たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

亡妻20回忌

2017年06月26日 | 日記

・・久遠劫(くおんこう)よりいままで流転せる苦悩の旧里(きゅうり)はすてがたく、いまだむまれざる安養浄土はこひしからざるさふらふこそ、まことによくよく煩悩の興盛(こうじょう)にさふらうにこそ。なごりおしくおもへども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておはるときに、かの土へはまひるべきなり。いそぎまひりたきこころなきものを、ことにはあれみたまふなり。・・(歎異抄第9条)

・・・遠い遠い昔から、生まれかわり死にかわりして流転してきた、この苦しみに満ちた故郷が捨てかねて、まだ生まれたことのない安らかな浄土を恋しく思わない。それも、われらの心にさまざまな煩悩がむらがり起こっている証拠。この世に名残は尽きないものの、この世の寿命が尽きて、どうしようもなく死んでしまわなければならぬときになって、やっとあの世へ行くのが凡夫の常であります。こういうふうに、いつまでもこの世に恋々とした思いで、急いで浄土へ行こうとする心のない人間を、仏はとりわけかわいそうに思われるわけです。・・(「歎異抄入門」 梅原猛 PHP文庫)

おかあさん(亡妻)の20回忌は猛暑になりました。昨夜夕食準備中、ス-パーにいると嫁から電話があった。命日のお花を買ってくるとのことで八重ないか確認だった。
まだ準備してなかったので仏壇用とお墓用に3つ頼んだ。
今朝仏壇には飾ってありお参りした。お墓用はキッチンの水に入れてあったので墓地へ持って行き、お参りした。杜撰になってお勤めも読経もせず、仏壇ではテープの「お勤め」をして、しかも途中で打ち切った。

娑婆の縁つきて・・おかあさんも57歳という若さで、小林麻央さんは34歳という若さで娑婆との縁が尽きた。