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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

日の丸

2007-09-07 20:14:54 | 思索
To at 2005 04/19 16:02 編集 返信

今春の卒業式、入学式での「日の丸」掲揚と「君が代」斉唱について、広島県教育委員会が県内の公立学校長に対し、斉唱の際の声の大きさや不起立だった児童・生徒、教職員の概数を報告するよう求める通知文書を出していたことが明らかになった。県教委はこの報告に基づいて起立しなかった教職員らを処分したという。

県教委によると、通知文書は1月、県立高校や公立小中学校など約1000校の校長に出された。「国旗・国歌実施状況」「教職員の服務状況」「教職員への対応記録」について、式後1週間以内の提出を指示している。

「君が代」については「式場内に響き渡る歌声であった」「響き渡るとはいえないが、歌声は十分聞こえた」「歌っているとはいえない歌声であった」の三つから選択。不起立の教職員や児童・生徒の概数も記入することとされた。

2005年04月13日 asahi.com

この事実を見て、馬鹿馬鹿しさと共に非常な危機感を感じなければ嘘だ。思想や価値観は個々人で異なっているのは当たり前のことで、またそれは固定化したものではなく、時間と共に変化していくのも当然のこと。異なる個々人、その全てが尊重されなければならないのは言うまでも無い。

国旗掲揚時に全員が国家を歌うこと、また反対に全員が沈黙すること、この両者共に想像するだに怖ろしい。起立して浪々と歌う人も居れば、座ったまま黙ってる人も居る、そんな複数色であることが集団の健全性を示しているのである。個人が集団のためにあるのか、集団が個人のためにあるのかと問えば、明らかに後者であることは疑いも無く、これは個人を国民、集団を国家と言い換えても同じことである。

しかるに現在の風潮は上記記事のごとくである。
ジャーナリスト:斉藤貴男氏の著書「いったい、この国はどうなってしまったのか!」の副題、”この国はなぜ日本国憲法の理念を現実化する努力を放棄し、戦争準備を 急ぐのか? なぜメディアは排外ナショナリズムを煽るのか?”は鮮明に現在を言い表している。

ホロン
コメント (2)
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