河瀬ビジネスサロン ライフワークを育てよう!

コーディネイター河瀬謙一@SOHO CITY みたかからの発信。
お金をかけない起業と経営で豊かな人生を!

実行へのヒント-174

2008年03月30日 | Weblog
10年後、日本はSOHOだらけになる

会社にも役所にもウマミが少なくなれば、人間は生物として自由に生きるのが本能だから、独立できる人から独立するので10年後の日本はSOHOだらけになる。

それはSOHOと呼んでもいいし、IC(独立事業家)、フリーエージェント、スモールエンタプライズ、マイクロカンパニー、と呼び名は何でもいい。

もちろん大企業、中小企業と混在して社会は成り立っている。

しかし、その大企業はSOHO契約社員でいっぱい(笑)。
これ、うそのような本当の話である。

仕事は成果で支払い。
働くSOHOが契約している会社は5つ。
仕事はハード。
ただ仕事の後はそれぞれの仲間と一緒に食事をし情報交換。

休日は家族と団欒。
気候が良くなれば近場の山川へ。

仕事のほかに毎日の勉強は1時間。
土曜はアトリエで絵を描く。

上記の請負型のプロSOHOのほかに、プチ資本家のSOHOも増える。
とにかくいろんなSOHOがうわっと増える。

そんな時代にあなた自身はどうあるのか。

世間では格差社会の源は「知」であるということになっているが、本当にそれだけかどうか。

ともかく将来のことだからわからんが答えは自分で出せ、というのが社会の要求だ。

さあ、どうするか。
わかっているのは、留まることは退歩だという昔ながらの常識である。

よって答えの一つは「自身の仮説を立てよ」で、その後は自主性、行動力の発揮と続く。
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実行へのヒント-173

2008年03月29日 | Weblog
自立すること、個人で生きることを学校で教えられるか

知り合いの経済評論家、町田洋次さんがご自身のブログに書かれてる。

「(私は)東京の国立に住んでますが…(中略)そうなると、一橋大学は個人として強く生きて行ける人材を育てなくてはいけませんが、そうなっているかどうか、ちょっと不安があります。これは他の一流大学についても言えるわけですが(後略)。」

http://yymachida.ameblo.jp/

私も、三鷹のSOHOベンチャーカレッジで教えていて、ふと同じ事を考えることがある。
これからの時代には、独立して生活できるための教育が不可欠ではなかろうか、と。

ただ、それが学校だけで出来るのか、家庭教育も大変影響があるだろう。

私が小学生の頃は個人商店が活気を帯びていた時代だった。
大学を卒業する頃はサラリーマンが輝いていた。

これらの時代には「良い手本」が目の前、実社会の中にあった。
この視覚から来る実感と効果は大きい。
しかし今、個人で強く生きてゆく、といっても普段の生活の中でそれらの人達に出会うことは少なくなっている(アメリカにはある、と町田さんが続けて書いておられる)。

さあ、三鷹は”SOHO CITY みたか構想”を掲げ、SOHO事業者の集積を積極的に行っているが、もっと新しいライフスタイル(生き方)を”見せる化”するべきじゃないか、とこのBlogを読んで思い直した。

幸い三鷹SOHO倶楽部はそれらの発信を続けている。
感じたのはもっとSOHO事業者の実績拡充と発信力を強くせねば、だがこれはSOHO事業者にって都合がよくではなくもっと広い意味、つまり時代の要請ではないだろうか。
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実行へのヒント-172

2008年03月28日 | Weblog
SOHO社長がやっているのは
画一主義からの脱却

SOHO社長は自らの頭で考えた(あるいは体で覚えた)仕事をやっているから、自主性の塊である。

ハタから観ると、
「何であんな大変なことやってんだろう」
と不思議に思われるが、実は本人は何をやっていても案外楽しいのである。

そういう意識だから困難をも乗り越えてゆく。
「惚れてしまえば千里も一里」
とは本田宗一郎の弁。

つまり個性の発揮で、それは日本人が戦後教育されてきた画一主義からの脱却である。

「画一主義じゃつまらない」
が心の底にあって、自ら納得する行動をとっているのだ。

ここに人間としての普遍性とプライドがある。

だからこれからも独立する人が増え続ける。
しかしサラリーマンや組織人から見れば理解ができない。

ただ顔つきを見れば一目瞭然である。
サラリーマンよりSOHO社長の顔つきがいい。特に目の輝きが素晴らしい。
内部からエネルギーが湧出する。
自主性の発揮とはそういう効果がある。

画一主義で成功するのは大量生産の時代だけである。
発展途上国のオハナシである。

既に物が社会にあふれ、豊かな暮らしを手に入れた人が欲しいのは、他とは違うモノ・コトなのだ。

作るほうも買う方も”画一的なものはもういらない”という時代に入ったので、SOHO活躍の場は広がる一方である。
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実行へのヒント-171

2008年03月21日 | Weblog
着手すれば早い

人間は誰でも怠惰な一面を持っている。
あれもこれも、とやることを考えだけでつい億劫になるのもその一つだ。

だが、一度着手すると意外と早い。
「さーて、片付けちゃおうっと!」
こんな軽い調子で着手さえすれば早いゾ。

「ナニ、そうは行かないことも多い?」

まあ、そういうことはご自分と相談してください。
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実行へのヒント-170

2008年03月16日 | Weblog
創造力、連想力-2

もちろん事業に育てるために、こちらとしてはあの手この手を尽くす。

上手に花が咲いたら占有率100%の事業になる。
もし途中で競争相手が出てきても、自分のオリジナリティーを生かせれば差別化で利益を確保することが出来る。

中にはその事業組織を無理にでも大きくしたい、という人がいるが、時代は逆で規模は小さくても高収益の事業が狙い目である。

既に狙われてしまったものは他人の腕の中にあるのだから、時代の風を感じながら自分の足元をよーく見ること、これに尽きる。

伸ばすには時間軸を味方につける。
一挙に伸ばそうとしないことが大切。
(必ず資金の壁が来る。プロセスを楽しみながら堅実に伸ばすのが正しい)

そうそう、事業テーマに関して私がよく受ける質問に、
「万華鏡で食べられるのですか」
というのがある。

万華鏡はライフワークだ、と言っているのだから私にとっては大切な「テーマ」である。

まず、事業として食べられなくなれば、私の決断で止めるだけだから大きなお世話じゃないですか(笑)。
しかし本当の意味で自らの事業を手がけた経験がある人なら、世の中のものはすべてつながるのだから、という考えが働くはずである。

一種の連想ゲームだが、もし理工系の出身者ならば、「お、万華鏡」「面白いね、楽しいね」「光だね」で、次にアインシュタインの特殊相違性理論から導かれる式、
E=mc²
くらいは頭に浮かべてほしい、とも思う(役に立たなくとも)。

それはこれから咲く「桜」を観て、
・ 春に咲くピンクの花
という以外に様々なことを想い感じるのと同じである。

例えば「武士(もののふ)の…」とか「四季の唄」や「小学校の入学式」、「初恋」とか。
その他にも「春の風」や「子供の声」、「楽しげな家族の団欒」「青いシート」「ビール」「焼き鳥」「一升ビン」も出てくるのでは。

その新しいアイディアや連想を組み合わせて事業性を持つように、ずっと考え試し続けるのが社長の仕事である。
新規事業はそうやって社長自身が手がけるか、直轄部隊でやらなくては実現しないのである。

事業の実現には、そんな創造力、連想力に加えて育てる不断の努力が必要だ。

しかし自分の考え付いたことなら楽しい。
疲れることを知らない(いや、疲れることはあっても何度でも挑戦したくなる)。

ここがミソである。
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実行へのヒント-169

2008年03月16日 | Weblog
創造力、連想力-1

起業コースなどを受講していて一番苦しいのは、最後まで自分の起業の「テーマ」が決まらないケースである。

確かに同情はするが、新規事業の「芽」というのは実はそこらじゅうにあるのだ。
ただ、まだ世間に評価されていないだけである。長期サラリーマン経験者は”それ”を「データ」や「他人の評価」を基準に探そうとするから結局わからなくなってしまう。

「自分でやりがいのあるテーマを見つけたら楽しいよ」
「足元に転がっているはずだから自分の足元を掘ってみよう」
「街に出てみよう。何か感じるはずだ」
と声をかけるが、多くの人は足元を掘らないであっちの方を掘ってしまう。

残念だが考える次元が浅く、また尽くしてもいない。

「テーマ」は社長がまず何かを感じるものでなくてはどうしようもないのだ(その後に料理ができない)。

足元を見つめ、想像力を大きく働かすことによって新事業の「芽」を発見し、次に枝を伸ばし、小さな葉をつけるようにするのである。ここまでが「思いつき」から「初期構想」の段階。

そこまでしたら栄養剤を与える。
つまり小規模で実験、実行してみるのである。
小銭を投資してやってみる。

園芸で言えば”肥料”と”水”である。
一鉢でいい。

太陽(社長の構想)の基で芽を出し枝を伸ばした「新事業コンセプト」は、そうこうしているうちに時間をかけ徐々に育ってゆくのである。
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実行へのヒント-168

2008年03月14日 | Weblog
会社は社長で決まり

大企業、大組織に就職するのがよしとされた時代から、どんどん社会の環境、状況が変化して常識も変わり、個人会社もいいね、という時代になった。

絶対有利は無くなり、相対関係で評価が決まる時代である。

まだまだ国家の大組織なら素晴らしい、と言えなくもないが、一方でずいぶんひどい話がある、とマスコミが暴いている。
国民はあきれている。

会社にしても大きいからいいのではなく、個人から見たら大切なのは自分の収入と自分の行く末である。

外資系企業は比較すると給与が高いが、そのポジションに留まる安全率をかけると、日本企業とどちらが良いとは一概に言えない。

個人会社も同じ。
SOHOなら良いというわけではない。

で、結論は絶対利益額/1人当り。

規模ではなくこの数値が高い会社がいい会社である。
それは社長によって決まる。

「いい会社、悪い会社があるんじゃなく、いい社長か悪い社長かなんだ」と市倉定さんは言い切った。

人生は金だけでは計られない、ということを勘案しても現実論では正にそうである。
単なる個人作業者ならともかく、SOHO社長ならばこの現実をしっかり受け止めようじゃないか。
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実行へのヒント-167

2008年03月11日 | Weblog
子供にもSOHO生活を勧めるか

以前、
・フリーエージェント社会の到来(2002年刊・ダイヤモンド社)
を紹介した。

時代の流れは組織人から個人へ。
まず第一にお金やモノを目指すのでなく、自分の人生を生きるための”お金”や”モノ”で従来とは逆、そんな内容である。

一読をお勧めします。

さて、私は毎日仕事と格闘しながらも日本風のSOHOスタイルの生活を楽しんでいる。
だから子供にもこのような生活を勧めたいと思っている。

その理由は沢山あるけれど、思いつくまま書けば…、

・ 失敗してもガミガミ言う上司がいないのは最高である。
・ お金の威力も、その毒もわかってくる。これは給料が振り込まれる生活では味わえないだろう。
・ 何よりも自分の好きなことが出来る。我慢して高給を取るより心の満足が多い。
・ 好きな園芸が仕事の合間に楽しめる。
・ 転勤がない。東京ライフは楽しい。
・ なんでもが快適ではないが、自分の手で人生を作っている気がする。手ごたえがある。

などである。

何よりも朝、少々まどろんだ後に、
「さぁやるぞぉ~ぅ!」
と腹の底から思える日があるのは、自分自身が選び取った仕事やライフスタイルだからこそ。

子供にも”こういう時”を味わってほしいと思うからだ。
もっとも彼らの”選択の自由”が優先されるけれども…(笑)。
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もっと楽に行こう

2008年03月08日 | Weblog
他人にどう思われても…

度々私のBlogに登場する心理学者の加藤諦三さんの講演にこんな話しが出てくる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ある夫婦が自分たちには子供が出来ないことがわかったので、奥さんは犬を飼いたいと言い出した。

ところが夫は、
「犬を飼ったら、あの夫婦は子供が出来ないから犬を飼ったと言われる」
と、その申し出を断った。

奥さんは子供が出来ないという現実を受け入れて”それでもどうしたら人生がより充実できるか”を考えていたのでがっかりする。最後には喧嘩になってしまい離婚を決意する。

しかし夫は離婚にも反対した。
「離婚したら周りの人がどう言うか…」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上私の意訳だが、まあ似たような話は沢山ある。

より重要なのは、自分自身がそんな束縛を自分にしかけているんじゃないか、と疑って点検してみることである。

OO常務がこう言ったから…
社会規範に照らし合わせてOOしなければならない…
社会のために、地域のために、皆のために…

いい事をやるのはもちろん結構なことだし、人間ならば「良い人」と思われる方が「悪い人」と言われるより気分がいいに決まっている。

しかしだからと言って、自分の内側の要求を押さえつけるのは、結局自分自身のためにも社会のためにもならない(自己の抑圧という)。

他人にどう思われようが、究極的には自分ひとりでも平気ということ。
そういう人は自他の境界がはっきりしている=他人との違いを受け入れる=自分を受け入れる

それが大人、という話である。
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「サロン」の品格

2008年03月06日 | Weblog
藤原正彦さんの「国家の品格 (新潮新書) 」が話題になった頃、評論家の日下公人さんのセミナーに出たら、「会社の品格」という本を書いてくれませんか、とあちこちの出版社から問い合わせが相次いだ、とのこと。

が、丁重にお断りしたという話があります。

さて、国家の品格ならぬ「サロンの品格」。
「サロン」はざっくばらんに言えば”たまり場”なので、品格はそのたまり場を形成する人たちのレベルのことです。

ネットワーク社会になると会社に行かなくても仕事が出来やすい環境になり、既にアメリカの1/4か1/3のワーカーは自分で事業をやっています。産業資本主義を超えて個人資本主義に入った、つまりソフト産業に従事している人たちのことです。

こういう人たちは仲間とよく集まります。
そこが「サロン」。

よいサロンからは様々なものが飛び出してきます。
「王立アカデミー」
「新聞社」
これ、イギリスのサロンから出た成果です。

科学好きが集まると科学アカデミー(後に権威付けで王立になる)。
新種の話題が集まると新聞社が出来るというわけです。
「コーヒーハウス」というたまり場で話していたら出来てしまった。
これ高級の方です。
飲んでいたのはコーヒーでなく紅茶ですが。

低級は「チョコレートハウス」といって、女性がもてなしたりアルコールサービスがあった。
ここからは何も出ません。
快楽と毒にも得にもならない話ばかりだからです。

今後は「サロン」の品格が問われる時代です。
「サロン」は集まる人のレベルで決まってしまいます。

そう言われれば誰でも「サロン」へ参加しているでしょう。
自分も含めてどのレベルか、一度客観的に診てみたら…。

よければ結構、そうでなければご用心。
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