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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

唯我論、独我論

2007-09-17 00:02:09 | 思索
人と社会が、その存在ゆえに有する病巣へのアプローチとしての考想。

常識的なAタイプ世界と、唯我論で展開されるBタイプ世界は、実際問題として何ら変わりがないが、BタイプはAタイプの意識反転であり、ロジックとして「全存在」と「単存在」である。

論理としての「単存在」故に、Bタイプ世界は、心理的に圧倒的に孤独で、身も凍りつくような宇宙である。AタイプとBタイプは心理的なポジとネガの関係と言える。
 
しかし、この孤独な心理的ネガの世界は、必ずしも否定的なものではなく、そこに身を置くことにより、宗教者の悟り、哲学者の明察、アーティストのインスピレーションの「きっかけ」になりうるものである。

人以外の動物、また幼少の人にBタイプが認識されることはなく、人がある年齢層に達した時に突然Bタイプが認識され、それ以降は人は二つの世界を有することになる。その後も、人の心的世界が無意識にBタイプになることは無く、積極的に意識反転することによってBタイプに身を置くことができる。しかしこれは一般論であり、異常な心理状態にあっては、自己の世界の同一性は定かではない。

Bタイプ世界は、宗教的悟り、哲学的解の一つであり、活性化したリビドーに基づき、Aタイプ世界と明確に関わることにより得られる。つまり、しっかりとAタイプに立脚してこそBタイプが認識される。しかし生き生きとした外界からリビドーが退却し、自己の内側に閉じ込められて、停滞してしまうと、Aタイプ世界の明確性が乏しくなり、その意識反転であるBタイプ世界も同時に不明確となって、両世界の境界線が曖昧となる。これによって無意識に移行してしまったBタイプ世界が、悪しき意味でのネガ世界である。
 
この悪しきネガ世界は、人間に対し、ある種のモラルの崩壊(モラルハザード)を引き起こす。なぜなら、それはモノクロで、モノトーンな世界であり、およそ他人 の痛みや苦しみを実感できない(それは影絵のよう……)で、ひいては、自分が生きているという実感さえ、危うくなるような場所である。
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ハートレー発振回路(原理)

2007-09-16 21:39:44 | 電子回路
図のLC回路においてスイッチをONすると、V1、V2は右図のような波形を示します。過渡振動においてV1とV2の位相が逆であることがポイントです。ただし、1/ω0C > ω0L2の場合ですよぉ。本例の場合はω0=2236k(rad/sec)で1/ω0C=447.2Ω、ω0L2=223.6Ωです。

V1とV2が逆位相と分かったのだから、もうあとは発振条件にのっとり下図のように反転増幅器を取り付けてやれば発振回路になります。これがハートレー発振回路の基本構成ということです。反転増幅器はゲイン=1以上とします。入力V2が位相反転されV1に出力されるので、V1と出力が同相となります。よってV1の振幅が増大し、V2もまた増大して再び反転増幅器に入力されるという動作を繰り返します。

関連記事:
ハートレー発振回路(実際) 2010-09-06
LC共振回路 2007-10-03
ウィーンブリッジ発振回路 2010-09-02
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どこぞの会社の管理職

2007-09-15 19:09:15 | 思索
ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」より

P82
強制収容所の人間は、みずから抵抗して自尊心をふるいたたせないかぎり、自分はまだ主体性を持った存在なのだということを忘れてしまう。内面の自由と独自の価値をそなえた精神的な存在なのだという自覚などは論外だ。人は自分を群集の一部としか受け止めず、「わたし」という存在は群れの存在のレベルにまで落ち込む。きちんと考えることも、なにかを欲することもなく、人々はまるで羊の群れのようにあっちにやられ、こっちにやられ、集められたり散らされたりするのだ。

これは、どこぞの会社の魂を抜かれた管理職たちにも当てはまりそうな気がするなあ。そして次のように続く。

P83
強制収容所に入れられた人間が集団の中に「消えよう」とするのは、周囲の雰囲気に影響されるからだけでなく、さまざまな状況の中で保身を計ろうとするからだ。被収容者はほどなく、意識しなくても五列横隊の真ん中に「消える」ようになるが、「群衆の中に」まぎれこむ、つまり、けっして目立たない、どんなささいなことでも親衛隊員の注意をひかないことは、必死の思いでなされることであって、これこそは収容所で身を守るための要諦だった。
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独自性と全体性

2007-09-15 00:03:02 | 思索
まず、これはいつものホロン流なんですが、用語の解釈と整理を試みてみますね。誤認識もあるでしょうからご指摘いただければ幸いです。

【稲作農耕の精神・感覚】:(天皇に対する自我意識)
大地に密着して生きる、或いは自然と一体となって生きるという人の在り方。(かつてはこれがクニの大きな原動力であった。)

【クニの原動力】:(クニ:国)
アラブ諸国ではイスラム教、北朝鮮では金正日、となりそうですね。この社会では自我の確立は認められず、自我の超越:全体との同化に価値と美徳がありますね。ここでは自我意識は無きに等しいでしょう。
 
民主主義(個人主義)社会では、個々人による総生産が国力になりますから、国の原動力は個々人の価値に基づいている、と言えるでしょうか。BUNさんがピックアップされた、オリンピック、イチロー、その他は確かに、個人の価値の集団的統一ですね。

ここまでを整理しますと、古においては稲作農耕の精神・感覚が価値であり国の原動力となったが、現在はそれは僅少になり、個人にとっての価値が集団的に統一されたものが国の原動力になっている。またその価値の多くが反自然的、反大地的になってもいるわけですね。古と現在、この両者に明確な差異は見られますが、そこに優劣を考えると、かなり難しい問題になりそうです。

【自我の確立】:
全体に対する自己の主張。他者との間に設ける壁。

僕はイチローが記録を破るかも知れない日に、とてもソワソワしました。新記録を達成したという知らせを聞いた時、大きな幸福感を味わいました。街では号外が配られ山のような人だかりとなり歓声でどよめいていました。自分個人とはほとんど無関係に近い人のことなのに、一体何故なんでしょう?イチローは日本人、僕も日本人、その共有できる1点にのみ喜びを感じる理由があったような気がしています。

つまり人は、独自性と全体性という二面性をを持っているのではないかということですね。AIさんの言葉では「自己意識」と「超自我」ですね。他とは異なる独自の自分を主張したい欲と、皆と同じになりたいという欲、この矛盾するものを同時に持ちたいという不思議な生き物が人間でなのでしょうね。

反復的結論ですが、上記の意味において、現代人も明確に自我を確立しているであろうと僕には思えます。「超自我」に対する半身においてですが。
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バンドパスフィルタ

2007-09-14 23:14:54 | 電子回路
微分回路と積分回路をドッキングさせるとバンドパスフィルタになります。バンドパスフィルタとは、ある周波数A以下の低周波を切捨て、またある周波数B以上の高周波を切捨てて、A~Bの間(バンド)の周波数のみを通過させるフィルタです。

f01~f02が通過帯域周波数です。下に各周波数を求める式を示します。
  fX1=1/ (2πC1R2)
  f01=1/ (2πC1R1)
  f02=1/ (2πC2R2)
  fX2=1/ (2πC2R1)

関連記事:
微分はハイパス、積分はローパス 2007-09-11
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静と動のメカニズム

2007-09-13 22:21:52 | 思索
ひどく頭痛がするとき、バファリンは良く効いて、飲めば痛みが引いて頭痛は止まります。痛みは無くなったけど、何故、頭が痛かったのかは分からない。とにかく鎮痛作用が痛みを止めたのです。薬の効果が切れても尚、痛みのない状態であれば、痛みの原因もその時消失している訳ですね。でも、また頭痛はいつかやって来る。

TAOさんは痛みをかなり強く感じているけれど、あえてバファリンは飲まないのですね。痛みを感じ続けることで、その痛みの正体、由来を見いだしてみようと。

”私が常に「責任」と感じ、逃げだそうとしていたそれは、はたして、本当に外部からもたらされたものだったんだろうか?”

そして今はその根元が自分の内から発生しているものではないかと思い始めている。自分の内に潜むものならば、その居所を探し、しっかり掴み取るために、痛みや焦燥感は、その道しるべになる。見事クリヤできたものならば、痛みを根元ごと葬り去ることができるかも知れない。そのために薬で、安易に道しるべを、曖昧にしてしまいたくはないと。

真っ向から構えた、実直すぎると思えるほどの対決姿勢ですね。見事なものです。もし、心の負荷に完治というのもがあるのであれば、この方法以外には無いのかも知れません。ただし、長く耐え難い苦戦を強いられるのが、見えるようでもありますね。

でも、TAOさん、道しるべは今実感している、忌むべき焦燥感だけでは無いようにも思います。痛みや焦燥感は静的なものとしてとどまっているので、時間をかけて向き合うことができますが、心が変化する動的なものにも、短期間的に多くのヒントを見つけることが出来るのではないでしょうか。僕は、そこにも薬の有用性があると思っています。仮に、薬で焦燥感が軽減するなら、そこにもメカニズムが働いているはずです。これも、心の負荷の根元を特定するのに、強力な味方になってくれるように思うのですが。
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機能する組織の演劇

2007-09-12 22:20:52 | 安全・品質
山下部長が田中課長に指示した内容は次の項目です。

①事故無く安全に
②品質に不具合を発生させること無く
③20日間で
④10名の人数コストで、定時以内に
⑤50台の冷凍機のメンテナンスを完了しなさい

山下部長はお忙しいので、この指示の後まったく別のことを考え始めます。田中課長はこの指示を受け、定められた期間を含め見事すべての要求を成し遂げました。山下部長はその旨報告を受け満足げです。作業の結果チェックは合格ということです。

さて、田中課長がどのような仕事ぶりですべての要求を実現したのかは、山下部長の頓着するところではありません。どこで休みを何回入れようが、ラジオを聴きながらであろうが、作業者と何時間も話し込もうが、休憩室の机にスポーツ新聞が置いてあろうが、ロッカーにカップラーメンやマンガ本が入っていようが、もっと言えば、Gパンで作業しようが、金髪であろうが、ピアスであろうが、作業結果においてすべての要求が満たされているのですから、山下部長に不満はありません。

項目には上げませんでしたが、要求内容には環境保全や省エネももちろん含まれています。見事遂行してくれた田中課長に満足し、山下部長は次の仕事を依頼することでしょう。そして田中課長はどのようなやり方であれ、再びすべての要求を満足する結果を出してくるのです。

山下部長の仕事は指示と、中間および結果チェックのみになりますから、雑事に気を取られることなく、数多くの本来業務に当たることが可能になります。田中課長は自らの考えで仕事を進めることができますから、思考範囲や視野が広がり、行動の自由度が増し、活動がダイナミックになります。

次に山下部長は野村課長に業務指示を出しました。指示を受けた野村課長は田中課長とはぜんぜん違う方法で業務に当たるかも知れませんが、何ら問題ありません。ここでも山下部長は仕事ぶりをとやかく言う気はありませんし、要はすべての指示要求を満足する結果を野村課長が出せばよいのです。

しかし、毎回毎回うまく事が運ぶとは限りません。ある時、メンテを終え納入された冷凍機に、ボルトの緩みがあったとユーザーからクレームが入りました。田中課長から報告を受けた山下部長は、わずかばかりの思案の後「再発防止をよろしく」と田中課長に指示し、ここでも作業内容を詮索することなく、再び自分の仕事に戻りました。冷凍機課のことは、もうすっかり念頭にありません。

ところが数日後、またしてもボルト緩みの不具合を出してしまったのです。それを聞いた山下部長は、これは作業工程の何処かに何らかの問題があるなと判断し、「頭」はここでようやく「手足」の動作に干渉することになります。調査命令を発動した結果、廃却したはずの古いチェックシートが十数枚紛れ込んでいたことがわかり、これを是正し、その後同様の不具合が発生することはなくなりました。そして冷凍機課は日常に戻り、安定的に高品質の製品をアウトプットする毎日を繰り返していきます。

以上、端的に語りましたが、これは機能する組織の原理を象徴的に表したものです。実際にはその他多くの事柄が複雑に絡み合いますので、このシミュレーションをそのまま現実に置き換えることはできません。しかし、順調に機能している組織とはこのような動作パターンであるということを、ムカデの逸話は示唆しているのです。
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微分はハイパス、積分はローパス

2007-09-11 22:38:01 | 電子回路
積分回路のR2がなければ完全積分回路です。しかし入力信号が無くとも入力オフセット電圧などが積分され、すぐに飽和してしまうので、R2を入れて直流ゲインをR2/R1にとどめています。ゲインが0dBとなる周波数fXは1/ (2πCR1)で求められ、f0は1/ (2πCR2)で求められます。積分領域は1次のローパスフィルタですから、周波数が10倍になれば振幅は-20dBとなります。

微分回路のR1がなければ完全微分回路です。しかし高周波でのゲインが高くなりすぎノイズだらけになるので、R1を入れて高周波ゲインをR2/R1にとどめています。ゲインが0dBとなる周波数fXは1/ (2πCR2)で求められ、f0は1/ (2πCR1)で求められます。微分領域は1次のハイパスフィルタですから、周波数が1/10になれば振幅は-20dBとなります。

関連記事:
バンドパスフィルタ 2007-09-14
微分回路と積分回路 2008-10-16
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正義

2007-09-11 00:37:49 | 思索
「アドルフの拳と私のコーヒー 」を読ませていただきました。題名に負けず劣らず、とっても味のある素敵な文章ですね。文体にakegataさんのオリジナリティーが溢れ、硬いテーマにもかかわらず、おもしろく読み進んでいけました。とは言えテーマは直球勝負の「正義」です。これはフンドシを締めなおしてかからないわけにはいきませんね。

さて正義とは何でしょう。日頃しばしば軽く使い流している”正義”という言葉ですが、改めて「何か?」と考えると、これはとてつもなく難しくもありますね。

一般的には、正義の味方仮面ライダー、悪の手先ショッカー。とか、正義は必ず悪に勝つ。など、正義は、悪の反意語である善とあたかも同義かのように使われますね。このように普段は正義イコール善として扱って大きな不都合は無いのでしょう。

しかし、物事を精査して考える場合は、言葉は努めて正確に使わなければ、到達点に少なからぬブレを生じてしまう恐れがありますね。ですから理解の誤差を最小限にとどめるために、ここではまず言葉の定義をakegataさんと僕とで共通のものにして話を進めたいと思います。

定義の基準は便宜上gooの国語辞典としましょう。gooの国語辞典によると正義と善は明らかに異なるものとして次のように説明されています。

正義:正しい道義。人が従うべき正しい道理。
善:よいこと。道理にかなったこと。また、そのようなおこない。反意語は悪。

正義の反意語はありません。

さて、この解釈によると”正義”=正しい道理、”善”=道理にかなったこと、となりますので、まず正義ありきで、正義にかなうことが善、正義にそむくことが悪となりそうですね。とりあえず正義と善、悪はこのように定義づけておきましょう。
 
正義については、国家の内で実現されるべき正義として次のような解説があります。
①自然的正義=人間の本性そのものに基づいて普遍的に存立する正義。
②人為的正義=立法機関による制定・裁判所の判例・慣習などによってつくり出され、一定の時代、一定の社会において実効性をもっている正義。

①が法律で言うところの自然法であり②が実定法となることは、法学部専攻のakegataさんには釈迦に説法ですね。(^^)

さて本論「アドルフの拳と私のコーヒー」で論じられていることは、①の「人間の本性そのものに基づいて普遍的に存立する正義」であるかと思います。これが実は普遍的ではないのですよね。私の本性があなたの本性と同一とは限りません。また、彼の本性が彼女の本性と同一とは限りません。同じ人間なのですから概ね似通っているとは言えるでしょうが、時には一部少数派において根本的に異なる場合もありますね。このような本性に基づく正義ですから、普遍性から逸脱する正義もたくさんあるわけです。

ヒトラーの正義の一つはユダヤ人を抹殺することでした。つまり彼はユダヤ人を人とみなさず、また無害な家畜ともみなさず、悪魔と断定したわけです。これは彼個人の正義として尊重してもいいのですが、彼の場合はナチス党という統一思想集団の教祖でした。つまり彼の正義に対し、ナチス党員は無思慮、無批判にそれを自分の正義とし、ここに集団の正義が生まれました。そしてあのような悲劇が起こったのです。これが統一思想に洗脳された集団の恐ろしさであり、現在も尚、世界はこの集団の正義の恐怖に慄いています。

以上の観点から、akegataさんのいう「正義とは自己思想なのではないか?」というのは、まったく当たっていると思います。そして、これもakegataさんの言うように「自分の正義はちゃんと持たなければならない」ということですね。集団の正義に洗脳されてしまうことのないように。これは非常に大事なことです。

僕個人の正義に沿うと、ブッシュもアルカイダも共に悪です。どちらかと言えばブッシュの悪の方が大きい。もちろん両者共にアメリカ政府の正義、アルカイダの正義に従った行為だったわけですが、とうてい世の中に通る正義ではありませんね。

因みに、”善”の倫理学的解釈として、「人間のあらゆる営みが目指すところ、あるいは営みを律する義務の源泉とされる。」という説明があります。これは正義の上位に来るものかも知れませんね。

というわけで、長くなってしまってすいませんでした。
またたくさんお話しましょうね。(^^)

「倫理と道徳」2009-12-14
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反転する世界2

2007-09-10 22:20:20 | 思索
実は、僕が「反転する世界」を書いたのは、正に、かの文集で巧妙に語られていた「唯我論」からインスピレーションを得てのことだったのです。

唯我論のネガ・ポジの間での僕自身の揺らぎ。これは案外大丈夫だと思っています。まず、ポジをロジックで無効にすることを、かの文集が教えてくれていますね。それだけでも多くの人は十分安定すると思いますが、僕の場合は、かなり昔のある時点で”Aタイプの宇宙に立脚する”と決めたのです。だからどうにか揺らぐこと無く今まで来れました。でも何故そう決めたのかな? ロジカルな根拠はもちろんありません。でもそれはかなり強い直感でしたね。その直感はBタイプの宇宙を完全に否定してしまうほどの強さがありました。その直感に訴えたものは、たぶん”耐え難い人の悲しみ”だったと思います。これほどのやるせない悲しみは、それが現実だからこそ知覚され得るのだと理性が結論付けたのでしょう。ホロコーストにせよ、イラク戦争にせよ、直感を確信に近づけていく出来事は、僕にとっては今も毎日のようにあります。これは世の全てが作為ではなく、偶然であることの裏づけにもなっています。もちろんこれも僕にとってということですが。

さて、Aタイプの宇宙を意識の中で展開すると、Bタイプの宇宙と見かけ上一致しますね。ネガ・ポジの関係であることには変わりませんが、両者とも意識の産物であり極めて近い位置にあるように思えます。そこでこのAタイプ宇宙の意識内概念をaタイプ宇宙とすると、人は日々の営みとしてAタイプとaタイプの宇宙の間を頻繁に往来しています。その往来はとても心地のよいことでもあり、人の心に豊かさをくれるものだと思います。

「反転する世界」ではaタイプ宇宙が、a’に反転する現象について考えてみました。a’タイプ宇宙は極めてネガティブ(悪しき意味での)な世界です。aを実軸とすると、a’は虚軸になり、僕はこの虚軸の世界が心の病を象徴するものと捉えています。人は様々な事情により、時として世界が反転し、虚軸の世界の息も止まるような苦しみを体験することもある訳ですが、実軸世界に戻る力は常に体内に作用しているのだと思っています。

原因と結果は相対的に入れ替わることがよくありますが、人間のリビドーが外界の対象にしっかり注がれているか、外界に対する生き生きとした関心を失ってしまうかは、むしろ、実軸世界から虚軸世界への反転の結果であるようにも思います。お互いが相関して入れ替わりながら、原因となりまた結果となるのかも知れませんね。

>「脳という機械」の単なる変調ではなく、人格と密接に関係した
>人間的な現象(実存の病)なのだと感じています。

そうですね。全てを脳機能に求めてしまうと、唯物論の中に取り込まれてしまいますね。全てが物質に還元できる?などと考えるとなんだか半信半疑ですが、ただ、昨今のフラフラさん達を見ていると、機械的故障が発生しているようにも見えてなりません。
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日の丸

2007-09-07 20:14:54 | 思索
To at 2005 04/19 16:02 編集 返信

今春の卒業式、入学式での「日の丸」掲揚と「君が代」斉唱について、広島県教育委員会が県内の公立学校長に対し、斉唱の際の声の大きさや不起立だった児童・生徒、教職員の概数を報告するよう求める通知文書を出していたことが明らかになった。県教委はこの報告に基づいて起立しなかった教職員らを処分したという。

県教委によると、通知文書は1月、県立高校や公立小中学校など約1000校の校長に出された。「国旗・国歌実施状況」「教職員の服務状況」「教職員への対応記録」について、式後1週間以内の提出を指示している。

「君が代」については「式場内に響き渡る歌声であった」「響き渡るとはいえないが、歌声は十分聞こえた」「歌っているとはいえない歌声であった」の三つから選択。不起立の教職員や児童・生徒の概数も記入することとされた。

2005年04月13日 asahi.com

この事実を見て、馬鹿馬鹿しさと共に非常な危機感を感じなければ嘘だ。思想や価値観は個々人で異なっているのは当たり前のことで、またそれは固定化したものではなく、時間と共に変化していくのも当然のこと。異なる個々人、その全てが尊重されなければならないのは言うまでも無い。

国旗掲揚時に全員が国家を歌うこと、また反対に全員が沈黙すること、この両者共に想像するだに怖ろしい。起立して浪々と歌う人も居れば、座ったまま黙ってる人も居る、そんな複数色であることが集団の健全性を示しているのである。個人が集団のためにあるのか、集団が個人のためにあるのかと問えば、明らかに後者であることは疑いも無く、これは個人を国民、集団を国家と言い換えても同じことである。

しかるに現在の風潮は上記記事のごとくである。
ジャーナリスト:斉藤貴男氏の著書「いったい、この国はどうなってしまったのか!」の副題、”この国はなぜ日本国憲法の理念を現実化する努力を放棄し、戦争準備を 急ぐのか? なぜメディアは排外ナショナリズムを煽るのか?”は鮮明に現在を言い表している。

ホロン
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膝をついた旅人へ

2007-09-06 22:20:05 | 思索
あなたは無力ではありません。あなたは愚かではありません。あなたは悪くはありません。あなたの世界は闇ではありません。あなたの愛するものに間違いはありません。

自分は無力で愚かで無様、見える世界は闇、いま、そんな気がしているだけです。

全ての美しさは内部の核から醸し出されるものです。様々な理由によって、いまは眠るあなたの核は、眠っていても健やかに息づいています。その健やかな息づきは、あなたの苦悩から見て取ることができます。そして眠りには必ず目覚めがあります。その時に訪れる、あなたの世界の美しさは、あなたの苦悩に対する特権なのです。
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電気ブレーキ(回生ブレーキ)

2007-09-05 09:50:08 | 電子回路
「21世紀に間に合いました」のプリウスに始まり、昨今ではハイブリッドエンジン搭載車がにわかに増えてきました。ハイブリッドエンジンではモータとエンジンが適時切替りますが、モータ走行時にはエンジンブレーキに相当する電気ブレーキなるものが制動用に使われます。さて電気ブレーキとはどのようなものなのでしょう?

電流を流すことによりモータの回転子が回る場合(加速時)は、磁界・電流・力の関係にフレミングの左手の法則が成り立ち、逆に、磁界中を回転子が回り発電する場合(惰力走行、減速時)はフレミングの右手の法則が成り立ちます。

図からわかるように、回転子が同一方向に回転していても、加速時と減速時では電流の向きが逆になります。減速時において回転子のコイルの両端が開放状態であれば、電流は流れず両端に電圧(起電力)が発生しています。この状態では回転子は空回り状態で、何ら回転に抵抗する力は発生しません。しかしコイルの両端を接続すると、加速時とは逆方向の電流が流れ回転に抵抗する力が発生し車に制動がかかります。これが電気ブレーキです。

電車の場合このコイル電流を架線に戻し、他の車両がそれを使って走ることができます。自動車の場合はバッテリーのチャージに使用し、ロス分を差し引いたエネルギーを回収します。電気ブレーキをこのように使用することを回生ブレーキといいます。このようにモーター駆動はとても効率の良い加速・制動システムなのです。

関連記事:起電力と電圧 2009-10-16
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無意識の定義

2007-09-04 23:18:59 | 思索
”愛情が無意識に存在する”というのは確かに曖昧でしたね。愛情は意識に認識されるが、心的エネルギーの核としての愛情は無意識に養われ認識不可能である、と表した方が正確ですね。

ともかくも、元型など生来的に存在するものや、抑圧された性欲以外にも、後天的に無意識を形成していく対象は色々とありそうですね。精神分析や分析心理学等の方法論は、それによって実際に精神病の患者が治癒するという事実から、無意識のある部分は客観的に把握し得ることを示しているのでしょう。
 
ここで注目すべきは、他者が他者の無意識を認識できる(=言語化できる)のであって、自己の無意識は認識し得ないということですね。

となると、無意識は定義できる領域と定義できない領域の、大きく二つに分けることができるのではないかと思えてきます。そして謎はこの定義できない領域です。例えばグノーシス主義では、恐らくこの領域を知り得たときに覚醒が訪れ、人は物質世界から解放されると解釈されているのではないでしょうか?

地球から最も遠い銀河は、140億光年の距離にあるとされていますが、心の宇宙はもっと広いのかも知れませんね。
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ツェナダイオードの特性

2007-09-04 01:51:16 | 電子回路
NEC製のツェナダイオード、RD5.1Eの電流電圧特性を実測してみました。ツェナダイオードが壊れる100mAまで測定していないのが残念ですが、44mAのときに5.4V、それからしだいに下がって8mAを割る辺りで急激にツェナ電圧が低下しています。しかし1mA程度の電流でも4Vくらいにはなるんですね。

【ツェナダイオード1個で作る定電圧電源】
さて、これからが設計思想ですが、5Vの電源電圧を使って動かす回路の消費電流が最大40mA程度で、0.3V程度の電圧変動は許容できるということなら、このデータの最大値44mAをアイドリング電流とすればよいのです。そうすれば0~40mAの電流出力ができることになります。負荷電流40mAというのがカッコイイ表現ですね。5V 40mAもあれば、昨今のオペアンプなら30個以上動かせますぞ。

また、消費電流は10mA以下だが電圧変動は1%以下に抑えたいということならアイドリングを15~45mAのどこか、まあ20mA程度にしておけばいいでしょう。電流負荷が小さいのに、定電圧回路で40mAも流すというのはもったいない話です。

関連記事:
定電圧電源を作ろう①ツェナ 2009-12-14
指数関数とダイオード 2007-09-21
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