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ここあコテージ

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原発関連本紹介と第二次告訴のこと

2012-11-16 09:26:04 | 原発関連

昨日、書店で見つけた本はこれです。





「目に見えない放射能と向き合って~岩手県南・水沢で~」
若井和生著(いのちのことば社)


若井先生たちの放射能被害のことは以前から
聞いていて、他人事ではないと思いながら、
心配して祈っていました。


娘も、岩手で生活していたとき
先生御家族とは何度か交わりを与えられました。


福島のことが問題にされている中で、
どうしてもホットスポットについては
あまり多く語れない、
と言うか、目をつぶっている感があります。


特に北関東、東葛あたりの情報は多くても、
意外に少ないのが岩手県南の情報です。

旧水沢市は、現在、奥州市という名前になっており、
ホットスポットは水沢を含む周辺の市町村に広がりました。
(先生によれば、一関、中尊寺のある平泉なども。)


そして、驚くべきは、周辺の放射線量よりも、
先生の所属の教会が最も高い線量だったという事です。
つまり先生方のお住まいがそのまま高線量に
曝されていたわけです。


お子さんの尿中にセシウムが出て、
奥様にも、先生にも、体の不調が出ました。



そんな中、母子避難した沖縄や、御家族で保養した北海道で
多くの避難者との出会いが与えられ、新たな重荷を、
神様から与えられているとのことです。


読んでいて、決して他人事には思えない内容で、
身につまされる思いをしながら、
読むうちに、胸にグッと迫るものがありました。


今、こうしている間にも、
避難できずにいる被災者が福島に大勢いる、
ホットスポットにも大勢いる。

話したくても、思いの丈を話せずに
抱え込んでいる人たちが大勢いる。

願いと現実の間で、
揺れ動いてもがき続けている人たちが大勢いる。



本当に、私には何ができるだろうか。


この本を読みながら、
もう一度考えさせられました。



是非ご一読をお薦めします。
被害者の正直な生の声が聞こえます。







昨日は、福島第一原子力発電所の事故に対する
「福島原発告訴団」の第二次告訴・告発状を、
福島地方検察庁に提出した日でもあります。


第一次は、福島県民の1324人分が6月に提出され、
それに続く第二次は、北海道から沖縄までの
13262人が告訴或いは告発しました。

私もその中の一人です。



以下に、「告訴団」のブログからの抜粋を載せます。





~一部抜粋~



「私たちは、原発事故により、故郷を離れなければならなかった者。


私たちは、変わってしまった故郷で、被曝しながら生きる者。


私たちは、隣人の苦しみを我がこととして苦しむ者。


そして私たちは、


経済や企業や国の名のもとに人々の犠牲を強いるこの国で繰り返される悲劇の歴史に、


終止符を打とうとする者たちです。






・この事故はどうして引き起こされたのか。


・そしてなぜ被害を拡大するようなことが行われたのか。


私たちは真相を究明し、今も続く原発事故の被害を食い止めなければなりません。


責任を負うべき人々が責任を負い、過ちを償うことができるよう、


民主主義社会のしくみを活かしていかなければなりません。






私たちは、深い憤りと悲しみの中から、


今回の告訴という行為の中に、未来への希望と、人と社会への信頼を見出します。




私たちはもう一度、その意味の深さを思い起こします。



・事故により引き裂かれた私たちが、再びつながり、力と尊厳を取り戻すこと。


・この国に生きるひとりひとりが大切にされず誰かの犠牲を強いる社会を変えること。


・これらを実現することで、子どもたちや若い人たち、未来世代の人たちへの責任を果 たすこと。




声を出せない人々や生き物たちと共に在りながら、


決してバラバラにされず、つながりあうことを力とし、


怯むことなくこの事故の責任を問い続けていきます。









告訴対象者は、

当時の「原子力安全・保安員」、東電、福島県の健康アドバイザーの
人たちなど多数です。


責任の所在をはっきりさせ、現在も苦しんでいる人々への
補償を進めるために告訴に踏み切っています。



「うやむや」とか「闇に葬る」が、一番良くないと思います。
こういう日本では、全く先の希望が見えません。


「過去」をどう捉え、どう悔い改めるのか。

その上で、「現在」をどう生き、

そして、「未来」に何を残すのか。「未来」をどうしたいのか。


これは、原発問題だけのことではありませんよね。


人間の個人的な生き方そのものの有りよう
ではないでしょうか。



過去に目を閉ざして、無かった事にして、
或いは臭いものに蓋をして、
表だけ繕って、
見た目が平和であればそれでいい。


そんなスタンスのまま、
未来に進もう、と言うことが
本当にいいことなのかどうか・・・


今一度、考えさせられます。




ここあでした。






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