうか、それを知りたいと思うのは当然ではないかと思う。 そのことのついでに、こういう実力者に人気があまりないのは、どういうことなのだろうか。それに明確に答えているのがテリー伊藤氏ではないかと思われたのだ。要するに“日本人は落合氏が嫌い”なのだ。なぜなのか。 . . . 本文を読む
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