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城壁なき都市が許された国:侵略を免れた日本04

2012年10月26日 | 侵略を免れた日本
日本文化のユニークさ7項目にそってこれまで書いてきたものを集約し、整理する作業を続ける。7項目は次の通り。

日本を探る7視点(日本文化のユニークさ総まとめ07)

今回も引き続き、(4)「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった」に関係する記事を集約して整理する。

日本文化のユニークさ25:日本人は独裁者を嫌う
日本と同じ東アジアの隣国でありながら、中国や韓国など「中華文明圏」では、社会構造が宗族(そうぞく:男子単系の血族)が細胞のように存在し、その寄せ集めによって成り立っているといってもよい。宗族は、倫理的には儒教の影響を受けた家族観の上に成り立ち、強力な血縁主義でもある。中華文明圏では、アイデンティティの根拠が深く血縁集団に根ざしているため、非血縁集団への帰属意識は、日本人には考えられないほど低いという。異民族間の抗争・殺戮が繰り返され、社会不安が大きいだけ、血縁しか頼るものがないという意識が強くなる。

宗族のそれぞれが砂粒のようにばらばらで、各宗族の人々は究極的には一族の繁栄しか考えていない。いくつかの宗族で権益を独占し、這い上がってくるものを蹴落とす。このような伝統社会を背景としているため、中国の共産党独裁や朝鮮王朝のような政治形態が出現せざるを得なかったのかもしれない。宗族中心主義は、「自己絶対正義」という姿勢の根幹をなし、その影響は現代の東アジアの外交問題にまで及んでいるようだ。

一方、日本文明はイエ社会であり、男系の血族だけでは完結しない。それは、婿養子のあり方を見ればわかるだろう。その分、社会がフレキシブルになっている。また日本人は、独裁よりも合議制を好み、そのため談合も絶えないが、合議制を無視する独裁者は、めったに生まれない。これも、日本列島では異民族の侵入、略奪、異民族との熾烈な抗争といった経験が、ほとんどなかったことと関係する特性だろう。歴史的に、独裁的な強力なリーダーシップをあまり必要としなかったのである。もちろんこの点は、今回の大震災や原発事故後にはっきり示されたように、日本人の短所にもなっている。

日本とは何か(2):城壁のない都市
以下は『日本とは何か (講談社文庫)』(堺屋太一)に刺激されながらの考察である。

もし、日本と中国大陸や朝鮮半島を隔てる海がドーバー海峡ほど狭かったら、「日本の歴史はまったく違った経過を辿り、日本人は別の文化を持っていたことだろう」と、堺屋は指摘する。先進文明との距離と国土のまとまりという点で、日本は他に類例のない条件を持ち、それが日本の歴史に決定的に影響した。

日本と大陸との間は、古代の技術では渡航困難なほど広くはないが、大規模な移民や軍事攻撃を組織的に行うにはあまりに広すぎた。もし渡航したとしても、軍団はばらばらとなり、統一行動がとれない可能性が高かったであろう。

つまり、大陸との間に交流はあり、文化や知識は流入したが、大量の移民が押し寄せたり、大規模で組織的な軍事攻略が行われたりすることは不可能だったのである。これは多くの識者が指摘することであり、日本文化の形成を語る上でもっとも基本的な事実のひとつだろう。

大量の移民が一度に押し寄せることが無理だったという事実は、日本文化の形成のもっとも基層の部分でも重要な意味をもっていた。一度に大量の渡航がなかったからこそ、縄文人が弥生人に駆逐され圧殺されることなく、両者の文化が融合したのである。もちろん堺屋は、縄文時代を視野に入れていない。しかし弥生人と弥生文化の渡来が、縄文人にとって恐怖と不幸だけの体験ではなかったことが、その後、日本が外来文化を受け入れていく上での「原体験」になって、のちのちまで影響を与えているのではないか。異質な文化や物を、自分の社会に抵抗なく取り入れて自分のもにしてしまう混合文化社会の大元は、この「原体験」にあったのではないか。

大陸から「狭くない海」で隔てられていたことは、日本を異民族との戦争のない平穏な社会にした。それは弥生人の渡来時にすでに始まっていたのであり、この事実が、その後の日本文化を特色づける重要な一因になっているのであろう。

一方、人類が大陸の大河の流域などで農業を始めた頃、その周囲には多くの遊牧民が徘徊していた。農耕民は、何よりもこれらの遊牧民から生命と財産を守るため、強いリーダーの下に結集する組織と、攻撃を防ぐ施設を備えなければならなかった。つまり、城壁で囲まれた都市国家が生まれていったのである。

ところが日本には、険しい山と狭い平野で構成されていたため遊牧に適さず、海を越えて遊牧民が攻めてくることもなかった。それどころか渡って来たのは、稲作という先端文明をもった弥生人だったのである。そして恐らく縄文人と弥生人は過酷な抗争をすることなく、混血・融合していった。つまり日本列島の住人は、縄文時代はもちろん、弥生人の渡来時にも、それ以降にも、異民族との過酷な戦争を経験していないのである。だからこそ日本人は、「城壁のない都市」をつくった世界唯一の民族なのだ。

堺屋も指摘するように、中世以前の都市は、アテネ、ローマ、ロンドン、パリ、フランクフルト、バグダッド、ニューデリー、北京、南京など、すべて堅固な城壁で囲まれていた。ただ日本だけが城壁で囲まれた都市がなく、城下町はあっても城内町は存在しなかったのである。日本だけが城壁にかこまれない都市をもつことができた。つまり日本の歴史は、異民族同士の闘争や農耕民と遊牧民との闘争とは無縁だったということだ。

日本文化の特徴を語るうえで、こうした事実の意味を強調して強調しすぎることはないだろう。日本人の民族としての性格の多くが、この事実に関係して論じうるといっても過言ではない。それでいながら、日本人はこの事実を意外と知らない。この事実を盛り込んだ歴史教科書も、ほとんど見かけないのである。

《関連記事》
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日本文化のユニークさ08:ユニークな日本人(2)
日本文化のユニークさ09:日本の復元力
日本文化のユニークさ11:平和で安定した社会の結果

《関連図書》
新しい神の国 (ちくま新書)
日本人ほど個性と創造力の豊かな国民はいない
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