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ここあコテージ

風景、鳥、畑、クラフト、ハンドメイド「みつより」情報など発信♪

フウセンカズラの種の袋詰め

2011-12-08 20:38:35 | 手作り
今日はずっと小雪が舞っております。
寒いです。暗いです。空も気持ちもどんよりしています。

今日は、何の日かご存じですか?
そう、「真珠湾攻撃した日」ですが、もう一つ、「もんじゅがナトリウム漏れ火災事故を起こした日」でもあります。

この日を、「脱原発の日」と決めている方もいるみたいです。

気持ちが暗くなってきた理由は、県議会で、再処理施設再稼働と大間原発工事再開が決定的になりつつあるからでして。

県議会では、この度の件について、一年生議員である弘前選出の自民党・斎藤爾さんが
実質「脱原発」を表明したのに対して、自民党のお偉い方々が、彼を連れ出して、お灸を据えたらしい。斎藤さん、がんばれ。彼は、屈するのでしょうか。それとも自分の信念を貫くでしょうか。

ところで、共産党の安藤晴美さんによると、たとえば自民党の方々の、こうした原発や再処理施設の再稼働に懸念を示していても、最終的には、やはり推進派に従ってしまうので、最終的にはっきりと反対を表明しているのは、共産党と社民党の議員、3名くらいだとのことです。

安全検証委員会は何の意味があったの?
国や県が何を言おうが、再稼働は自社が決定するという原燃と電源開発。
県民説明会は何だったんです?
こうなったらもう県民投票でもしない限り、民意が伝わらないのかも知れません。

国を動かすのは、国民の声です。
国が頑固でも、世論によって動いた事はいくらでもあります。
現に中東で今も自由を求めて、人々が運動を起こし、独裁者達を追い込んでいます。
青森県だって、県民の声がもっと大きくなれば、何かが動くかも知れません。

あ~・・・ため息つきながら、私はクリスマスの準備に今日も余念がありません。
半ば、こうした県の成り行きをあきらめ気分で、しかしもう半ば、「腹を立てても始まらない、希望を持って見ていこう」という思いの中で、葛藤し、揺らぎながら・・・

というわけで、きのう、今日と、暇を見ながら私は、教会に飾るものを作っていました。私の好きな切り紙で。フリーハンドなんで、良く見ると雑。でもそれでいいと思ってます。

これは星形に切った色違いの紙を、2枚重ねています。


糸をつけて・・・これを天井からつり下げます。
星降るクリスマス、なーんてね。

それと、赤と緑の画用紙を切って貼ったポインセチア風の花。
(あくまでも「風」。連れ曰く「もみじ」かと思ったと・・・まあ、ご自由に発想していいわよ、許します。)




これを教会のカフェカーテンにくっつけてしまいました。寂しかったので。
(実はこのアイディア、ATVの「おしゃべりハウス」さんからパクリました・・・)



それと、18日のリサイタルにお客様に配る「フウセンカズラの種」を袋詰めしました。中に説明書も入れて。(これ、意外と手間取りましたよ。)
リサイタルにおいで下さいね~。ハート模様の種も待ってますからね。


今日が「脱原発の日」だよって、言わなくてもいい日が早く来ますように。

「原発?何それ?」って、見た事も聞いたこともないという日が一日も早く来ますように。

「核」がこの世から無くなりますように。

願って止みません。

ここあでした。
















弘前の灯り

2011-12-08 00:12:12 | 風景・散策
今日は「大雪」だそうですが、雪はまったくなく、暦の上だけのことです。
それにしても今年はやはり暖かいのしょうね。
各地のスキー場に雪がまだ降らないそうです。
でも、北海道や青森の山は雪があって、スキーを楽しんでいる姿が放送されました。

今日は午後から教会の祈り会。
夜は弘前の英会話教室に行きました。(2週間ぶり)

で、英会話まで時間があったので、せっかくだから弘前のライトアップしたのを見て来よう!ということに。

私たちは、弘前出身ですが、まだ一度もまともにライトアップを見ていません。
近いとかえってなかなか見に行かないものです・・・。

土手町の坂を上り、前方には、日本キリスト教団・弘前教会の近くに、大きな木がありました。きれいにライトアップされていましたよ。


そして、いよいよ弘前公園外堀・図書館・市役所前












車に乗ったまま写したため、なかなかうまく撮れませんでした。

想像より寂しかったんだけど(もっとライトの数も多いのかと思いました)、灯りっていいですね。

ここだけではなく、弘前のあちらこちらでお店の前のツリーに点灯されていたり、一般のお宅がライトアップされていたり・・・。

灯りというと、3.11と4.7の長い停電を思い出します。
生まれて初めての長い停電で、不便を感じる以上に、どんなに電気に頼って生きていたかが良くわかりました。
そして、電気が復旧した時、家族で拍手してしまいました。

阪神・淡路大震災の時も、経験者達が語るには、やはり灯りがあるのと、ないのとでは
不安が何倍も違うと言います。

確かに灯りが灯っただけで、心の不安が少し消えますよね。

停電の時、キャンドルを灯して食事しました。
テレビもないため、音がなく、かえって「しーん」という音がしていたんです。(わかります?)

電気を使わず、こういう時間を作ろうというキャンペーンもありますよね。
家族の会話を楽しんだり、電気の節約のために。

確かにたまにはいいのかもしれません。

ところで、クリスマスと光は切り離せません。
なぜなら、イエス様は「光」として、この世に降りて来られたからです。

「この方は光であった。光は闇の中に輝いている。」聖書

クリスマスまで後17日(今、日付けが変わりました。)です。

皆さんの心の中にイエス様の灯がいつも輝いていますように。

ここあでした。




焼かない焼きリンゴ

2011-12-06 15:29:18 | スイーツ
今日は曇っていて暗いです。
雪があちこちに残っています。陽がさしていないので寒いです。

我が家に今年もたくさんのりんごが来たので、久しぶりの「焼きリンゴ」を作りました。

リンゴは紅玉。少し酸っぱい。でもこの酸味がお菓子にはいいのです。


私流「焼きリンゴ」は焼きません。
(まあ、もともと焼きリンゴはオーブンの天板に水を張って蒸し焼きで作るのですけれどね。)
私流焼きリンゴは、電子レンジで数分間チンするんです。
短時間で、簡単で、おいしいですよ。


まず、りんごをよく洗い、芯をくりぬきます。
くりぬき器は、100均でも売ってます。



そして・・・

お好みの量の砂糖とシナモンを穴に入れます。これにブランデーやバターを入れても
おいしいですよ。なくてもおいしいです。


かるーくラップして、500ワットのレンジで3.5分ほどチン。(今回は大きめのりんごでしたが、小玉だと3分で。)


あっというまに出来ました。

何かデザートがほしいとき、小腹が空いた時いいですよお。
りんごは何回も言っているように、カリウムが多いので、高血圧にいいし、放射性物質を泄出してくれるし、食物繊維が豊富なのでダイエットにもいいんじゃないの?

青森県人よ、こんなに栄養があって、体にいいりんごを、もっと食べましょー!

ところで、このリンゴ、リンゴ農家の人ならわかると思いますが、リンゴ農家でない私たちすら、あまり知らなかった話があります。

この時期、りんご畑を眺めていると、
「あれー、りんごが1個、まだ木になっているよ?」
と気づくんです。 あおり県の方、気づいていましたか?

これ、農家の取り残しかと思いましたら、実は「わざと」残しているのだとか。
どうしてかというと、1個「小鳥」のために残すのですって。

なんて優しいの!!
「木守りりんご」というらしいです。
(きもりりんご、きまもりりんご、どちらでも読みは決まっていないそうです。)

人間だけが、この世に生きているのではない、自然界のあらゆる物・事で成り立っている。りんごがおいしく作られるのも、自然のあらゆる恩恵のおかげである。
だから、感謝と、来年の収穫のために祈りを込めて、鳥たちにりんごを1個残しておくのだとか。

いやあ、これはりんごの木だけのことなんですかねえ?
みかんとか他の果物には、こういう素敵な事って行われていないんでしょうかねえ。
他には聞きませんね・・・。
津軽人は優しいのですかねえ・・・。

我が家は毎年、冬になると庭に棒を立てて、柔らかすぎて食べなくなったりんごを棒に差して、小鳥たちのために上げます。
(木守りりんごと違うのは、家の場合は残り物を上げてる点ですなあ・・。)
すると、たくさんの小鳥たちが入れ替わり訪れます。

ひよどり、シジュウカラ、ツグミが定番。
でもいつもけんかして、ひよどりが奪います。
たまに貼り紙したくなります。「ヒヨドリお断り」と。

でもまあ、これも自然の掟だから、見守っていくしかありませんね。
「木守りりんご」じゃなく、「見守りりんご」ですね。

「木守りりんご」に習って優しくありたいです、わたしも。

ここあでした。




小出先生の弘前での講演会(動画)

2011-12-05 17:02:33 | 原発関連
11月12日(土)に行われた小出裕章先生の弘前市での講演の様子が動画で見られます。是非ご覧下さいね。

小出氏弘前市での講演


さて、福島第一原発事故現場から、また放射能入り汚染水が建屋の外まで流出して、それが海に流れ込んでいるという事が新聞やテレビに流れました。

ストロンチウムの出すベータ線の値が高い。毎時110μSv。
更に海の汚染が進む。暗澹たる思いでその記事を読みました。
現在でも海のホットスポット対策も一つも進んでおらず、魚介類の汚染状況もまだわからないときなのに。

そんな中、とんでもない記事も。
放射能汚染の土を、深海の底に処分する案。
私の目を疑いましたよ!!

海底の高圧に耐えられる容器に汚染土を入れて沈める方法とのこと。
この土をそのまま海に捨てても、すでに捨てられた汚染物質の5%に過ぎないから平気と。もし、汚染土の入った容器が破損しても、土は底に沈んだままだから平気と。

何を考えているんでしょうか。あきれ果てて物も言えませんよ。
あなたがた専門家は、頭がいいのでしょ?

あなた方にとって、自然は何なのですか?
人間さえ生き延びれたら、それでいいと言いたいのですか


私たちはどれほど海の恩恵を受けていることか。
海の中には、数知れない生き物たちが、人間以上の数いるんですよ。
その生物たちも人間を支えている一つなのに。

このようなことを平気で言える人間のおごり高ぶりがきわまっている、そんな感じがしました。

海洋汚染は、ロンドン条約に触れるそうです。もし触れなくても、世界の人々はこの提案をどう受けとめるのでしょうか。
原発事故で最初に汚染水を垂れ流した事実を、後になって世界に公表した時、世界から非難を浴びたではありませんか。

それ以上の非難を浴びたら、日本という国は、世界の恥さらし、無情な国、考えなしの
愚かさが露呈して、「日本の常識は世界の非常識」は本当だと揶揄されそう。

汚染土などの放射性廃棄物の問題は必ず対処しなくてはなりません。
チェルノブイリに学ぶならば、批判があるのを承知で言うならば、やはり福島の事故現場からそう離れていない地域を管理区域にして、そこに汚染土などを置く、それしかないと思います。

政府が決断できないのが原因で、福島の事故現場近くに住んでいた人達は、将来住めるのはいつになるのかわからないままに今、心が迷走しています。アンケート結果にもあるように、たとえ除染がある程度できたとしても、もうそこに戻る気がない人々が多いのです。この現実をどう見るかです。

チェルノブイリは25年たった今でも戻れません。
そしてこの先も戻れない。
日本の事故はチェルノブイリを超えるかも知れません。いえ、チェルノブイリでは短期間で事故処理が行われました。日本ではまだ原子炉の爆発の危険すら回避できません。
まだまだ時間がかかるのです。廃炉まで30年という試算も仮のものです。
実際はもっと厳しいという指摘が多いです。

先日は、鯖の缶詰からセシウムが見つかりました。これは氷山の一角です。
年ごとにそんなことは当然出てくるわけです。
海に捨てろと言った人達の口の中に、魚介類を介して放射性物質が入るわけです。

もう一度言います。
世界は、人間以外の生物であふれています。
人間だけが生き延びるなんて事、あり得ません。
海と魚介類、海藻類に放射能をばらまけば、必ず人間がその被害を被るのです。

本当に腹立たしく、悲しい、悔しい気持ちです。

ここあでした。







祈り合うこと

2011-12-05 16:12:20 | 教会
今日は、朝から吹雪いています。
本格的な冬の様相を呈していますが、この天気も今日までだとか。
明日からまたしばらく晴天が続いて、やはり根雪とはなりませんね。
助かります・・・。

今日からこどもクリスマス会の準備に更に力を入れないとだめなんですが、私の失敗で、もっと早くから手がけていなくてはならなかった祈祷用のしおりを、しばらく延ばし延ばしにしていたことを思い出して、そちらをまず作ってからにしないと次へは行け亡いと反省し、それを作っています。
(言い訳がましいけれど、この作業を忘れていたわけではなく、あまりの忙しさに、後回しにしたので、なおタチが悪いわけでして・・・とほほ。反省しきりです。)

うちの教会では、何十年も前から、「祈りのノート」というものが存在していました。
当時はもちろん手書きの、本当に温かな感じのノートでした。

やがて、ファイル式に変えた時期もありましたが、現在はこのようになりました。


教会員や求道者、客員の一人一人に祈りの課題を提出して頂いて、それを私がノート化するわけです。だいたい3ヶ月に一度の内容更新しています。
毎回、これに載せるみことばを選び、挿絵を選び、それは楽しいお仕事で、私に向いてます。(と言いつつ、今回、ちょっとなまけたわけでして。)

この「祈りのノート」は、もちろん祈りが目的ですが、教会員同士と言えども、なかなかじっくりと時間をとって交わったり、祈ったり出来ない人達もいるわけです。

そういうときには、このノートを、相手のことを知るための一つのツールとして用いていただけることを感謝に思っています。

直接密に関われなくても、このノートで相手の状況や課題、感謝な出来事を知って、背後で祈り、祈られる。こういう関係がクリスチャンとしては幸いですよね。

このノートを手がけて、私も何年か経ちましたが、差し出された課題の書き方、内容、細かさなどから、その方のその時の状態が少しわかるんです。
「ああ、この人はたくさん神様からの恵みを頂いて、今、喜んでいるんだなあ」
「この人は、いつもよりも書き方が乱れているなあ」
「前回よりも書き方が丁寧だな。ゆとりが生まれたな」
とか。
係をしていると、誰よりも先にみんなの情報が得られるので、恵みの先取りがまた恵みです。

祈り合える幸せというものを感じます。
礼拝の中で、礼拝の後で、祈祷会で、そして各自の家々で。

私が祈れない時も、誰かが私のために祈り続けているし、私が祈れる時には、拙いけれども、浅薄だけれども、出来る限り祈り続けていきたいと思います。
それこそクリスチャン同士の主にある交わりと感じています。

今回は深い反省を込めて、更に?心を込めて綴じましょう。

ここあでした。