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聖書のことばから―姜尚中ワールドの一端を垣間見る

姜尚中;全ての業には時がある。 [伝道の書 第3章1節] フジ子ヘミング;遅くなっても待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。 [ハバクク書第2章3節] 上の言葉は いずれも旧約聖書にあるという。姜尚中氏の紹介した言葉は、先日NHK教育の番組“仕事学のすすめ―人生哲学的仕事論”で示されたものだ。この言葉を聞いて、フジ子ヘミング氏が 以前に紹介していた言葉を思い出した。いずれも、絶望の彼らを励まし、勇気付け、逆境の淵から救い出した珠玉の言葉だ。そして、旧約聖書には、このようにタイミングについての箴言が繰り返し登場するのだなぁと、思った。いずれも、艱難に耐え 死ぬほど努力したにもかかわらず未だ“時”を得られず、苦しんでいる人への 力強い励ましの言葉である。考えてみれば、それは聖書の言葉として当然なのかも知れない。 しかし、こういう言葉は ある意味において無責任さを漂わせているように感じる。“神の言葉”としての重みは感じるが、それが返って無責任を示すような気もするのだ。特に、“遅くなっても・・・”の言葉は 戦い疲れて気息奄々 既に虫の息の人に、最後の鞭を入れているような 厳しい囁きを伴っている。さらに、その言葉は矛盾している。しかし、そんな矛盾があっても神の言葉には従え!という強い強制力をしのばせている。 . . . 本文を読む
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