韓国の前大統領が突然自宅の裏山から自殺を図られたとの報道には少なからず、驚きと哀悼を感じたことでしょう。その国の重責を終えたとしてもその名は永遠に消えることはないのです。死を選ぶということは、時には生を保ち続けるより楽な選択肢かもしれません。ご本人にとってはそれが終焉の刻なのですから。
逝去された大統領に限らず、すべての人間の命は「生きる」ことも「死ぬ」ことも同列なんだといい、それも大きな宇宙の中で選別するほどの価値を持たないのだ、と主張する言い方もあるようですが、ぼくは「死ぬ」ことよりも「生きる」事の方がもっと苦しい。それでも生きることの意味と価値は、そのときまで保ち続けることの方が大切ではないのかと自分に問います。
死は生の延長線上にあり、永遠の命はどこかで行き続けているのでしょう。神の慈しみを受けながら。だから生も死もひとつだと元大統領は遺書らしきものに記しておられるようです。悲しんではならない。誰も恨んではならない、とあったそうです。悲しい言葉です。世界には”今日も生きていたい!”と叫ぶような思いで闘っている方々がいることを決して忘れてはなりませんように。
やさしいタイガー
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