ポリネシア航海学会のパルミラ環礁航海(その2)

2009年11月29日 | 風の旅人日乗
【ホノルルから3時間50分、不定期便の飛行機の窓から見えてきたパルミラ環礁。北緯5度52分 西経162度5分の太平洋の真ん中にポツンと浮かぶ、本当に小さな、小さな環礁だ。photo copyright Samuel Monaghan】


パルミラ環礁の礁湖には、
オアフ島からこの環礁を訪れたポリネシア型の双胴外洋セーリングカヌー、〈ホクレア〉が錨泊していた。
ぼくが日本からホノルルを経由してパルミラ環礁にやって来たのは、
その外洋セーリングカヌーの、ホノルルまでの帰りの航海をエスコートする伴走艇〈カマヘレ〉に、
セーリング・マスターとして乗るためだった。

【パルミラ環礁の礁湖に浮かぶ〈ホクレア〉。とても平和な光景だが、第2次世界大戦ではここに米国海軍の一大基地が建設され、数千人の海兵隊員が住んだ。今でもその当時の建造物跡が至るところに残る。photo copyright Samuel Monaghan】

【ホノルルからパルミラ環礁に向かう小型ジェットの機内。操縦席のドアを開け、パイロットの後ろからずっと海を見続けているのは、ポリネシア航海学会代表のナイノア・トンプソン氏。photo copyright Samuel Monaghan】


この外洋セーリングカヌー〈ホクレア〉を所有し運用しているポリネシア航海学会は、
2012年を目標に世界一周航海を計画していて、そのための準備は、昨年2008年からすでに始められている。
そして、世界一周航海に出発するまでに若い世代のキャプテン、ナビゲーター、クルーを育て上げるプログラムが組まれ、
オアフ島とパルミラ環礁を往復するこの航海は、そのプログラムの中で最初の長距離航海だった。

ベテランたちが次世代のセーラーを実際の航海で育て上げていく、
その様子を間近で見たかったことと、
若い世代を育てる目的の航海で自分がもし役に立てることがあるなら役に立ちたいと思ったことが、
ぼくがこの航海に参加した理由だった。


【日本では秋から冬にかけての星座、オリオン座が、北緯6度ではこの時期、夜の早い時間に、西南西の低い位置に見える。その上空には、日本では見ることが難しい壮大なアルゴ座の星々が空いっぱいに輝いていた。photo copyright Samuel Monaghan】


【パルミラ環礁での一夜、石を抱いて海底に仰向けに寝そべり、上を泳ぐマンタの撮影に忙しい〈ホクレア〉往路クルーのカマキ。photo copyright Samuel Monaghan】


【環礁の一番外側のリーフで記念撮影。潮がかなり速い。遠くを泳いでいるのはナイノア(たぶん)。photo copyright Samuel Monaghan】


【パルミラ環礁滞在中は、航海準備の合間に、珊瑚の海でのシュノーケリングや、鳥たちのコロニーの観察に出かけた。珊瑚にはなるべく触れてはいけないし、ビーチに転がっている貝殻でさえ、この島から持ち帰ってはいけない。
この日の環礁観察の相棒は、〈ホクレア〉のキャプテンの一人でもありムービーフィルム・ディレクターでもあるナ・アレフ・アンソニー。photo copyright Samuel Monaghan】


【船外機で走るボートに着いてくるカツオドリは、風上に向かって滑空する。
パルミラ環礁で鳥たちと遊んでいる時に、ツバメが、北風が卓越している時期に向かい風をおして日本に来て、南風が卓越している間に急いで南に帰る、個人的に抱いていたその謎が不意に解けた。
鳥は、向かい風でなければ滑空できない。つまり、追い風だと翼に充分な揚力が発生しないのでずっと羽ばたいてなければならず、それでは餌も食べずに長距離を飛翔することなどできないのだ。
海鳥と共存し、海鳥を観察していたポリネシア人にとって、揚力を利用して風にさかのぼるカヌーを拵えることは、ごく自然な発想だったに違いない。photo copyright Samuel Monaghan】


【パルミラ環礁クーパー島の滑走路の横で〈ホクレア〉と〈カマヘレ〉のクルーたちの記念撮影。往路と復路でクルーが交代し、できるだけ多くの若い世代がトレーニング航海を経験できるよう配慮された。photo copyright Samuel Monaghan】


【往路のクルーたちがホノルルに帰る日。photo copyright Samuel Monaghan】


【photo copyright Samuel Monaghan】
(続く)