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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

二元論(風景と地図)①

2007-09-24 23:20:30 | 思索
いま目に見えている路地や山、耳に聞こえる街の音、肌に感じる風、それらは自分の外に在るかのような気がしているが、実はそれこそが心であり、自分の内部の中心に在る。

事実は、AIさんのいう、この言葉に尽きると思います。

確かにここには見事な意識反転がありますね。風景は外に置けば”地図”となり、内に置けば”心”となる。個人にとって重要なのは、客観存在よりも主観存在であることは当然だと思います。

さて、ここでもちょっとホロン流整理を試みてみますね。これによって表れるのは僕の心象風景の一つですから、AIさんの心象風景と異なる部分はたぶんに想定できますね。間違い=異なる部分があれば指摘してくださいね。この指摘と話し合いにより修正がかかり、合意の了解が得られる可能性があるのも大変興味深いことです。これは紛れも無く”地図化”によって成り立つのでしょう。

では、まず言葉の定義からいきます。

心(精神)
意識と無意識の総体。

心象風景
①視覚や聴覚などの感覚器官に捉えたれた物理情報を心が解釈したもの。
②精神的現象(精神的存在)。
③一次的リアリティ。
④人の数だけ異なって存在し、お互い相容れない複数リアリティ。

(補足)
無意識の深さにおいて、レベル0(ゼロ)から9までの段階を有する。レベルゼロの心象風景は”地図”に相当する。

地図
①心象風景から抽出し一般化した”概念”。
それは自然科学、人文科学等、科学一般によって示され、取り扱われる。
②物理的現象(に代表される存在)。
③二次的リアリティ。
④万人に同一物として共通認識される、唯一リアリティ。
      
(補足)これもまた唯一リアリティとして心に解釈される。つまり心象風景の一つであり、万人に了解されることを特徴とする心象風景。ただしこれは意識レベルゼロにおける心象風景である。また、この”地図”の存在故に他者とのコミュニケーションが成り立つ。

物理的現象と精神的現象の相関関係は”色”が分かりやすい。物理的現象としては異なる波長の光の合成という存在形態であるが、精神的現象としては”色”という存在形態である。

”音楽”も同様である。物理的現象としては異なる波長の音の合成であるが、精神的現象としては”音楽”である。これは芸術一般において全て言えることである。

だから、空が青いのは屈折率の高い青の波長が大気の層で拡散するという物理的現象の事実であり、また同様のことが精神的現象では青色として出現する。これも事実である。両者の事実は異なる次元の上に立っており、互いに場所を取り合うものではない。言い換えれば、物理学は精神的存在を問うことはできない。

さて、諸々の間を飛ばして、ここでまとめに入ります。

”地図”が無ければ、人は如何なる社会生活も営むことはできない。しかし、観点を入れ替えると、人は生活や活動において”地図”のみを基準とすることが多く、その源泉である幾層もの階層で構成されている”心”を忘れてしまいがちである。真理を探究しようとする時、”心”の目を開かず、”地図”ばかりをいくら眺めても、本質は一切見えてこないのである。

「無意識の深さと、この風景としての世界の深さは、一致している!」
諸手を上げて賛成です。
コメント
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