「今津歴史塾」へ行ってきました。

今回は「西宮水車盛衰記」のタイトルで、かつて西宮で稼働していた水車工場の話。
一般に水車は「水車小屋」とのどかなイメージで語られたり歌われたりするが、西宮や神戸にあったものは工場と呼ぶほどの大きなものが多かったということ。
テキストに写真資料が掲載されています。
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大正時代の写真。これは広田にあった水車のための水を流す「高戸樋」です。
人も一緒に写ってますが、こんなに大きな施設だったとは思いもしませんでした。
これは水車工場が後ろに写っている写真。
『なつかしい神戸』より「住吉川上流の水車場」
水車場で精米された米を運ぶゴロタ車の列です。その規模が分かろうというもの。
水車は重要なエネルギー源だったのですね。
しかしこの後、石炭などが流通するようになり、水車は衰退してゆき、昭和13年ごろには西宮での水車業は4社のみになったという。

今回は「西宮水車盛衰記」のタイトルで、かつて西宮で稼働していた水車工場の話。
一般に水車は「水車小屋」とのどかなイメージで語られたり歌われたりするが、西宮や神戸にあったものは工場と呼ぶほどの大きなものが多かったということ。
テキストに写真資料が掲載されています。

大正時代の写真。これは広田にあった水車のための水を流す「高戸樋」です。
人も一緒に写ってますが、こんなに大きな施設だったとは思いもしませんでした。
これは水車工場が後ろに写っている写真。

水車場で精米された米を運ぶゴロタ車の列です。その規模が分かろうというもの。
水車は重要なエネルギー源だったのですね。
しかしこの後、石炭などが流通するようになり、水車は衰退してゆき、昭和13年ごろには西宮での水車業は4社のみになったという。