2015年3月11日 ちりぬべき時知りてこそ

2015年03月11日 | 風の旅人日乗
悲しい思い出の日。



午後の山ランから帰ってきて、
14時46分、
北の方向を向いて一人で黙祷。




昨日は東京・大崎で、
日本の海文化と、
日本の航海術と、
日本の海を通しての、
次世代の教育事業について、
3人のプロフェッショナルたちと
遅くまで語り合う。

ここのところ、
取って付けたような付け焼き刃で
海の教育を語るような奴らがいて、
そいつらの話は
浅くて、薄くて、覚悟もなくて、
笑止千万だが

昨日の彼らのような本物たちと語り合うのは、
しみじみと、楽しいことだった。
帰りは逗子行きの終電。

本日は、
風がうなり、海が鳴るのを聞きながら、
あちこちに
メールをしたり電話をしたりして、
仕事の仕込みに精を出し、
そして、
この件も同時進行で進める。


©Kazi Magazine

そんな時間の休憩に、
葉室麟の短編集を読む。

戦国時代に生きた武将の妻たちが主人公。

細川ガラシャの辞世の句に、感じ入る。

ちりぬべき
時知りてこそ世の中の
花も花なれ
人も人なれ

散るべき時は自らが決めなければならぬ、
それでこそ、
花であり、人なのだ。

というのが、登場人物に語らせる
小説家のこの句の解釈だが、

ジブンは、それに続けて、
次のことを思った。

散ることができるのは
花を咲かせた後のこと。
咲かない花は
散ることができない。

なので、おいジブン、
お前さん、まだ、散れないなあ。
いい歳して、辛いことだなあ。

ま、
花を咲かせることができるかどうか、
もうちょっと、頑張ってみますか。