「日本文化のユニークさ」6項目の5番目、
5)文化を統合する絶対的な原理や正義への執着がうすかった。また、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。(文章の前後を入れ替えた。)
を、前回列挙した5点から見ていくが、今回はその一番目を考える。
①前農耕文化だが高度に発達した縄文文化の時代が1万5千年も続き、その自然崇拝的・母性原理的な心性が日本文化の底流をなしている。そして、その宗教的心性が、絶対的正義を標榜する普遍宗教を受け入れるときのフィルターとして働いた。
世界史の流れは、母性原理的な文化から父性原理的な文化へと移行する傾向がある。大まかにいって農耕・牧畜が開始する以前は、母性原理の文化が広がっていた。これについては以下の記事を参考にされたい。
☆日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理
☆日本文化のユニークさ39:環境史から見ると(1)
日本列島に住む人々は、母なる自然の恩恵をじかに受け取りつつ世界史上でもまれな高度な漁撈・採集時代を生きた。そのため農耕の段階に入っていくのが大陸よりも遅く、それに応じて高度に発達した母性原理の文化がその後の日本文化の基盤となった。
縄文人の信仰や精神生活に深くかかわっていたはずの土偶の大半は女性であり、妊婦であることも多い。土偶の存在は、縄文文化が母性原理に根ざしていたことを示唆する。縄文土偶の女神には、渦が描かれていることが多いが、渦は古代において大いなる母の子宮の象徴で、生み出すことと飲み込むことという母性の二面性をも表す。
日本人が、絶対的な原理や正義へ執着が薄いことは、縄文時代以来の日本文化が母性原理の傾向を強くもっていることと大いに関係がありそうだ。
砂漠や遊牧を基盤とする一神教は、善悪を明確に区別し相対主義を許さない父性原理を特徴とするが、自然崇拝的な森の思考は、多様なものの共存を受け入れる女性原理、母性原理を特徴とする。一神教を中心とした父性的な文化は、対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。母性原理は逆に相反する極をともに受容する。
唯一の中心と敵対するものという、一神教の二極構造は、ユダヤ教(旧約聖書)の神とサタンの関係が典型的だ。神の栄光を際立たせるために、神に敵対する悪魔の存在を構造的に必要とし、絶対的な善と悪との対立が鮮明に打ち出された。両者は、光と闇のように決して交わらることはない。究極的な悪としての悪魔の概念が不可欠なのだ。そうした対立構造が、「魔女狩り」のような集団殺戮を生む背景となっている。
これに対して日本神話の場合はどうか。例えばアマテラスとスサノオの関係は、それほど明白でも単純でもない。スサノオが天上のアマテラスを訪ねたとき、彼が国を奪いにきたと誤解したのはアマテラスであり、どちらの心が清明であるかを見るための誓いではスサノオが勝つ。その乱暴によって天界を追われたスサノオは抹殺されるどころか文化英雄となって出雲で活躍する。二つの極は、どちらとも完全に善か悪かに規定されず、適当なゆり戻しによってバランスが回復される。
母性原理の日本文化は、「曖昧の美学」にも現れる。「曖昧」は成熟した母性的な感性となり、単純に物事の善悪、可否の決着をつけない。すべてを曖昧なまま受け入れる。能にせよ、水墨画にせよ、日本の伝統は、曖昧の美を芸術の域に高めることに成功した。それは映画やアニメにも引き継がれ、一神教的な文化とは違う美意識や世界観を世界に発信している。
日本は曖昧な「ナンデモアリ」の社会だが、その「いい加減さ」の背景には、父性原理の文明によって圧殺されずに、縄文時代からの母性原理の文化を連綿と引き継いできた事実がある。
農耕文明に入ってからも母性原理的な森の宗教の原型を色濃く残し、しかも大陸の高度文明の精華の部分だけを、その母性原理的な文化の中に取り入れることができた。中国文明だけではなく、下って西欧文明が流入したときも、母性原理的な基盤に抵触しないように何かしら変形して受け入れた。
ただし私たちは、縄文的な基層文化が私たちの個々の意識や文化の底流として生き残っていることにほとんど無自覚である。その基層文化が、自分たちに合わないものはフィルターにかけて排除する働きをしていることについても無自覚である。
その実、海外から入ってくる「高度な文明」には強力なフィルターがかかって取捨選択がなされている。近代文明をこれほど素早く受け入れながら、その根っこにあるキリスト教をみごとにフィルターにかけてしまったというのはその最たる例である。その結果私たちは、相変わらず相対主義的な価値観のもとに生活しているのである。
日本人の日常的な思考や行動様式を、縄文的な基層文化の残滓という観点から次のようにまとめた論者がいる。(→『ケルトと日本 (角川選書)』の中の「現代のアニミズム-今、なぜケルトか」(上野景文)という論文)
イ)自分の周囲との一体性の志向
ロ)理念、理論より実態を重視する姿勢★
ハ)総論より各論に目が向いてしまう姿勢★
ニ)「自然体的アプローチ」を重視する姿勢
ホ)理論で割り切れぬ「あいまいな(アンビギュアス)領域」の重視★
ヘ)相対主義的アプローチへの志向(絶対主義的アプローチを好まず)★
ト)モノにこだわり続ける姿勢
これらの特質は偶然に並存しているのではなく、それぞれの根っこに共通の土台として「アニミズムの残滓」が見て取れると、論者はいう。たとえば、ロ)やハ)についてはこうだ。自然の個々の事物に「カミ」ないし「生命」を感じた心性が、今日にまで引き継がれ、社会的行動のレベルで事柄や慣行のひとつひとつにこだわり、それらを「理念」や「論理」で切り捨てることが苦手である。それが実態や各論に向いてしまう姿勢につながる。
これらのうち★印をつけたロ)ハ)ホ)ヘ)は、理念や原理よりも現実や個々の事物に関心が向いていくという傾向を示す。理念や原理を絶対視しないという意味で、これらは相対主義的なものの見方と関係する。
もちろん、これらの思考・行動様式のずべてを縄文的基層文化の影響だけで見るのではなく、のこりの②~⑤のすべてと、さらにこのブログで繰り返し示してきたような「日本文化のユニークさ」6項目のすべてとの関係で見るべきだが、今回とりあげた①との関係もかなり濃厚だというべきだろう。
《関連記事》
☆日本文化のユニークさ37:通して見る
☆日本文化のユニークさ38:通して見る(後半)
☆その他の「日本文化のユニークさ」記事一覧
☆日本文化のユニークさ07:正義の神はいらない
☆日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化
☆日本の長所15:伝統と現代の共存
☆ジャパナメリカ02
☆クールジャパンの根っこは縄文?
《関連図書》
☆『中空構造日本の深層 (中公文庫)』
☆『山の霊力 (講談社選書メチエ)』
☆『日本とは何か (講談社文庫)』
☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)』
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)』
5)文化を統合する絶対的な原理や正義への執着がうすかった。また、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。(文章の前後を入れ替えた。)
を、前回列挙した5点から見ていくが、今回はその一番目を考える。
①前農耕文化だが高度に発達した縄文文化の時代が1万5千年も続き、その自然崇拝的・母性原理的な心性が日本文化の底流をなしている。そして、その宗教的心性が、絶対的正義を標榜する普遍宗教を受け入れるときのフィルターとして働いた。
世界史の流れは、母性原理的な文化から父性原理的な文化へと移行する傾向がある。大まかにいって農耕・牧畜が開始する以前は、母性原理の文化が広がっていた。これについては以下の記事を参考にされたい。
☆日本文化のユニークさ36:母性原理と父性原理
☆日本文化のユニークさ39:環境史から見ると(1)
日本列島に住む人々は、母なる自然の恩恵をじかに受け取りつつ世界史上でもまれな高度な漁撈・採集時代を生きた。そのため農耕の段階に入っていくのが大陸よりも遅く、それに応じて高度に発達した母性原理の文化がその後の日本文化の基盤となった。
縄文人の信仰や精神生活に深くかかわっていたはずの土偶の大半は女性であり、妊婦であることも多い。土偶の存在は、縄文文化が母性原理に根ざしていたことを示唆する。縄文土偶の女神には、渦が描かれていることが多いが、渦は古代において大いなる母の子宮の象徴で、生み出すことと飲み込むことという母性の二面性をも表す。
日本人が、絶対的な原理や正義へ執着が薄いことは、縄文時代以来の日本文化が母性原理の傾向を強くもっていることと大いに関係がありそうだ。
砂漠や遊牧を基盤とする一神教は、善悪を明確に区別し相対主義を許さない父性原理を特徴とするが、自然崇拝的な森の思考は、多様なものの共存を受け入れる女性原理、母性原理を特徴とする。一神教を中心とした父性的な文化は、対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。母性原理は逆に相反する極をともに受容する。
唯一の中心と敵対するものという、一神教の二極構造は、ユダヤ教(旧約聖書)の神とサタンの関係が典型的だ。神の栄光を際立たせるために、神に敵対する悪魔の存在を構造的に必要とし、絶対的な善と悪との対立が鮮明に打ち出された。両者は、光と闇のように決して交わらることはない。究極的な悪としての悪魔の概念が不可欠なのだ。そうした対立構造が、「魔女狩り」のような集団殺戮を生む背景となっている。
これに対して日本神話の場合はどうか。例えばアマテラスとスサノオの関係は、それほど明白でも単純でもない。スサノオが天上のアマテラスを訪ねたとき、彼が国を奪いにきたと誤解したのはアマテラスであり、どちらの心が清明であるかを見るための誓いではスサノオが勝つ。その乱暴によって天界を追われたスサノオは抹殺されるどころか文化英雄となって出雲で活躍する。二つの極は、どちらとも完全に善か悪かに規定されず、適当なゆり戻しによってバランスが回復される。
母性原理の日本文化は、「曖昧の美学」にも現れる。「曖昧」は成熟した母性的な感性となり、単純に物事の善悪、可否の決着をつけない。すべてを曖昧なまま受け入れる。能にせよ、水墨画にせよ、日本の伝統は、曖昧の美を芸術の域に高めることに成功した。それは映画やアニメにも引き継がれ、一神教的な文化とは違う美意識や世界観を世界に発信している。
日本は曖昧な「ナンデモアリ」の社会だが、その「いい加減さ」の背景には、父性原理の文明によって圧殺されずに、縄文時代からの母性原理の文化を連綿と引き継いできた事実がある。
農耕文明に入ってからも母性原理的な森の宗教の原型を色濃く残し、しかも大陸の高度文明の精華の部分だけを、その母性原理的な文化の中に取り入れることができた。中国文明だけではなく、下って西欧文明が流入したときも、母性原理的な基盤に抵触しないように何かしら変形して受け入れた。
ただし私たちは、縄文的な基層文化が私たちの個々の意識や文化の底流として生き残っていることにほとんど無自覚である。その基層文化が、自分たちに合わないものはフィルターにかけて排除する働きをしていることについても無自覚である。
その実、海外から入ってくる「高度な文明」には強力なフィルターがかかって取捨選択がなされている。近代文明をこれほど素早く受け入れながら、その根っこにあるキリスト教をみごとにフィルターにかけてしまったというのはその最たる例である。その結果私たちは、相変わらず相対主義的な価値観のもとに生活しているのである。
日本人の日常的な思考や行動様式を、縄文的な基層文化の残滓という観点から次のようにまとめた論者がいる。(→『ケルトと日本 (角川選書)』の中の「現代のアニミズム-今、なぜケルトか」(上野景文)という論文)
イ)自分の周囲との一体性の志向
ロ)理念、理論より実態を重視する姿勢★
ハ)総論より各論に目が向いてしまう姿勢★
ニ)「自然体的アプローチ」を重視する姿勢
ホ)理論で割り切れぬ「あいまいな(アンビギュアス)領域」の重視★
ヘ)相対主義的アプローチへの志向(絶対主義的アプローチを好まず)★
ト)モノにこだわり続ける姿勢
これらの特質は偶然に並存しているのではなく、それぞれの根っこに共通の土台として「アニミズムの残滓」が見て取れると、論者はいう。たとえば、ロ)やハ)についてはこうだ。自然の個々の事物に「カミ」ないし「生命」を感じた心性が、今日にまで引き継がれ、社会的行動のレベルで事柄や慣行のひとつひとつにこだわり、それらを「理念」や「論理」で切り捨てることが苦手である。それが実態や各論に向いてしまう姿勢につながる。
これらのうち★印をつけたロ)ハ)ホ)ヘ)は、理念や原理よりも現実や個々の事物に関心が向いていくという傾向を示す。理念や原理を絶対視しないという意味で、これらは相対主義的なものの見方と関係する。
もちろん、これらの思考・行動様式のずべてを縄文的基層文化の影響だけで見るのではなく、のこりの②~⑤のすべてと、さらにこのブログで繰り返し示してきたような「日本文化のユニークさ」6項目のすべてとの関係で見るべきだが、今回とりあげた①との関係もかなり濃厚だというべきだろう。
《関連記事》
☆日本文化のユニークさ37:通して見る
☆日本文化のユニークさ38:通して見る(後半)
☆その他の「日本文化のユニークさ」記事一覧
☆日本文化のユニークさ07:正義の神はいらない
☆日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化
☆日本の長所15:伝統と現代の共存
☆ジャパナメリカ02
☆クールジャパンの根っこは縄文?
《関連図書》
☆『中空構造日本の深層 (中公文庫)』
☆『山の霊力 (講談社選書メチエ)』
☆『日本とは何か (講談社文庫)』
☆『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)』
☆『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』
☆『日本の曖昧力 (PHP新書)』
メソポタミヤ文明やエジプト文明も多神教でしたし、モハメットが若い頃に、ユダヤ教と接触していなければ、一神教にはならなかったのではないかと思いますが?、
確かに砂漠と一神教を安易に結びつけるのは危険だとおもいます。この点については、次回ブログの方でやや詳しく触れる予定でした。そちらをご覧の上、またご意見を聞かせてください。
ただ、今回のテーマとそれてしまうので、より詳しくは別タイトルでとなるかもしれません。
「あらかねの土にしては、すさのおのみことよりぞ起こりける。」(古今和歌集仮名序)
あらかねとは通常、土の枕詞であり、この文章は、
「(和歌はこの日本の)地においては須佐之男命の時から詠まれはじめた。」
となる。
しかし、出雲国風土記で意宇郡安来郷の地名由来には「スサノオノ命が、ここに来て、こころが安らかになった。だから安来とつけた。」あり定住を決めた発言とも読める。
記紀においてはヤマタノオロチを倒した後、稲田姫命をめとり「八雲立つ出雲八重垣妻篭めに、八重垣つくるその八重垣を」と日本最初の和歌を出雲で詠んで定住を開始したという。
古代より、鉄の産した島根県の安来の地のことを「あらかねのつち」=(新しい金属(鋼)を産する地)と訳せばあらゆることに説明がつくのである。