ポリネシア航海学会のパルミラ環礁航海(その6)

2009年12月17日 | 風の旅人日乗
【カマヘレでは、ベテランクルーのバディーが怪我から回復した。デッキに出てバケツで海水を汲み上げ、久しぶりのシャワーを楽しんでいる。photo copyright/Samuel Monaghan】


ホクレアがセーリングを始めた2日後から、風向は東北東から北東に振れた。

【photo copyright/Samuel Monaghan】


このため、〈ホクレア〉の上り性能(風速にもよるが、風向に対して67度)では、
ハワイ島の東側(ヒロがある側)を目指すことが難しくなった。

目いっぱい風上に切り上がって走っている〈ホクレア〉に付いて行く〈カマヘレ〉のコンパスコースを見ながら、
『ブルースはこのことを分かっているのかな・・・』、と思っていたその矢先、

【photo copyright/Samuel Monaghan】

ブルースから、
「このままではヒロには上り切れそうもないので、
ハワイ島の東岸を狙うことはあきらめて、
今後はサウスポイント(ハワイ島西岸にある、ハワイ島の最南端)を目指すことにする」、
という連絡がVHFで入る。

〈カマヘレ〉に乗っている我々と同じように、ブルースもGPSのモニターを見ているかのような会話だが、
ブルースが見ているのは、星と太陽とうねりだけで、
それらの情報だけで、
我々〈カマヘレ〉の乗員がGPSから得ているのと同じ位置情報を得ているのだ。
もちろん、数百マイル先のハワイ島が肉眼で見えるわけもない。

この、伝統航海術を次世代に学ばせる最初のトレーニング航海は、
4月3日午後2時半、
〈ホクレア〉のクルーがハワイ島のサウスポイントの稜線をランドフォールした時点で完遂した。
パルミラ環礁を出航して11日目、
〈ホクレア〉がセーリングを始めてから7日目のことだった。


【photo copyright/Samuel Monaghan】


【このパルミラ環礁航海中ずっと、〈カマヘレ〉のクルーたちに最高の食事を作り続けてくれた、サムです。カメラマンとしても大活躍でした。ホノルル市内ワイキキのデューティーフリーショッパーズの、無料バスが発着している場所のすぐ前に、「サムズ・キッチン」というテイクアウト中心の日本食食堂を出店し、大変な人気になっています】


【photo copyright/Samuel Monaghan】

それから2日かけて、〈ホクレア〉と〈カマヘレ〉の2隻は、
オアフ島ホノルル市の、サンドアイランドにあるポリネシア航海学会のベースキャンプに戻った。
ナイノアが、もう1隻のサポート艇、〈イカイカ〉に乗って港の外まで出迎えに来てくれた。
(続く)