ただいまー、オークランド

2012年10月04日 | 風の旅人日乗
2日間、NZの地方都市の造船所にこもって仕事して、
4時間クルマで走ってオークランドに帰ってきた。

2日間にいろんなことがあり、
今回の仕事のパートナーのNZ人の若者にちょっとだけ疲れて
いろんなことを考えながら帰ってきて
NZワインとNZマッセルの、美味しいけれど侘びしい一人夕食を
パソコン見い見い食べていたら
またまた糸井重里さんのことばに救われてしまいました、の巻です。

これから若者に勇気を与える仕事をしようと気負っているくせに、
時々その若者との距離の置き方が分からなくなり
自分にも若者にもイライラしてしまう自分は、一体なんなのだ!!!
という深い悩みが、実は自分にはあります。
あーあ、告白してしまいました。

以下、いつものように「ほぼ日」の今日のダーリンからの抜粋です。

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・定期的に吉本隆明さんのところに通っているころ、
 「子どもと教育」みたいな話を
 うかがったことがありました。
 
 いちばん基本的なこととして、
 親が子どもに「半分かまう」ということを、
 くりかえし語ってました。
 それは、柳田国男流に言うと
 「軒(のき)遊び」というのだそうです。
 ある程度安全の確保されている家のエリアで
 子どもを遊ばせておいて、
 親は縫い物をしたり掃除をしたりしている。
 どこかで用心して子どもを見ているけれど、
 子どもに夢中になっているわけでもない。
 そういう状態の時期が続いて、
 やがて成長して、外で遊んでも大丈夫となりかけたころ、
 小学校に上がるというわけです。

 この「半分かまう」は、先輩役をする人間にとって、
 ありとあらゆる場面で言えることのように思うんです。
 じっくりと集中して見すぎていると、
 型にはめようということになってしまって、
 自由な意思だとか工夫や失敗が生まれにくい。
 まったく見てなかったら、迷うばかりで危ない。
 まさしく、「半分見てる」「半分かまう」のが、
 成長の手助けになるんじゃないかと思うのです。
 
 「つきっきり」のサービスというのは、
 高価で効果がありそうです。
 どれだけ「集中」できたかというのも、
 いい結果をもたらしそうに見えます。
 でも、ほんとは「半分」がいいんじゃないか?
 いろいろな経験から、そう思えてならないんですよね。
 半分は「集中」でいいのだけれど、
 残りの半分は、「視界のなかにある程度」がいい。
 このあたりのこと、きっと脳の研究している人とかが、
 どこかで証明してくれるような気もするんですよね。
 かつて、ぼくは「一番大事だと思うことを二番に置け」と
 言ったことがありましたが、それも、
 「半分かまう」に近い考えだったように思います。

              ©糸井重里

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自分の迷いを、どこから、どのように解きほぐせばいいのか。
考えさせられます。

さて。
明日の昼食は、
ボルボ世界1周レースで優勝してヨットマンオブザイヤーにも輝いた
ムース(マイク・サンダーソン)と、ウエストヘイブンのヘッドクォーターで。
ピザにしようかな、パスタにしようかな。ホタテの具だくさんスープにしようかな。
楽しい昼ご飯になりそうです。
次男が生まれたばかりで幸せなムースの話題は、
セーリングではなく赤ん坊の話題ばかりになりそうだけど
それはそれで、こちらも幸せになる、嬉しい。

その後の午後は、タヒチに向けて出航準備も整い、
ハワイからブルースもカレパも合流したチームが乗るヒキアナリアを
できれば訪問したい、と思っています。
でもね、日本人は仕事を優先しますからね。
それが美徳だと教えられてきましたからね。
どうなるか、自分でも分かりません。

おやすみなさい。