河瀬ビジネスサロン ライフワークを育てよう!

コーディネイター河瀬謙一@SOHO CITY みたかからの発信。
お金をかけない起業と経営で豊かな人生を!

実行へのヒント-800

2023年10月27日 | Weblog


経験、工夫、再挑戦

10月26日(木)、午後2時から5時半まで、顔なじみの仲間が集まってSOHO・身の丈フェスタ2023が開催された。
コロナを引きずることにも配慮しZOOMで。

今回の目的は仲間内での近況報告と結束づくりである。
お題は夫々の参加者が持ち寄りでプレゼン。
他の参加者が、あ~でもない、こうでもないと意見を言いながらの進行である。

お題を私なりに意訳表現すれば、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・稼ぐ身の丈プロの起業家城下町づくり
・身の丈起業塾~楽屋裏話
・本人が困ったので作ってみた携帯ピルケース
・2拠点リモートワークの実践と情報発信
・Chat-GPTを活用し、小説、画像、動画を作る方法
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
といったラインナップ。
話す人の立場も内容も違うが、以前から知っている人ばかりだから質疑は噛み合う。

おなじみ感と暗黙知の共有はアメリカニズムの近代経営論に出てはこないが、日本人の十八番である。
近頃の日本が冴えないのは、それを忘れたからではないか。
データ重視、論理的とか言って(笑)。
データはその前提を押さえないと、例えば人を騙すことに使われる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する一連の受け売りの解答を得ることではなく、いかにして経済学者にだまされるのを回避するかを知ることである。
(ケインズの愛弟子、ジョーン・ロビンソン:根井雅弘氏 訳)

"The purpose of studying economics is not to acquire a set of ready-made answers to economic questions, but to learn how to avoid being deceived by economists. "
Joan Robinson(1955)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
低レベルのワイガヤは単なるワイガヤで終わるが、中には”啓発”につながるものがある。
それらを大切に拾っていきたい。

さて国際政治アナリストの伊藤貫氏は、これら人間の思考の3段階をこう言って示す。

1.POLICY    (方針に基づく意見)
2.PARADIGM   (学派別の主張、あるいはその時代の規範となる物の見方や捉え方)
3.PHIROSOPHY (哲学。ものの見方の原理。または、深い物の考え方)

わたし、ワタシと、私の主張するポリシーをいくら並べ、戦わせ、集めても意味あるものにはならない。
せめてパラダイムレベルの話が行き交う場が欲しい。
それは実際に経験し、工夫、再挑戦を繰り返す本人以外にはできない相談である。
借り物と本物は迫力が違う。

面白く意味のある場とは、これらの人とレベルの対話が行き交う場である。
例えばかつてのメディアには高揚感があったが、今のメディアにそれはない。
紙媒体のメディアは17世紀のコーヒーハウスから生まれたが、当時はえらくおもしろかったと思う。
何故なら実体験からくる直接情報を持っている人の話を直に集めたからである。
残念だが、もうそれはない。
幾多の理屈を並べるより、その発行部数と視聴率が激減・低下している現実を見ればわかる。

つまり右に倣えのPOLICYで納得する人が激減しているわけだ。
賢い庶民は自分で考えはじめた。
つまらない事にお金や時間を払う人、使う人は少数派になりつつある令和5年である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実行へのヒント-799

2023年10月25日 | Weblog


身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ

毎日暮らしているだけでも色々なことが起きる。
仕事をしていれば尚更である。
目の前の事は常に定まらず、あちらが済めばこちらが起きる、と言う具合である。

そのような事に振り回されるのはもうごめんだ、と思ったら心を決めるのが良い。
しっかりと考え、自己独自の見通しの下に”何を成し、どういう姿を目指すのか”決定を下すことである。

そうすればしっかりとした支点ができる。
目の前のことは相も変わらずバタバタ動くが、支点は動かない。
決めるという事は、ある意味で他を切り捨て諦観を持つことである。

諦観を持てば、心は穏やかである。

諦観を持つという事は、覚悟を持って事にあたるに等しい。
それは身を捨てる覚悟である。
だから心は晴れ晴れとする。
いかに世間が騒がしくても、あれやこれやと言われようとも大丈夫だ。
腹を決めれば誰でもこうなる。

腹を決めるとは、一発大勝負をかける事ではない。
今までの人生の積み重ねを、決めたひと事に集中させることだ。
集中すれば無我の境地に近づく。
我を無くせば、物事を素直に見ることができる。

そうすれば本当は何をすればよいかがわかる。

他人に見せる人生から、自ら行う人生に変わる。
単に賢いだけの人から、自分を生きる人に変わる。

そして腹を決めたら、その一点を掘り進む事だ。
深く深く掘れ。
深く掘れば穴の直径は自ずと広がる。

そうすれば活路も開けるだろう。
目の前の小事々は起こるが振り回されない。

だから”何を成し、どういう姿を目指すのか”を決めよう。
決まらないなら、決められるまで自分を磨けばよい。

こういう人が少ないのか、世の中が落ち着かない。
勇ましく「チェンジ!」と叫んでも、世の中を変えるのは実際なかなかに難しい。
けれど自分だけなら容易である。

他人と過去は変えられないが、
自分と未来は変えられる

You cannot change others or the past.
You can change yourself and the future.
(カナダの精神科医 エリック・バーン)

諦観を持つ実行の人が集えば、これは強いチームが出来上がる。
強いチームは勝ち進む。
理に適っているからだ。

何の不思議もない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実行へのヒント-798

2023年10月22日 | Weblog


初めては怖い

課題解決には様々な困難がつきものだが、今回は私自身が新しいWebサイトサービスをつくるときの話だ。
関係者を巻き込んでの失態は誰でもまずいと思うだろう。
しかしひとりで何かを始める場合でも、このような状況は生じる。

実際「怖い」と感じるのだ。
こんな事だ。

私は久しぶりに動画プラットフォームのWebサイトをつくる作業に入った。
その再突入の時にその怖さを十二分に味わった。
特に追い込みをかけようとしていた2月からの半年は、その宿題を背中に背負ったまま何も進まず、酷暑の夏と熱帯夜を過ごしたのだが。
いったい人生においてどんな理由かはともかく、何も筆が進まない時があるものである。

この怖さについて、世界の名建築科の一人であるフランク・ゲーリーのケースについて「小さく賭けろ」という本の中で、その心情が紹介されている。

フランク・ゲーリーはビルバオのグッゲンハイム美術館や、ロサンジェルスのディズニー・コンサートホールなどを設計した建築家として有名だ。

(中略)
「何をしたらいいのか結局わからないままになるのではないかと、いつも怖くなる。それは恐怖の瞬間だ。それから仕事にかかるんだが、始めてみると『なんだ、そんなひどい事にはならなかったじゃないか』といつも驚く」

(中略)
あらゆる創造的プロセスには、失敗への不安がつきものだ。いかに数多く、大きな成功を収めてきた人間であっても、これを逃れることはできない。

(以下略)

私の場合は、自分のWebサービスの作業が一体どこまで済んで、今はどんな状態なのかをすっかり忘れてしまっていた。
同時に扱い方も、だ。

「どこをどういじればよかったんだっけ」
から始まって、
「これは何の印だ?」
とかをPCに向かって呟く。
「さっきのページ戻れなくなった。いったいどうしたんだ」
ボケがひどくなったわけではない(笑)。

初めて触った時よりも、その怖さが増大していたことは白状しておこう。
そしてしばらくすると、なあんだ、そうだったのかという具合に急にはかどりはじめる。

なんにしても初めての時、世の中にはそうなる人が多い、という事を伝えておきたい。

救われたのは、私のケースでは9月の末か10月のはじめ、突然アイディアがおりてきたことだ。
深層心理に置いておいたものが、動き出したらしい。
助かった!
さっそくノートに短い長方形を書き、その下にもう少し長方形を書いた。
そして三番目に、一番長い長方形をノートの左端から右の端まで書き上げたものだ。
このEラーニングの構成は、物語のように最初のページから最後まで時間軸を追って一気に話が進むのではない。
それはまずい、と自分で確認した。

先ずは、ほんの短い時間で全体の流れを説明し終えてしまう。
次はもう一回繰り返すが、要点と注意点を加え、全体の流れを再度確認してもらう。
復習で流れそのものを相手のアタマに焼き付ける試みだ。
そして次が本番だ。
ここでは各章を分けて、流れの中で要点と細部と両方を述べる。

これで大雑把だが私のつくるEラーニングの構成が決まった。
こんなことだが、ここに至るまでに6か月もかかってしまった。
だがこれは必要な時間だったらしい。
どうもそうだ。

顛末をその道の関係者に話したら、
「最初につくるときが一番苦労するもんだけどね、その時に僕に相談されてもアドヴァイス出来ることは何もないヨ。自分でうなって出すしかないんだ。まあよく頑張ったもんだ」
と半分笑われながら言われたが本当にそうだ。

私が言いたいのは、初めての時多くの人がこのような怖さに直面し手が止まってしまう、という事だ。
だから始めさえすればいい事にしよう、と言いたい。
始めたって? そりゃあ大したもんだ、という具合にだ。

では最後に同じ本から、モノを書く人の行動をお伝えして終わりたい。

作家のアン・ラモットは、「優れた作家は、必ずつまらない初稿を書く」という。
「私は最初に、本当にひどい初稿を書く。そうでないと何ひとつ書けない」と、ラモットは「バード・バイ・バード」というエッセイの中で書いている。
「とにかく何でもいいから紙に書いてごらん。子供が書くように、頭に浮かんだことをそのまま書き留めてみる。優れた作家はみんなそうしている。そうして第二稿は少し良くなり、三稿はもっとずっと良くなる」

ラモットはこうも言っている。
「何年もこの仕事を続けた後でも、私はよくパニックに陥りかける」
(以下略)

皆さん、ご安心あれ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実行へのヒント-797

2023年10月20日 | Weblog


特別なシナジー

成功に秘訣はないと断言できるが、一方で人生に何度か起こる思わぬ成果の出現がある。
なぜ起こるかわからないと言った方が正しいが、言葉で説明すればこういうことだ。

特別なシナジーとは、
ある課題を抱え、じっくりと検討し最善を尽くしたがなかなか良い結果に結びつかない。
こんなことが数か月から数年続いた後、ある日の朝、驚いたことに全体が見えてしまう。
これは奇跡ではなく特別なシナジー効果によるものだと言っておこう(本当は何だかわからない)。

つまりこうだ。
長期間ひとつのことを考え続けると、頭は疲れ果てる。
気力だって萎える。
云わば人間の極限状態に近づくわけだが、一方で脳みその電圧の方は最高潮に達している。

尚それでも考え続けると今までの努力の総和、
つまりいろいろな方向から色々な要素に関して考える事、使用可能なツールの事、力を貸してくれる友人と専門家のアドヴァイス、セミナーや本から得た知識、自分の過去のすべての経験と考え等が混然とまじりあい、反応を起こして何故か特別なシナジーを生む瞬間となる。
これが閃きである。

ただ、経験から言えるのは最低でもいくつかの実行が並走している。

・例えば、この課題を何としても解決したいと願うこと。一種の祈り。または新たな希望への憧憬。
・例えば、コツコツと課題にまつわる仕事をこなしている現実の日々。日常生活の事。
・例えば、目の前の現実はダメだが(時々本当に最低だと感じる)、わずかな隙間に宿る何か出来そうな根拠レス楽観論の存在、など。

まあ少なくとも、願う心と不断の努力がなければならないことは確かだが。
ただしそんな事を考えてやっていたら辛くてしょうがない(笑)。

ただ起きる時には起こる。
天才論や超人論ではないのだ。
凡人が非凡になる長期的なコツ、と理解していただきたい。

勿論一瞬ではなく長期的なものだ。

Without haste, but without rest.
急がず、だが休まずに

とは立派なゲーテの格言だが、多くの人には”男はつらいよ”の寅さんの気持ち、と言った方が分かり易いと思う。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実行へのヒント-796

2023年10月19日 | Weblog



だれでも起業できるが・・・

「どこでもドア」は人気漫画ドラえもんの秘密兵器のひとつである。
こんなドアがあったら便利だし何より楽しいが、現実社会に「どこでもドア」はない。

「だれでも起業できる」にも同じことが言える。
だれでも起業できるは本当だが、その後の経営で商売を軌道に乗せるには相応の努力が必要だ。
だから起業した事業者が生き残るのは10年で1割、という数字は肌感覚でわかる。

先ず本業一本立ちでの起業人生は楽な選択ではない、と明確に言っておこう。
一方、ライフラインが確保されている副業型には有利な点がいくつもある。
だから年金プラスの起業は広がるだろうし、そうなる明確な理由もある。
何せこれからの20年、年金が約20%減るので働く人は自ずと増える。

さて話を戻すと、そもそも時間をかけずに成果を手に入れる企画の実現は、なかなかに難しい。

子供時代の運動会を思い出せば、日頃の訓練や事前の予行演習が必要であった。
これらを日常的に行っていれば、運動会も楽しく参加できるし相応の成績も残せる。

時間をかけない努力は、一瞬の高みを見せてはくれるが続かない。

逆に地味だがじっくり努力する、という世界がある。
早く、早くという効率一辺倒の逆である。
あるいは汗をかき、まじめに働く。
こんなことを現代日本人は忘れかけている。

商売とはこのようなものだと思う。
それは、
・そろばんが合うように売れるモノを用意し、丁寧に売る。
・売り方は時代に合わせ、相手に合わせ、工夫改良を重ねる。
・社会とお客様から学ばせていただく。
・同時に次の商売に取り入れる。

当たり前のことを当たり前に行うのは大変だが、これこそが商売の基礎部分である。
成功の秘訣などはない。
逆に新しい事での失敗は、人間なら当たり前。
経験、工夫、再挑戦があなたの背骨と筋肉を形成する。

それでも大変なことを続けるのは、本人にとって楽しく意味のある事だからだろう。
そして経営者として数字にこだわる。
厳しい現実に、毎日真剣に向き合っている。
課題に対して、一つひとつ手を打っていく。
核心部分に対してしっかり汗を流す。
そうすると人生に意味が出て来る。

だから楽しいのである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実行へのヒント-795

2023年10月03日 | Weblog



売れないときの姿勢

ここでは売上向上のノウハウは述べない。
むしろこの事態をどう解釈し、どうやって自分の心を整えるかという考え方を述べる。
心を整理して現実にどう対応するか、その方がより大事な場合があるからだ。

先ず、最初の条件として売り出したものが売れるか否か、きちんと確認したものであること。
同時にこれからも売れ続けるであろう見込がある、と自分が判断したことが前提となる。

それでも売れないときは、いったいどうすればいいのか。

「売れない方が当たり前である」
と私は起業のレクチャーで話すが、若い人はそれを無視する。
若いので絶対売れると思っているからだが、それはそれで年齢的に正しい態度だ。

だが多くの年配者は受け取り方が違うようだ。
長い人生経験からすべて自分の思った通りに物事が進むわけではない、と知っているらしい。
「そうだよなぁ、すぐに売れるわきゃないよなぁ」
と学んでくれれば最高である。

ではどうするか。
例えば、一日最低でも具体的にコマを進める、何か一つやってみる事である。
やるべきことの全体が100として、一日一つなら1%だ。
それでも平日にひとつずつコマを進めれば、半年以内に完成してしまう。

この方法を試してみることは極めて大切である。
しかし多くの人は途中で諦めてしまう。
そしていつまでも悩んでいるのである。

ぽっと出た新規事業者が、いきなり大ヒットを飛ばす例はごく稀である。
私はそのような、ごく稀な人向けにアドヴァイスをしているのではない。
私もあなたと同じように「凡人」であり「売れない状態」からスタートしたからだ。

心は焦るものだが、その目の前の現状よりも
「時間がかかってもいいから、いいものをつくろう、提供しよう」
と思ってやってきた。
そこで時間軸を味方につけたのである。

お金をやりくりし、時間をかけて進んできた。
本当にいいものになったかは、お客さまに聞くより他はないが、まあまあ合格点は得ていると思う。

思わぬ良い事があった。
じっくり進む中でいろいろな物事を学ぶことが出来た。
何しろ、様々な現実と対面する羽目になった。
それでもじっくり考えて少しづつ良い方向を目指せば、最悪の事態を迎えることはなかった。

色々な人にも出会って直接話が聞けたし、沢山の本を読んでそれらを自分なりにまとめられるようになった。
つまり経営の実学を身の丈起業向けにアレンジできるようになった。
だからこれからについても、「こうしたらどうか」、「ああしたらどうか」とアイディアが尽きないのである。
もちろんすべてが成功する訳ではないが、その中の一つや二つはうまく行くだろう。

私は営業も上手い方ではないし、頭の中も並の人間である。
でもすぐに成果を上げる、という方法より時間をかける方を選んだお蔭で現在に至っている。

行き詰まっているなら、ちょっとだけ真似してみたらどうだろう。
そう、時間軸を味方につけてマイペースで進むだけでいい。
それと一日に一つ、だ。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする