「口頭詩」の意味を間違えて使っておられる人があります。
誰かがしゃべったそのままをそばで聞いた人が詩にしたものだと誤解しておられることが。
実はそうではないんですね。
昨年の私のブログに一度書いてますので、もう一度。
《「口頭詩」のこと》と題したブログです。
ここで、加古川の詩人、高橋夏男氏がわかりやすく書いてくださっています。
「口頭詩」とは、子ども、まだ字を書けない幼い子どもが 口にした言葉をそばにいる大人(主に母親)が「これは詩になる」と感じて書き留めたもの。
だから、「聞き書き詩」とはちがうんですね。
そういう意味で、わたしの20年前の『コーヒーカップの耳』は「聞き書き詩」なのですが、「口頭詩」ではないのです。
ここに改めて記しておきます。
『コーヒーカップの耳』
誰かがしゃべったそのままをそばで聞いた人が詩にしたものだと誤解しておられることが。
実はそうではないんですね。
昨年の私のブログに一度書いてますので、もう一度。
《「口頭詩」のこと》と題したブログです。
ここで、加古川の詩人、高橋夏男氏がわかりやすく書いてくださっています。
「口頭詩」とは、子ども、まだ字を書けない幼い子どもが 口にした言葉をそばにいる大人(主に母親)が「これは詩になる」と感じて書き留めたもの。
だから、「聞き書き詩」とはちがうんですね。
そういう意味で、わたしの20年前の『コーヒーカップの耳』は「聞き書き詩」なのですが、「口頭詩」ではないのです。
ここに改めて記しておきます。
『コーヒーカップの耳』