エッセイ集、『かにかくに刻』(山田英子著・編集工房ノア刊)です。

わたしにとって未知の人、山田英子さんからお贈りいただいたエッセイ集。
「文芸日女道」の同人ということで、多分姫路の文学研究家、森本穫さんの縁でのことでしょう。
300ページを超える立派な書籍。上品な装丁。
読み始めてすぐに著者の山田さんは頭脳明晰な人と思った。そしてハイソサエティーとでも言おうか、上流家庭の人であろうと。
文体にわたしのような世俗の垢が見えないのだ。
それは後半のオランダのことを書かかれた文でハッキリする。
わたしとは住む世界が違うのですね。行儀のよい文章です。
さらに描写力に富んでいる。これは文を書くべくして書いておられる人と感じた。生き生きと楽しんで書いておられる。
ご住所は姫路市。わたしの長男が住む町に近いS本町。そこから好奇心を伸ばしての色鮮やかな各種エッセイ。
初めの方にある「夕映え」で「おっ」と思った。
お城を中心とした姫路の日没風景が描かれて、それは見事な描写力で。
ご自宅二階のベランダから《東から昇った太陽が西に沈むのは、毎日の営みではあるが、人生の終わりに似てはいないだろうか。》と、自然に終活の話へと流れて行く。そして、
《最近あの人見かけないわね。そういえばそうね。こんな会話で、自然に忘れられていく死に方に憧れる。西に傾く夕暮れの神秘的な光に包まれて、十万億土のかなたの別世界へ、そっと持っていってもらえたら、実に理想的である。》と結ばれる。
わたしが「おっ」と思ったのは、拙著『触媒のうた』に同じような文章を書いているからである。
作家、杉本苑子さんの言葉として、
《葬式は無用。墓もいらない。じつを言えば涙や哀悼の言葉も辞退したい。「あの人、いつのまにかいなくなってしまったなあ」それでよい。そういう消え方が理想なのだが、うまくゆくかどうか…。》
そして杉本さんは、実際にそれに近い消え方をなさったのだった。
ちなみに杉本さんの直筆のハガキ(宮崎翁宛)をわたしたくさん持ってます。
「台所のアラベスク」の章の(一)。102ページ。《姫路文学館で開催される阿部知二研究会で、》とある。
やっぱりと思った。阿部知二研究会は森本穫さんが事務局長をなさっているのだ。縁ですね。
「台所のアラベスク」の(七)に大きな感動を受ける。短いながら息も継がせぬ人間ドラマ。いい小説を読ませてもらったような。
後半の「偉大な小国」の中に、尊厳死、リビング・ウィルの話が出てくる。
英子さんも準備しておられるということだが、わたしもずいぶん前に書いて、子どもたちに示してある。
先に心臓病で病院にかかった時もコピーを提出済みだ。
英子さんのその人生は、わたしとは大いに違うが、考え方に似たところがあるようで、ちょっと安心させてもらった。
『コーヒーカップの耳』

わたしにとって未知の人、山田英子さんからお贈りいただいたエッセイ集。
「文芸日女道」の同人ということで、多分姫路の文学研究家、森本穫さんの縁でのことでしょう。
300ページを超える立派な書籍。上品な装丁。
読み始めてすぐに著者の山田さんは頭脳明晰な人と思った。そしてハイソサエティーとでも言おうか、上流家庭の人であろうと。
文体にわたしのような世俗の垢が見えないのだ。
それは後半のオランダのことを書かかれた文でハッキリする。
わたしとは住む世界が違うのですね。行儀のよい文章です。
さらに描写力に富んでいる。これは文を書くべくして書いておられる人と感じた。生き生きと楽しんで書いておられる。
ご住所は姫路市。わたしの長男が住む町に近いS本町。そこから好奇心を伸ばしての色鮮やかな各種エッセイ。
初めの方にある「夕映え」で「おっ」と思った。
お城を中心とした姫路の日没風景が描かれて、それは見事な描写力で。
ご自宅二階のベランダから《東から昇った太陽が西に沈むのは、毎日の営みではあるが、人生の終わりに似てはいないだろうか。》と、自然に終活の話へと流れて行く。そして、
《最近あの人見かけないわね。そういえばそうね。こんな会話で、自然に忘れられていく死に方に憧れる。西に傾く夕暮れの神秘的な光に包まれて、十万億土のかなたの別世界へ、そっと持っていってもらえたら、実に理想的である。》と結ばれる。
わたしが「おっ」と思ったのは、拙著『触媒のうた』に同じような文章を書いているからである。
作家、杉本苑子さんの言葉として、
《葬式は無用。墓もいらない。じつを言えば涙や哀悼の言葉も辞退したい。「あの人、いつのまにかいなくなってしまったなあ」それでよい。そういう消え方が理想なのだが、うまくゆくかどうか…。》
そして杉本さんは、実際にそれに近い消え方をなさったのだった。
ちなみに杉本さんの直筆のハガキ(宮崎翁宛)をわたしたくさん持ってます。
「台所のアラベスク」の章の(一)。102ページ。《姫路文学館で開催される阿部知二研究会で、》とある。
やっぱりと思った。阿部知二研究会は森本穫さんが事務局長をなさっているのだ。縁ですね。
「台所のアラベスク」の(七)に大きな感動を受ける。短いながら息も継がせぬ人間ドラマ。いい小説を読ませてもらったような。
後半の「偉大な小国」の中に、尊厳死、リビング・ウィルの話が出てくる。
英子さんも準備しておられるということだが、わたしもずいぶん前に書いて、子どもたちに示してある。
先に心臓病で病院にかかった時もコピーを提出済みだ。
英子さんのその人生は、わたしとは大いに違うが、考え方に似たところがあるようで、ちょっと安心させてもらった。
『コーヒーカップの耳』