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こんな議員なら激励したくなる

2015-04-29 11:00:40 | 日記・エッセイ・コラム

 今年は統一地方選挙の年だった。多士済々の候補者が選挙に挑んだが、その中でも新しい潮流を感じさせる議員が誕生した。メディアで知ったのでごく一部しか知らないが、思わず励ましたくなる議員もいた。そしてこういう人を選んだ有権者の良識がその地域にあるのではないかと感じさせられたのである。

 この候補者は東京北区から立候補してトップ当選を果たした女性である。記事によると、1歳の時に聴覚を失い、うまく話せない、という。2007年に東京で銀座のクラブのホステスとして働いていたそうだが、お客とは筆談で会話をしていた。そのうちに知人に誘われるうちに「障害者の声を政治の世界に届けたい」との思いを持ち、立候補したのだ。

 厄介なのはどうやって有権者に自分の政治姿勢を示すかだった。思わぬバリアが行く手をふさいでしまう。公職選挙法には、選挙用ビラは配れないと規定しているそうだ。それでは街頭演説の代わりにボードに文章を書いて見せようと考えたが、これも文書図画の掲示に反すると。せめて名詞だけでも渡したいと思ったら、これも違反だという。次々と示されるバリアにさぞがっかりしたことだろう。

 「今の選挙制度は、『音』があることが前提で言語や聴覚の障害者を排除しているのでは」と訴えたそうだ。有権者はこのような真摯に課題と向き合う候補者に激励を込めて一票を投じたのではないかと思う。50人も立候補した中でトップ当選をしたのである。

 公職選挙法がこんなに難しいものとは思わなかったが、そもそも難関にしたのは、多数の違反行為を重ねてきた候補者や取り巻きが、この時ばかりと異常な行動に出た所産なのかもしれない。また選挙の時期になると警察は「選挙違反取締本部」を置いて目を光らせるのである。まるで犯罪予備軍が一斉に怪しげな行動を起こすことへの警戒をしているかのような動きである。実に情けない。

 もっとも当選し、議会に出た途端、権力を一手にしたかのような振る舞いをし、差別や蔑視、金銭扱いへのごまかし、自己責任から逃れたいという驕り、などを繰り返す質の低い議員がいることも事実なのだから、致し方ないのかもしれない。それほど議員になる旨みがどこかにあるのだろうか。一度聞いてみたい気がする。

 これから4年、新鮮な気持ちを持った議員たちに言いたい。あなたは誰のために議員になったのか、そこを忘れずに弱さを抱える人々に思いを寄せて謙虚に歩まれるようにということだ。

やさしいタイガー


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