ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」より
P82
強制収容所の人間は、みずから抵抗して自尊心をふるいたたせないかぎり、自分はまだ主体性を持った存在なのだということを忘れてしまう。内面の自由と独自の価値をそなえた精神的な存在なのだという自覚などは論外だ。人は自分を群集の一部としか受け止めず、「わたし」という存在は群れの存在のレベルにまで落ち込む。きちんと考えることも、なにかを欲することもなく、人々はまるで羊の群れのようにあっちにやられ、こっちにやられ、集められたり散らされたりするのだ。
これは、どこぞの会社の魂を抜かれた管理職たちにも当てはまりそうな気がするなあ。そして次のように続く。
P83
強制収容所に入れられた人間が集団の中に「消えよう」とするのは、周囲の雰囲気に影響されるからだけでなく、さまざまな状況の中で保身を計ろうとするからだ。被収容者はほどなく、意識しなくても五列横隊の真ん中に「消える」ようになるが、「群衆の中に」まぎれこむ、つまり、けっして目立たない、どんなささいなことでも親衛隊員の注意をひかないことは、必死の思いでなされることであって、これこそは収容所で身を守るための要諦だった。
P82
強制収容所の人間は、みずから抵抗して自尊心をふるいたたせないかぎり、自分はまだ主体性を持った存在なのだということを忘れてしまう。内面の自由と独自の価値をそなえた精神的な存在なのだという自覚などは論外だ。人は自分を群集の一部としか受け止めず、「わたし」という存在は群れの存在のレベルにまで落ち込む。きちんと考えることも、なにかを欲することもなく、人々はまるで羊の群れのようにあっちにやられ、こっちにやられ、集められたり散らされたりするのだ。
これは、どこぞの会社の魂を抜かれた管理職たちにも当てはまりそうな気がするなあ。そして次のように続く。
P83
強制収容所に入れられた人間が集団の中に「消えよう」とするのは、周囲の雰囲気に影響されるからだけでなく、さまざまな状況の中で保身を計ろうとするからだ。被収容者はほどなく、意識しなくても五列横隊の真ん中に「消える」ようになるが、「群衆の中に」まぎれこむ、つまり、けっして目立たない、どんなささいなことでも親衛隊員の注意をひかないことは、必死の思いでなされることであって、これこそは収容所で身を守るための要諦だった。
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