多くの専門家は、20世紀は「戦争の世紀」と位置づけています。実に多くの国が対立し、戦争を続けてきました。今になって愚かな行為だと自戒し、あざけってきました。
しかし、21世紀に入って、こうした愚かさを顧みて二度と戦争は起こすまいと誓っている国の為政者が減っているように思います。どうもそう思われない行動が次第に際立っていうrからです。
シリアは今、内戦状態になり、厳しい対立が続いています。国連は非難決議や制裁を通告していますが、そんな国を応援している国もあるのが現実の社会です。
では日本はどうでしょうか。原爆の被爆国として、人類史上ありえない大被害を被ってきました。平和を基軸に戦争を遺棄し、曲がりなりにも穏やかな国家を築いてきました。
しかし、最近一部の政治関係者のささくれ立った発言や行動によって、平和思想をないがしろにする人物が現れています。言葉は時には暴力を誘発します。ましてや大きな責任をまつ立場の人物が無節操に発言することによって、善良な民意を踏みつけてしまう結果を生みだすことを十分承知の上での発言です。
絶え間なく続く戦争の傷は、癒しがたいものになります。パキスタンのマララという15歳の少女がイスラム原理主義者と称する連中からバスの中で銃で撃たれ、目下治療中とのニュースを知りました。たとえ誰であれ、一人の人間の尊厳をないがしろにする行為は許されません。悲しみより怒りを覚えます。
これも対立が生む戦争の一種です。戦争は見境なく行われる野蛮な行為だということを、少なくとも国家を担う中枢が十分承知しているはずです。戦争の魅力がどこにあるのでしょうか。
今世紀こそ、戦争のない互いに相手を尊厳する世紀にしたいと願う人が多いにもかかわらず、どこか不穏な空気を感じるのは辛いことです。
対立は必ず和解できるはず、と実践している国も多いのです。そのためにこそ、私たち個人が主張をもちながら、赦しの心をしっかりもつことからしか、事が始まらないように思います。そんな世紀にしたいものです。
やさしいタイガー
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