河瀬ビジネスサロン ライフワークを育てよう!

コーディネイター河瀬謙一@SOHO CITY みたかからの発信。
お金をかけない起業と経営で豊かな人生を!

実行へのヒント-548

2011年04月28日 | Weblog
あそび

自分の仕事のテーマを決めて、精いっぱい努力を続けるのが成功の早道である。
しかし、その過程は一律ではない。

まず、頭脳で構想を固めてから取り掛かるタイプ。
一方で、すぐ現地へ行き、あるいは素材を手にして実際に体を動かして調整をかけてゆくタイプ。

頭脳で攻めるか、あるいは体で攻めるかだが、両者の間にはそれぞれの混合比率を変えた幾つもの
事例があるはずである。

自分はどのタイプなのか、どうすれば効率が上がるか、は体得しておく方が得である。
もちろん、ケースバイケースで混合比を変える事も必要になってくる。

もちろん最後のゴールは、高めに設定しておいた方が自分が伸びる。
成果のレベルが高いので競争力もつく。

しかし、いずれにせよそのスタートはささやかなものであるに違いない。
いや、そうでなくてはならない。
特にまったく新しい事を始めるには、低いレベルから徐々に上げていくに限る。

そこで必要なのは”あそび”である。
”あそび”とは、例えば自動車のハンドルの事だ。

ハンドルに”あそび”があるからこそ、我々は思った通りに運転が出来る。

もし”あそび”が無かったら、あるいは”あそび”がありすぎたらどうだろう?
もう答えはわかっている。

そう、物事を進めるには、適当な”あそび”が必要である。
そうしないと仕事では、燃え尽きたり、空中分解を起こしたりする。

”あそび”は自ら、その時々の状況に応じて取り入れなければならない。
これは重要な要素だ。
だからこれを無視した”ガンバリズム”では、良い仕事はできない。
安定出力が出来ない。

「自分には、上手に”あそび”を取り入れコントロールする力や工夫が足りないかも」
と、一度見直しをかけることは悪くない。
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実行へのヒント-547

2011年04月17日 | Weblog
ワシントン日米協会のKさんから、今年もジャパンボウルが無事に終わった
と連絡があった。

ジャパンボウルとは、毎年さくらの季節に全米の高校生を対象に行われる
・日本クイズ大会
のことである。

アキバの話題から茶道、柔道の事など。
あるいは、日本各地の名所や名物など。
様々な日本クイズを勝ち抜いてきた高校生のチームが、日本クイズ、NO1をかけて
争う。

その出場者が日本、特に東北地方の方たちに向けて応援のムービーを作成して
くれた。

(ムービーはここ
http://www.youtube.com/user/JASWutube

もしお知り合いの方に転送していただくチャンスがあるならば、ぜひお願いしたい。

さて、日本は孤立をしている、日本の外交はヘタッピ、いつも謝罪外交だ。
とは常々言われる事である。

でも日本のファンはアメリカにもいる。
おそらくどこの国にもいる。
それは民間外交の成果でもある。
このムービーを観れば理屈抜きにそれがわかるが、実にありがたい事だ。

この時期、日本には世界と新たな手を結ぶ扉が開かれたと思われる。
もし政府がそれを下手に行うならば、我々がそれをカバーする努力をしよう。
小さな行動でも実際にやろう。

何でも政府が悪い。政府は何でもやるべきだ。
そんな他人任せの意識が日本を蝕んでいたように思う。
ダメ、と判断したらアテにしなければいいのである。

自らが動くこと。
動く事自体の体感、爽快さの共有。
実際にやる人が力を合わせる事。

まずはここからである。
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実行へのヒント-546

2011年04月16日 | Weblog
惚れる

学校のテストでは、100点満点を目指して頑張る。
社会では、当面120点満点くらいを目指して頑張っていると思う。
社会での成功の方がハードルは高い。
しかも時間が経つと、どんどん高くなる。

一方で、社会はカンニングを許している。
上手くいっている商売があったなら、公開資料や店頭観察、パンフレットなどで
その事業の骨格が分かる。
どうぞ、カンニングしてください、という資料なら公開されている。

社会は再入学(やり直し)も、自己判断での卒業もある。
学部(事業テーマ)の変更も自由自在だ。
ならば伸び伸びと仕事をやったらいい、とこうなる。

そういう仕事を選ぶ。
あるいは方法を選ぶ。
そして得た分はお客様へ還元するのである。

そしてまた仕事が面白くなって伸びていく。

これはごく単純簡単な事だが、頭のいい人には出来かねるらしい。
まあ、それでも自分はやったらよいと思っている。

寝ても覚めても、仕事の事が頭から離れない。
そんな人がいる。
では、ノイローゼになったり疲れきっているか、というとそうではない。
元気はつらつである。

一方で時間を持てあましている人がうろうろしている。
その落差には驚きを禁じ得ない。

要は仕事に惚れているかどうか、だ。

惚れてしまえば何でもやる。
出来る。
それが人間だと思う。
その力は誰にでも備わっているから、あとは自らを導けばよいわけだ。
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実行へのヒント-545

2011年04月15日 | Weblog
やりがい

社会は技術開発を核に発展し、未来の人間社会はどんどん豊かなものになる。
そんな雰囲気が1970年代後半にはあったが、それはどうも間違っっていたようである。

当時の好ましい若者像は、結果から言うと単なる学校秀才、というだけであったし、
社会の中にある硬直組織は、良い慣習も悪い慣習も生み出続け、自由と楽しみを奪った、
という面がある。
組織人の悩みは、収入を得る手段としての組織から離れない限り、その呪縛から逃れら
れないところにある。

威勢の良かった企業人、組織人は、あるとき大渋滞の中に巻き込まれている自分を発見し、
愕然とした事だろう。

さて、リストラもごく普通に行われるようになると、人々は自己防衛のために策を講じる。
SOHOスタイルでの起業もその一つである。

そうして社会は成熟し、多様化の時代を迎えた。
日本も心豊かにGDPを落としていく時代に突入している。

前例が壊れ、我々はある意味荒野を目の前にしている。
しかし生きるためには、新たな一歩を踏み出さねばならない。

それはつまり、我々が過ごす今から将来の事は、いずれ振り返ってみると新しい事例に
溢れている、という事である。
手づくりの人生、という時代がやってきた。

もはやあなたは好ましい人間像に向けて生きるのではなく、
・私はこうやって生きた
という実感を得たい。
そのために生きるのだ、と願っているのではないだろうか。

その直感はあたっている。
それ故に共鳴する人も多い、と思われる。

そして、私たちがこれから行う事、やるべき事は、自らその新しい事例をワンサカ生み出す事
にある。
仕事においても、家庭においても、あるいは社会への参加においても。

しまし間違いなく、そのプロセスにおいて、必ず悩み、迷う。
同時に思わぬ成果や、感動、感激があるはずである。

そう考えると、なかなかオモロイ時代である。
考えようによっては、やり甲斐のある時代の到来である。
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実行へのヒント-544

2011年04月10日 | Weblog
やればわかる、が。

例えば何かを試しに売った、としよう。
そうすれば売上の結果だけではなく、その他にも色々とわかってくる。
何しろ、それらは生きた情報の塊である。

商売の手ごたえ。
相手の反応だけでなく息づかいも。
あるいは値づけの、善し悪し。
顧客の喜ぶ対応の発見。

等々が自分の目と耳で確かめられる。

これこそが世界で一番新しく、特別あなに有利に働く調査結果である。
そういう事が頭ではわかっているのに、なぜ人々は次の行動へと移さないのか?

それは、
1. 世の中はこんなものだ、と決めつけてしまっているから (頭脳硬直)。
2. その後どう展開するのか、結果がわからないから (追随主義)。
3. そこからのアイディアが湧かないから (想像力と創造力の圧倒的な欠如)。

などが思い浮かぶ。

やればわかる。
しかし動かない。

色々言うのは、そもそもやる気がないからだろう。
が、同時にやらなくても喰っていける日本になっていたから、でもある。

それはよかった。
ただ、これからはどうか?

やらない人は喰えなくなる。
あるいは収入がどんどん減る。
年金も使える額がどんどん減ってくる。
何しろこれから来るのは、不況に加えた大増税時代である。

組織に居るだけ、居ただけで豊かに過ごせた時代は終わったのである。
肩書で安穏に過ごせる時代も、追って終わりを告げるだろう。

ペイ フォァ ワーク。
これから来る時代の波は、意外とごく常識的な波である。
(今までが特殊だったのだ。それが常識…)

それ故に新しい波には早く乗った方が得である。
理屈をグダグダ言うのは勝手だが、結局は時間の無駄。

私たちは早速新しい時代の風をつかもう。
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実行へのヒント-543

2011年04月06日 | Weblog
問うは第一歩だが

何のために働くのか?
何のために生きるのか?
自分の生涯を通じて追及するテーマとは何か?
自分にとって幸せとは何か?

これらの問いは、哲学の第一歩である。
しかしその答えは容易には出ない。
しんどいが、むしろ問い続けることに意味がある、と前に述べた。

何故か。
それは問いそのものが絶対性を求めるのに対して、日常に暮らす我々は絶えず変化する
環境と、また己自身も変化する人間として生きているからである。

問いは静。
こちらは動。

自他ともに変化する複雑な構成だから、結局は一つの解にたどり着けないと思われる。
あるいはその解自体が揺らぐ。

そこで、”それとは何か”を言葉で表せば、
「そういう状態 (be)」
とならざるを得ない。

すなわち、その解は到達点にはなく、一瞬一瞬の”とき”と共ににあるらしい。

だから成功の第一歩は、今日という日を精一杯生きる事。
ぼんやりした遠くのものより、はっきりとした目の前の仕事を行う事、に戻っていく。

そして何度も繰り返すが、時代のカギは行動である。
世の中の大半の人の心が満たされないのは、無知だからではなく、無為によるのだ。
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実行へのヒント-542

2011年04月04日 | Weblog


何のために働くのか

「自分のために働け!!」
そう言い放ったのは本田宗一郎である。
しかし、このときHONDAの運命と社員個人の努力は完全にシンクロしていた。

つまり本田宗一郎は、
「会社のやめに働け、みんなのために働け」
と意味は同じ、と知っていた。
ただ、俺の表現はこうだ、というところにこだわったのである。

この12年、SOHO CITY みたかを振り返っても、金だけのために働いた人に伸びはない。

広く社会のために働くと、いずれ自分にもその利益は周ってくる。
世の中はそう出来ている。
日本人は昔からそう思って、仲間や地域のために汗を流した時代が続いている。

今も続いている。

戦後の一時期、欧米の樹人主義が流行り”個人のためだけ”に働く人がリーダーに
なった時期があったが、その振り子は反転した。

つまりいい意味での”先祖がえり”が始まっているのだ。

日本人は、その根っこを再び学び直して再スタートを切らねばならない、と10年前くらい
に予測して”日本の心研究会”というのをやった事がある。
座学が5-6回ほど。
同時に別途、茶会を開き仲間と語り合う時を過ごした。

何のために働くのか。

この命題は、短い言葉の中に長くかつ重い貴重なものごとをを秘めている。

だから、この春のうららかな陽気の中、仲間と語り合うのもいい。
あるいは、じっくりと自分に問うてみるのもいい。

答えを急ぐ必要はない。
問う事に価値がある。
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