河瀬ビジネスサロン ライフワークを育てよう!

コーディネイター河瀬謙一@SOHO CITY みたかからの発信。
お金をかけない起業と経営で豊かな人生を!

実行へのヒント808

2024年04月13日 | Weblog



魅力のつくり方

ビジネスでも公共の仕事でも時代が変わっていくのだから、その波に乗って変わった方が楽しいし、何より成果が出る。

そしてどの時代にも求められるのは魅力である。

魅力づくりや差別化が大変だというビジネスマンは多い。
確かにそうだろう。
簡単ではない。

しかし現実には単純かつ誰にでもできる法則、といったものがある。
それはこうだ。

1.自社の魅力づくりをじっくり考えてみる。
  売るもの、売り方の両方から考えてみるとよい。
  アイディアを練る。
2.次に何度か試してみる。
  実際の感触が分かる。
  お客様に受けるか否か、もわかる。
  お客様の反応を取り入れ、もう少し試してみる。
3.さあ、ここで検討すべき課題と対応策がおおよそ出揃うはずである。
  そこでおもむろに、心を透明にして上流工程からの設計を行う。

そして実行すれば大概受ける。
それでも受けなければ、1.~3.を繰り返す。

法則は以上である。

もし、それでも受けなければ、それは前提が間違っているのである。
だから最上流工程である「前提」を再検討すべきだ。

このようなアプローチをもう少し論理的にしたものを「エフェクチュエーション」と呼ぶ。

・手元のできるところからスタートする
・空白の画用紙に島を描いていくイメージ
・最後まで空白は無くならない

の3点が特徴だ。
インド生まれのサラス・サラスバシー博士により2008年に提唱された。

最初に戻って、魅力づくりは本当に不可能なのだろうか。
今一度、静かなところで自分自身に問うてみればいい。
そぉか、こう考えればいいのだと気づけば値千金。
今までの努力を否定することなく、新たな自分のありかたを、新たなレイヤーにして上からかぶせればいい。
これがパラダイム・チェンジである。
だから古いパラダイムに縛られていると、新しい現象を理解できないし、打ち手も読めない。

しかし時代の前提が行き詰まり、新たなパラダイムに入ったことを示す兆候はあちらこちらにある。
外部環境は確かに大きく変化している。
さあどうしようか、の時代である。

この状態を「閉塞感」と片づけるか、「新たなチャンス」と見るかは正に本人次第である。

見方を変え、考え方を変え、行動してみれば、私が何を言っているのかが分かる。
行動しない人には実感がなく、机上のロジックで勝負を繰り返す。
つまり古いパラダイムから抜けられない。

世の中は千変万化。
だから変わらない、とした「前提」に手をつけることは重要なのだ。
それには先ず本気で取り組む事。
同時に身体を動かすことをお勧めしたい。


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実行へのヒント807

2024年03月01日 | Weblog


「大衆副業化社会」の到来

成長停止経済を迎えた日本での増収計画の一端について前回述べた。
何よりも、これは日本中が「大衆副業化社会」を迎えたことを示す。

「大衆副業化社会」とはなにか。
これを説明するには”パラレルキャリア”の概念について確認すると分かり易い。

パラレルキャリアとはピーター・ドラッカーによって提唱された言葉で、個人の労働寿命が企業の平均寿命を上回ってしまったことから生まれた。
更に進化し、本業を持ちながら副業で楽しむ、あるいは本業とボランティア活動を行い、様々な人を知り、より深く生きることが出来るありかたとして知られるようになった。
自分自身の成長と社会へのプラス要因の概念として法政大学大学院・石山恒貴教授が提唱、研究されている。

図示したのはその概念を整理したもので、何もこの4つのワクに限る話ではない。
人間は太古の昔から、意外とパラレルワークを実行していたとも言える(縄文時代の竪穴式住居群)。

逆に一番単純なモデルは、会社に勤めながら家族を持つ日本人そのものだ。
会社で働いた後の家族団らんといえば微笑ましいが、吞み過ぎて帰宅が遅くなり、奥さんから大目玉を食らったとか(笑)。

そう考えれば、
「おれもやってるんだなぁ~」
と思わず納得してしまう人は多いだろう。

逆にマイナス効果としては、活動の表面積が広がるために「わずらわしい」「自分の時間が少なくなる」などの声が実際に多数ある。

これを上手にこなすヒントとして、
・自分に時間と負荷をかけすぎない工夫をすること
を挙げたい。

周囲には、
・他人に強いない心遣いのある大人の集団
を心掛けてほしい。

それでも心無い人は社会に存在する。
こんな人に出会った場合、私はこう呟く。
「学ばせていただき、ありがとうございます。これで私の人生も、ひとついろどり豊かになりました」

自らの人生を豊かに過ごそう、と決心することで自分自身の解釈を変える。
決して相手を変えようとしないところに、大いなる工夫の余地がある(爆!)。

さらに言えば、人生に健全な意欲がある人だけが、
・パラレルキャリアとか
・副業を
行うのであり、そうでない人は今のまま、そのままでよい。

けれど大衆副業化時代とパラレルキャリアは広がるだろう。
やはり豊かな人生を求めるのが人間本来の姿だからだ。

一方で何もやらない人も、それはそれで立派な人生だ。
本人が嘆きさえしなければ。






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実行へのヒント806

2024年02月23日 | Weblog


推定増収100億円プロジェクト

経済成長は60年代を頂点に近年の日本経済の成長は良くて1%程度、伸びていると言われる米国も1-2%である。
10年分を足し算すると、
・100が110になる世界で生きている(実体経済)。

一方、時価総額の世界では金融緩和で刷りまくった金が土地と株に流れ、今日は過去最高の株価となった。
実体経済から派生する時価総額というものは、
・100が300とか400になっている世界らしい。

派生する方の金が増えたからと言って、実体経済が動くわけではない。
いずれどうなるかは歴史が示している通りである。

一方すぐそこにある幸せをつかみ、経済的に豊かを目指す方法は、あまりにも単純なので忘れられている。
つまり「働くこと」である。
今は副業という手段も広がった。
お金さえかけすぎなければリスクは低い。
副業で趣味のモノを売ったり、効率は悪いが丁寧に教えるサービス業には勝ち目がある。
誰が何と言おうと、理に適っているからだ。

そこで仮に20万人の地域(自治体)があり、そのうちたった5%相当の10,000人が副業で年間100万円を稼いだとしよう。
(月収は8万5千円くらいだ)
100万円×1万人=100億円
となる。
これが増収100億円プロジェクトの正体である。

新たに100万円が懐に入ると、人は20-30万円ほどは使いたくなるものである。
それが地域に落ちるか、都心の魅力に支払われるかはわからない。
しかしその分、日本の景気は底上げされる。
少なくとも個人的には気分がいい。

まちの空気も変わる。
例えば”駅前活性化”は常とう句だが、現実にどうするかの議論がすっぽり抜け落ちている。
駅前の風景はそのままに、2階で働く奥さんが得意技を発揮し、あるいは新たに学んだ技を活かして年に100万円を稼ぐことは十分に可能だ。
景気の良い笑顔が広がるだろう。

この考え方を10の地域が行えば1,000億円。
100の地域が行えば1兆円が国民の懐に直接転がり込む。
そのうち20-30%が使われると・・・。

という世界が目の前に広がっている。
このように個人からの収入増という視点から見れば、可能性は未開発状態だと言える。

成長停止経済を迎えた日本でも、視点さえ変えれば豊かさへの可能性はまだまだ広がる。
変えたくない人は社会に文句を言うが、果たしてそれで何が手に入るのか。

働くと元気になる。
小遣いが増えて気分もよい。
周囲も協力してくれて笑顔が広がる。
それに100万円稼げば、次は300万円を稼ぎたくなるのが人間じゃなかろうか。



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実行へのヒント805

2024年02月16日 | Weblog


生れながらの素質

起業成功率のデータにもいろいろあるが、ざっくり言えば10年経って起業家が生き残る確率は1割だ。
ベンチャーの場合は、よくて千に3つと言われ、現実はおそらく万に3つか十万に3つだろう。
それに比べ身の丈起業では十に3つだ。

すぐそこにある幸せをつかもう。

やるべきことは、遠くにぼんやり見えるものを見ることではなく、 手近にはっきり見えるものを行うことである(トーマス・カーライル:19世紀イギリスの歴史家・評論家)。

実際に目に見える物事や感じられるものは、工夫改良の手も見出しやすい。
参入市場と顧客のインサイト(人の隠れた本質、欲求)は実際に会って聞くことにより明確になる。
これをITを使ってやるから遠くにぼんやりと存在するものに感じられてしまう。
すぐデータを持ち出して理論づけするからイシュー(本当に考えるべきこと、話し合うべきこと)を外す。

ズレまくり、が世の中に散見されるのはこの流行のためである。
データーと論理に裏打ちされたとは、データーに振り回されることではなく、データーをうまく使うところに妙味がある。

馬鹿と鋏は使いよう。

そのようなまともに見えるノウハウ論より前に、自分の素質や何らかの才能、特徴を生かすことからスタートしたほうが早く効果的だ。
そして動くこと。
人に会う事。
話し教えてもらう事。

考え込むことに没頭するのは充分に動いてからである。
出来る限りの情報を集めよ。
それからじっくり熟慮と論理を積み重ねたらよい。
あなたが自分の仕事を現実に行う場合には、だ。

こう言うと、データ数字の重要性だの解析した数字がどうのこうのというが、そんな上っ面の事を言っても問題の核心には迫れない。
大企業の数字が伸びないのはそのためでもある(一種の流行である)。
また、上司に説明するには便利だが、我々に上司はいない。

自分を生かし相手に喜ばれる点はどこに生ずるか。
この一点に絞り歩き回るだけでも、何倍ものヒントを自ら得ることが出来る。

学んで、学んで、学びぬいてもそれは一種の病だよ、と老子は言った。
誰でも一度はその病にかかるがね、とも。
そしてその病に侵されていると悟ればすぐ直ると教えた。

学んで、学んで、角を矯めて牛を殺しては元も子もない。
それより試行錯誤を重ね、世間という時代にもまれながら自らの素質を見出すこと。
それに磨きをかける事だ。

人間は本気で集中することにより、思わぬ力を発揮する。
ただ簡単だ、とは言わない。
しかしそのプロセスで本来の自分を育てていく。
そのときは充分な経済力も自然についてくる。
これが本来の成功の姿であろう。


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実行へのヒント804

2023年12月25日 | Weblog


学びて行う者は 食うに困らず

池田隼人は大蔵省出身の内閣総理大臣で、昭和30年代に活躍した。
20才代の人には古い人で知る人も少ないだろう。
説明を加えると、日本の高度成長経済に腕を振るった日本の総理大臣である。
日本人を豊かにする、と言って国民を率いた人。
同時に、国民皆保険・皆年金制度の運用が始まるときに政権を率いたことでも知られる。

思い出すのは、
「働かざる者 喰うべからず」
のフレーズで、働けば日本人は豊かになるという事から勤労国家日本を標榜した。

これを令和の時代風に表現すれば、
「学びて行う者は 食うに困らず」
であり、学ぶことと実行する人はこれからの時代に活躍する。

ここで学ぶとは、学校で優秀な成績を残す事ではない。

先ずは社会人として自分を活かすための学びがある。
次に会社での仕事においてお客様や業者から学ぶ。
同時に会社の窓から見える社会から学ぶ。
最後に学問で、これは事にあたった時に足りないものを独学(逆勉)するか、プロに学べばよい。

これらの学びの成果をひと言で言えば、
右へ行くか、左へ行くか、迷ったときにジャッジが出来る学びである。

学ばない場合には自ら時代に落ちこぼれるか、有能な人が離れていくか、のどちらかである。
努力して社会性と学問を身につけた人から見れば、パフォーマンスとQOLが著しく下がる人と組むわけがない。

具体例で言うと、以前は会社の方針と情報を握っていた上層部からの命令で社員が動いていればよかった。
現代は情報を顧客に近い人が持つようになったから、
「こうしろ」
と言われても、
「そうではなく、こういう事が現実に起こっています」
と言えなければ、正確な現場情報を上層部に伝えることが出来ない。

そもそも情報に階級はないし、一次情報は死守すべきものだから、これができない組織はすでに時代遅れである。
つまり儲けられない。
人気を著しく失う(ビッグモーター、ダイハツ等)も同じだ。
人が寄らなくなる。
まっとうな人は組織を去る。

つまり現在は「小さな”まだら”」だが、地下でゲームチェンジが進行しているのである。
自然淘汰ではなく、その変化スピードは何倍も速い。

結局は、社会と学問から学び続けた人が上位に躍り出る。
そのためには新たなチャレンジが必要だが、それの成功率は低い。

この矛盾を勘案すると再チャレンジが奨励される社会にならざるを得ない。
チャレンジしないコストの方が大きくなったからだ。
それが奨励されなければ、プレーヤーからその組織なりコミュニティを見捨てる。
やってもやっても、愚かな人の愚かな評価しか得られなければ
「阿保らしい」
と思うのはごく自然なことだ。

それらを経て万人にランクアップと、成功へのチャンスの機会が与えられる社会がつくられるだろう。
再チャレンジの機会を何回でも行使できる社会到来である。
(それに気づかないのも自由ではあるが)

だから、
「21世紀は知識社会である」
と言ったピータードラッガーの言葉を噛みしめてほしい。
この知識社会の知識とは、どこかの本に書いてある知識ではない。
つまり経験から得たものを混ぜ合わせ、生き抜くために使える無尽蔵な資源を「知識」と呼ぶ。
あるいは「体得した智慧」のことと言ってもよい。
具体的には、課題を目の前にして、今ここにある問題への判断力と実行力発揮の二つが核だ。
智慧の行使は運をも呼ぶ。

つまりあなたの全部がこれからの勝負である。

さて来年の干支は「甲辰」。
成功という芽が成長して形を整えていく年だそうだ。
未来は未知なのだから100点を狙わず、75点満点で行動する心のゆとりも大切だろう。

皆様どうぞ良いお年をお迎えください。





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実行へのヒント803

2023年12月06日 | Weblog


スペース10

スペース10はIKEAと組んで、7-8年ほど活動を続けたデンマークの会社である。
建築、食品、生成AI、などの分野で革新的なプロジェクトを生み出した。

私が興味を持つのは、その結果ではなく思考と行動のありかただ。

・漸進的な改革を目指さない
・新しい可能性と市場に焦点を当てる
・変化をマネジメントする

などのポイントをちゃんと抑えている。
スペース10の紹介サイトはココにあるが、最新の7つのプロジェクトが紹介されている。
それらは、

01. コンテナが住居になる「村」
02. 明日からのミートボール
03. オーディオガイドがいつもそばに
04. クリーンエネルギーのガイドブック
05. 若者による若者のためのシェアリビング
06. オープンな室内農業システム
07. “ドライバーレス”で移動するスペース

などである。
よく考えてみると「何だかおかしい」「なんだか不便だ」「こんな可能性があるんじゃないか」を実際にやってみたことが素晴らしい。
結果をTVコメンテータのように評価する人は、それだけで1周遅れている。
(2周かもしれない)

課題はそれぞれの国や個人によって違う。
だから、それらにアプローチする際にはローカライズした課題設定と手法(HOW)を編み出せばよい。

それは大変な事だろうか。
勿論大変である。
ただし何回も失敗することを許される文化の中にあれば、それは愉快な時間に変身する。

今までの日本社会のように、いい学校-いい会社のようなリニア経路ではない。
そのような感覚(評価)では、そもそも怖くて解決しようという気が起こらないだろう。
一種の「野生の思考」が必要である(みんな持っているがね、とレヴィストロースは言った)。

さて、ある調査によると、日本人の9割の人は「物を買う」必要がないと言っている。
つまり物は溢れている。

何が不足しているのか。
おそらく生きがいだろう。
手ごたえと言ってもよい。

それらの多くは、自分から動いていかないと手に入らない。
業務命令で
「こうしました」
と言ったところで、大した成果は出ない。
これは面白い社会現象だが、パソコン化に負けたIBMとか、日本の携帯電話が全滅してスマホになったとか、一流企業で出世しても本人の感想は大したことが無かった、とか結構実在する。

さて、もう一度スペース10の話に戻りその活動をひと言で言えば、チャレンジの時代がやって来たという事である。
ざっくりまとめよう。

・チャレンジの時代が来た
・今までの方法は選ばない方が良い
・新たな可能性に賢くフォーカスする
・何度も失敗しながら成し遂げる
・失敗を非難する文化は持たない

などで、それは今の日本社会、企業文化では歓迎されないものばかりである。
何故なら無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)があるからだ。
同時に、スペース10のメンバーが非常に賢く活動していた証明でもある。
(そうでなければ続かない)

同時に海外事例にかぶれることなく、我々の設定したテーマに対し、我々の方法でやればよい。
自らやれば、その手ごたえから次が見えるだろう。
やらない人は口だけが達者になるだろう。
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実行へのヒント802

2023年11月19日 | Weblog



個別開花

「世界に一つだけの花」は解散してしまったSMAPの楽曲で、槇原敬之氏により作詞作曲された作品だ。
2003年に発売されたシングルは、オリコン週間シングルランキングで第1位を獲得した。

「No.1 にならなくてもいい」
「もともと特別な only one」

のフレーズが多くの人の心をノックした。

もっとも人間はもともとonly one であるが、ある時期からいろいろなレッテルを貼られてある一群にはめ込まれる。
が、いずれ元に戻ってくる。
多くの人にとってそれは定年退職という形でやってくる。

先ずは解放感。
その次は何をやるか、と気持ちは移る。
ここが人生で大事だという認識はある。

だから、
「俺はこれをやりたい」
と決めた人の前途は明るい。
目標を決めた人は強いからだ。
社会人経験もある。
家も貯金も資産もある。
あるあるだらけの中、ゆとりもあるから条件的には非常に有利だ。

そのうちの何割かが起業を実行する。
全員が最初から成功する訳ではないが、お金を注ぎ込まなければ再挑戦は容易い。
加えて今までの経験を活かせれば、つなぎ目のショックは最小限で済む。

ゴルフや釣りなどの趣味も楽しむから、年金副業組はイキイキしている。
手慣れた仕事をマイペースで行えば冴えが出る。
仕事時間は減るが手は抜かないという具合だ。
こうなれば一種のマイスターで、これからの人生を模索する人のお手本になるだろう。

充実した人生を送りたい。
自分の人生に納得したい。
などは人間の根源的な欲求だから、それぞれの目標に向かって歩む姿は美しいし、そうなりたいと思う人が増えるだろう。
その意味ではSOHO社長も同じである。

一方でお金に不自由せず、趣味に没頭するのも悪くはない。
この中に心躍る瞬間を見つけられれば幸せだ。
しかし「楽しいからやっている」レベルでは、特別なものは得られないだろう。

「人生の充実とは意味ある事に向けて格闘している時に訪れる」
という意味のことを、第二次世界大戦でホロコーストを経験したヴィクトール・フランクルが言っている。

私はこの言葉に触れたとき、三鷹のSOHOと年金副業組の顔を思い出していた。
Only one の花を咲かせる人々のことである。
コーチングの世界では、このような状態を個別開花という。

それへの努力は実に有意義なものだ。
そして同時にそれは格闘でもある。

とすれば自分に合った目標を持ち、実行し、結果としてある程度の経済力を保持する。
それへの人生デザイン力と試行錯誤はこれから生きる人のための重要事項だと思われる。
決して与えられる種のモノではない。
だからそれまでに「俺はこれをやりたい」を持とう。

並行して、ここら辺にポストモダンへの回答~生きるに値する人生~の意味成分が多く含まれていると思われる。
そして「もともと特別な only one」への入り口とは虹のかなただけにあるのではなく、実は身近にもあるというのが私の見立てだ。


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実行へのヒント-801

2023年11月13日 | Weblog


ネット大で今晩は!

今年の”みたか身の丈チャレンジ”連続講座が、夜の7時から三鷹ネットワーク大学で開催されている。
8日の水曜日は森下ことみさんが講師となり、これまでのSOHO CITY みたかに関わる話題と、ここ数年新宿区高田の馬場で展開しているコワーキングスペース、ケース新宿経営までの話を一気通貫で開陳された。

ポイントは3つ。

・何歳からでも起業できる
・自分の仕事で居場所をつくる
・仕事をする、から仕事と暮らしとの融合

働くことと日々の暮らしが融合している。
その森下さんと私はSOHOパイロットオフィスから25年のつき合いになる。
当時彼女は受付のアルバイトで私は毎週一回SOHOオフィス登場するSOHOコーディネイタ。

実際、森下さんとそのチームは才女軍団で、受付のアルバイトから有限会社そーほっとをつくり、数年前に高田馬場駅前に150坪を経営する(株)まちづくり高田馬場を買い取った辣腕家チームである。
それらの話はココ

それは体力的には大変でも、気分的には楽なので、結果的にどちらの活動も自然に続けられる状態となる(≒ウェルビーング)。
同時に毎日が試練であり解決への努力である。
このふたつの表現は明らかに矛盾しているが、そうだろうか。

こんな話がある。
アメリカイリノイ州のインディアンの風習ある鷲狩りと儀礼の話だ。

空を高く飛ぶ猛禽類は太陽に近く崇高である。
それ故に彼らはそれを直接捕えない。
兎をささげる儀式を行ったうえで、その肉に引き付けられた鷲を捕獲するという。
太陽に近く高貴で崇高な鷲は傷つけられないままに捕獲されることが重要であるらしい。

儀式がクッションとして入っている。
しかもこれらのクッション入りの行動は、彼らの伝承話とリンクしている。
これらの非合理的なあれやこれやの間を人々が行き来する間に全体が整えられる、という。

非効率なものを切り捨てていくと、一瞬数字は上がるがその後下がり続ける。
選択と集中も、やりすぎればただの方法論である。
考えているだけでは答えは出ない。
何かを探して行動してみることだ。
一二発撃ったくらいで当たるわけがない。

では三発目を撃ってみよう。






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実行へのヒント-800

2023年10月27日 | Weblog


経験、工夫、再挑戦

10月26日(木)、午後2時から5時半まで、顔なじみの仲間が集まってSOHO・身の丈フェスタ2023が開催された。
コロナを引きずることにも配慮しZOOMで。

今回の目的は仲間内での近況報告と結束づくりである。
お題は夫々の参加者が持ち寄りでプレゼン。
他の参加者が、あ~でもない、こうでもないと意見を言いながらの進行である。

お題を私なりに意訳表現すれば、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・稼ぐ身の丈プロの起業家城下町づくり
・身の丈起業塾~楽屋裏話
・本人が困ったので作ってみた携帯ピルケース
・2拠点リモートワークの実践と情報発信
・Chat-GPTを活用し、小説、画像、動画を作る方法
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
といったラインナップ。
話す人の立場も内容も違うが、以前から知っている人ばかりだから質疑は噛み合う。

おなじみ感と暗黙知の共有はアメリカニズムの近代経営論に出てはこないが、日本人の十八番である。
近頃の日本が冴えないのは、それを忘れたからではないか。
データ重視、論理的とか言って(笑)。
データはその前提を押さえないと、例えば人を騙すことに使われる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する一連の受け売りの解答を得ることではなく、いかにして経済学者にだまされるのを回避するかを知ることである。
(ケインズの愛弟子、ジョーン・ロビンソン:根井雅弘氏 訳)

"The purpose of studying economics is not to acquire a set of ready-made answers to economic questions, but to learn how to avoid being deceived by economists. "
Joan Robinson(1955)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
低レベルのワイガヤは単なるワイガヤで終わるが、中には”啓発”につながるものがある。
それらを大切に拾っていきたい。

さて国際政治アナリストの伊藤貫氏は、これら人間の思考の3段階をこう言って示す。

1.POLICY    (方針に基づく意見)
2.PARADIGM   (学派別の主張、あるいはその時代の規範となる物の見方や捉え方)
3.PHIROSOPHY (哲学。ものの見方の原理。または、深い物の考え方)

わたし、ワタシと、私の主張するポリシーをいくら並べ、戦わせ、集めても意味あるものにはならない。
せめてパラダイムレベルの話が行き交う場が欲しい。
それは実際に経験し、工夫、再挑戦を繰り返す本人以外にはできない相談である。
借り物と本物は迫力が違う。

面白く意味のある場とは、これらの人とレベルの対話が行き交う場である。
例えばかつてのメディアには高揚感があったが、今のメディアにそれはない。
紙媒体のメディアは17世紀のコーヒーハウスから生まれたが、当時はえらくおもしろかったと思う。
何故なら実体験からくる直接情報を持っている人の話を直に集めたからである。
残念だが、もうそれはない。
幾多の理屈を並べるより、その発行部数と視聴率が激減・低下している現実を見ればわかる。

つまり右に倣えのPOLICYで納得する人が激減しているわけだ。
賢い庶民は自分で考えはじめた。
つまらない事にお金や時間を払う人、使う人は少数派になりつつある令和5年である。

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実行へのヒント-799

2023年10月25日 | Weblog


身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ

毎日暮らしているだけでも色々なことが起きる。
仕事をしていれば尚更である。
目の前の事は常に定まらず、あちらが済めばこちらが起きる、と言う具合である。

そのような事に振り回されるのはもうごめんだ、と思ったら心を決めるのが良い。
しっかりと考え、自己独自の見通しの下に”何を成し、どういう姿を目指すのか”決定を下すことである。

そうすればしっかりとした支点ができる。
目の前のことは相も変わらずバタバタ動くが、支点は動かない。
決めるという事は、ある意味で他を切り捨て諦観を持つことである。

諦観を持てば、心は穏やかである。

諦観を持つという事は、覚悟を持って事にあたるに等しい。
それは身を捨てる覚悟である。
だから心は晴れ晴れとする。
いかに世間が騒がしくても、あれやこれやと言われようとも大丈夫だ。
腹を決めれば誰でもこうなる。

腹を決めるとは、一発大勝負をかける事ではない。
今までの人生の積み重ねを、決めたひと事に集中させることだ。
集中すれば無我の境地に近づく。
我を無くせば、物事を素直に見ることができる。

そうすれば本当は何をすればよいかがわかる。

他人に見せる人生から、自ら行う人生に変わる。
単に賢いだけの人から、自分を生きる人に変わる。

そして腹を決めたら、その一点を掘り進む事だ。
深く深く掘れ。
深く掘れば穴の直径は自ずと広がる。

そうすれば活路も開けるだろう。
目の前の小事々は起こるが振り回されない。

だから”何を成し、どういう姿を目指すのか”を決めよう。
決まらないなら、決められるまで自分を磨けばよい。

こういう人が少ないのか、世の中が落ち着かない。
勇ましく「チェンジ!」と叫んでも、世の中を変えるのは実際なかなかに難しい。
けれど自分だけなら容易である。

他人と過去は変えられないが、
自分と未来は変えられる

You cannot change others or the past.
You can change yourself and the future.
(カナダの精神科医 エリック・バーン)

諦観を持つ実行の人が集えば、これは強いチームが出来上がる。
強いチームは勝ち進む。
理に適っているからだ。

何の不思議もない。

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