goo blog サービス終了のお知らせ 

ここあコテージ

風景、鳥、畑、クラフト、ハンドメイド「みつより」情報など発信♪

読書会1冊終了&鯛焼き

2013-08-02 07:46:41 | 読書・本
昨日は曇りがちで、時には陽がさしてきて、
むっとしていました。

それでも、北風が吹くと冷たく感じ、
教会の草取りをしていても暑くありませんでした。


昨日の読書会で、「賛美歌物語」を読み終えました。



毎週、あるいは日々歌う讃美歌、聖歌なども、
背景を知ると、また全然違う味わいになりますし、
原詩が深くていいですね。

(日本語は語句や文がどうしても長いので、
短いセンテンスの英語のすべてを網羅できないのが
欠点と言えば欠点でして。)

作詞者、作曲者の人生と、私たちの人生とを重ねて、
改めて、主をほめたたえて歌えて、

昔の原作者の信仰告白が、今の自分の信仰告白と
重なってとても感動しますね。






今度の日曜日の午後、「三浦綾子読書会」が教会で持たれますが、
まずは、三浦綾子さんの人物像、背景、人生、小説などについて
学んでいくようです。いわば三浦文学のさわりを学ぶのかな。


そして、私たちは、毎週の読書会に、
せっかくだから三浦綾子さんの「道ありき」を
題材として、読書会をすることに。


「道ありき」は、三浦綾子さんの代表的なエッセイ集。
三部作の一つですね。
私も、学生の頃読みました。


私は、実は、三浦綾子さんの「塩狩峠」の映画で、
イエス様を知って、そこから求道が始まりましたから、
三浦綾子さんは、間接的な導き手の一人なんですよ。


それから、三浦さんの小説、エッセイは次々と読みあさり、
我が家にもハードカバーから、文庫サイズのものまで
本箱にズラーッとそろってます。

クリスチャンホームのご家庭なら、
蔵書として並んでいるじゃないかな。


昔読んだ感想と、年取って今、読むのと、
思いが違うかどうか・・・
自分の中の変化が楽しみな気がします。








がらりと話は変わりますが・・・



五所川原のエルム、最近、ルピシアなどが新規に入り、
楽しくなる一方ですけど、
ノブさんの楽しみは、エルムにある「銀たこ」の鯛焼き。

昨日も、読書会と祈祷会の合間に、100均に行くついでに
「銀たこ」へ寄り道。


念願のおいしい鯛焼きを買えると期待していたら、
夏場は、普通の鯛焼きは売っていないとのこと。

代わりに置いてあったのは、これでした。



これ、「黒たい」という名の鯛焼き。

一見、揚げてる鯛焼きか?と思いきや、そうではなく、
つまりは、黒糖の鯛焼きです。


味は、かりんとうまんじゅうみたい。
だから、油で揚げてなくても、少し油分は感じます。

餡は、こしあん。上品なあんこ。冷めていました。

それはそれでおいしかったんです。


でも、鯛焼き通のノブさんに言わせたら、

「おいしいよ、確かにうまい。


でも、これは鯛焼きじゃない!!


と、叫んで?おりました。笑



まあ、東京の麻布十番までわざわざ鯛焼きを
買いに行った男の叫びです。
大目に見てやって。



昨日の読書会で、おばあちゃん信徒さんが、

「自分は、鯛焼きが好きで、
病み上がりなのに、バスに乗って、エルムの鯛焼きを
買って、バスの中で食べたもの・・・」

との初告白を聞いて、ノブさん、いたく感動してました。

「こんなに近くに、鯛焼きファンがいたなんて・・・」と。

←うれし泣きです。


どなたか、県内のおいしい鯛焼き屋さんがあったら教えてやってね。

ちなみに、ノブさんは、津軽地方の
あちこちの鯛焼き屋は制覇してるけどねwwww





ここあでした。

本紹介&秋の報告会案内

2013-07-28 07:28:33 | 読書・本

昨日の午後の雷と雨、すごかったですね。

この時期の大雨と言えば、去年の浪岡川の氾濫一歩手前の出来事を
思い出してしまいます。
今年は大丈夫かな?

避難したこと、一生忘れられません!

避難民が自分たち2人きりだったこと、もっと忘れられません! 笑





最近買った本を紹介します。



「原発と私たちの責任 福音主義の立場から」
21世紀ブックレット49 日本福音同盟(JEA)神学委員会編 
いのちのことば社1050円
 
著者は、山口陽一牧師、鞭木由行牧師、関野祐二牧師、斉藤善樹牧師、
ドン・シェーファー師、内藤達朗牧師



日本で原発事故を体験して、2年半が経とうとしている中、
先日の参議院選でも自民党が圧倒的な勝利を得、
再稼働が加速されようとしています。

日本中、事故当初の脱原発、脱原発依存を願う声は、かなりトーンダウン
している印象です。


原発とは何か、原発の元である放射線とは何か、原料であるウランとは何か、
核との関連は?
これらのことを、今は亡き高木仁三郎氏(原子力資料情報室代表)の残した
本などから詳しく述べられています。



また、人類に与えられた「地を従えよ」創世記1章のみことばが、
しばしば人間の好き勝手、自己中心に地を支配して良いとの誤解や偏見が
歴史の中で取り沙汰されました。

この聖句をどうとらえたらいいのか、
今一度、このみことばの意味するところを学んで、キリスト者として
原発問題、エネルギー問題をどう考えたらいいか、
良い導きを得られたらいいと思います。


途中、少しとっつきにくい哲学的な話が出てきますが、
(アリストテレスとかプラトンとか・・・)
そこは、歴史と哲学を学ぶつもりでいけばいいかな。
(哲学は苦手でしてね。)


ご一読をお薦めします。
(原子力に関しては寛容な意見を持つ先生もいますが。
賛否いろいろ考える材料にどうぞ。)







3.11虹の会では、8月から開始する保養の準備をしています。

先日、第1回報告会を持ちましたが、9月に第2回目を行います。



第2回報告会



とき 9/21(土)1時30分~3時
場所 五所川原福音キリスト教会
(五所川原市湊千鳥180-4)

今回は、近藤愛哉師(盛岡聖書バプテスト教会牧師、
3.11いわて教会ネットワーク・コーディネーター)を迎え、
今までの活動のお話や聖書からお話を伺います。

また、リコーダーとピアノによる小さな賛美の贈り物もあります。
お楽しみに。

入場無料です。






今日は、新しく教会のメンバーになる方々の転入式があります。
春から合計7人です。(私たち3人も入ってますよ。)


そして、「姉妹の集い」の準備会も。
うまくまとめられますように・・・。


まりまり、キャンプから無事に戻り、昨夜は爆睡です。
5人の予定が8人のキャンパーで感謝。

雨のためキャンプファイヤーはなし。
でも、中でキャンプファイヤーの映像を見ながら
お話を聞いたり、賛美したりしたようです。

みなさん、お疲れでした!



ここあでした。



「奇跡のリンゴ」を読み終えて

2013-06-18 12:35:31 | 読書・本
今日二回目の投稿は、「奇跡のリンゴ」の読後感。

本当は、通常の記事の後半に書く予定だったけれど、
これは今後の記録のためにも、新しい項目として
残すつもりで書きました。




まず、読み終わるなり、私の心は感動の渦の中。

木村さんの人生も感動ものでしたが、
それ以上に、自然界の生態系のすばらしさ、不思議さ、
神秘的な、人間には創り出せない緻密で、深い、
その成り立ちに、改めて感動を覚えて、泣いてしまいました。




  


木村秋則さんは、無農薬・無肥料のリンゴ栽培で
長い間格闘して来られました。




りんごという果物は、
実は世間では、「農薬なしで栽培する事は不可能」というのが
常識的な考え方でした。
病気や害虫が発生しやすい果物ですから。


だから、木村さんは、世間的には非常識なことにチャレンジを
続けてこられたという、いわゆる「変わり者」と呼ばれていたのです。


・・・・・・・・



ところで、木村さん、実は以前は三上さんなんです。
つまりお嫁さんのお宅に婿養子に入ったんです。


そして、木村さんの奥様の美千子さんは、
とても忍耐深く、夫に文句一つ言わず従っていった方だと評判ですが、
本を読んで、義父母がもっと偉かったと思いました。


(木村さんの畑ではありません。)


婿養子が、いわゆる「かまど(竈)けし」(津軽弁。
つまり財産などを食いつぶす人。)
ならば、当然、縁を切って、追い出しても良かった人物なんです。


しかし、木村家の人々は、秋則さんを理解し、支え続けました。
特に高齢の義父は、経済の足しにと、植物の中に棲んでいる幼虫を集め、
釣具屋に売りに行ったのだそうですよ。涙



こんなご家族が与えられていた木村さんは、とても幸せ者です。






昔々、リンゴは小さくて、少し渋かったそうです。
生食よりも加工に向きました。
そして、元々農薬を必要としなくても育っていたのです。


ところが、人間の都合によって、大きくて甘いりんごを作り出す事で、
農薬なしでは成り立たないようにされてしまいました。

いわば、人間の勝手な欲でリンゴを変えたことで
かえって人間にマイナス、りんごにもマイナスな事態になった。




そして、益虫、害虫というカテゴリーも、
人間の都合によって作られました。


人間の視点から見れば、益虫、害虫。
しかし、自然界なり、神様の視点から見ると、
どの生物も必要なもので、それらで生態系が保たれてきたのに、
人間の欲のために、生態系を守ることを考えなくなった。


でも、その生態系があって初めて人間も環境も守られているのに、
人間は、自然界を操れるかとでも思ってしまう。



木村さんは、よく言うそうです。

「人間が自然を管理していると思い込んでいるけれど、
そうではない。ただ、りんごの木の手伝いをしているだけなんだ。」と。


私たちが、一人残らず、そういう観点で自然を見、
接していったら、多分、自然環境はもっと保たれていくのだと感じます。


私たちも、一旦今までの考えを脇に置いて、
自然界の植物・生物たちの視点で物事をとらえてみると
いいと感じます。


そうすれば、益虫、害虫とカテゴライズしなくても、
それらは一つ一つ使命を帯びた、私たちと同じくらい、
無くてはならない生き物たちなのだとわかると思います。








バラを育てている私にとっても、
やはり害虫はアブラムシ、カミキリムシ、ダニ・・・
益虫は、テントウムシ、クモ、蜂・・・
こんな風に分けて、害虫は「敵」でした。

でも、ちゃんと生態系のことも考えて、
やはり農薬は使うべきではないと思いました。

かといって、酢や牛乳も、ある意味農薬の代わりに使うのだから、
害虫を殺してしまう事に違いないわけです。
そうするとやはり生態系も狂ってきます。


一番いいのは、やはりバラの株を丈夫にすること。
虫にも病にも負けないくらいに、根を丈夫にすること。


木村さんも、反省していました。
一番大切なのは、見えないところ、つまり根であるのに、
見えるところ、つまり花、実、葉ばかりに見ていたと。


やはり大切なのは、隠れている「根」、土台なんですね。








そして、今朝は、自分の庭や、バラを眺めていたら、
今までとは全く違った感動の心で見ることができました。




今年、我が家に大発生している「蓑虫」も、
数年前に大発生した「アシナガバチ」も、
きっと生態系の中で、意味のある事だったのです。


そういえば、昨年、初めて我が家に、
待ちに待った「テントウムシ」が生まれてくれました。
4、5匹ほど・・・。


アブラムシを食する虫です。

私たちが呼んだわけでは、もちろんありません。
どこからか、テントウムシがやってきて、
卵を産んでくれたのです。


こういうことは、人間にはとうていできません。


生態系がしっかり保たれていると、
バランスのいい食連鎖が起こるそうです。

つまり、害虫と言われる虫たちも、
増えすぎず、減りすぎず、

益虫と言われる虫たちも、
増えすぎず、減りすぎず。



木村さんは言いました。

生態系を壊してしまう農薬による防御は、
いつか必ず、農業自体を壊してしまう。

かつては、アメリカの大規模農場にあこがれていた木村さん、
しかし、その広大な土地は、あちらこちらで乾燥して、
砂漠になってしまったと。


かつてのソ連の大規模農場も然り。


日本の農業も、生態系を壊す農薬に頼れば、
いつか必ずツケが来ると。







この本を書いた石川拓治さんは、
エピローグで、こんなことを書いています。

木村さんは、無農薬・無肥料リンゴという、たった一つのことに
夢中になって賭けて(駆けて)きた人ですが、
聖書の中のノアにたとえています。


ノアもご存じのように、
神様から「洪水が来るから、箱船を作りなさい」と言われて、
一心に船を造りました。

周囲の目は、ノアには冷たかった。
彼を信じてついていったのは、わずかに身内の家族だけ。

そして、つがいの動物たちを何頭も船に乗せて、
長い間船での生活をしました。


そんなノアの姿を、木村さんの中に見たのだと思います。






聖書には、神が人間に対して「地を管理せよ」と書かれていますが、

私たちは、残念ながら、神様の意図する管理とは逆の、
支配的で、一方的な管理をしてきたと思います。


農薬のことのみならず、原発も然り、その他公害のことも然り。


私はたちも自然界の中で、他の生物たちと、
ともに生きていくべき存在なのだと言うことを、
もっと真剣に考えて歩まなくてはならないのですね。


人間だけでなんでも生きていける、なんて傲慢な考え方ではなく、
自然の中のすべての営みの中で、わたしたちも支えられている。
そのことを謙虚になって受け入れ、そうした思いで、
いつも感謝し、食べる。感謝し、慈しむ。



そうできたらいいですね。

是非、この本も読んでみてくださいね。


長くなってしまいましたね。(いつもですけど・・・
ごめんなさい。

でも、おつきあい下さって、ありがとうございます。m(_ _)m





ここあでした。


読み終わって・・・

2013-06-01 07:35:41 | 読書・本
今日から6月ですね~。
今年も、早半年が過ぎようとしているなんて・・・。
あっという間です。




昨日もいい天気になりました。

朝から、庭のバラにアブラムシを発見し、
早めに対処をしないと、と思いましたが、肝心の牛乳がなくて、
仕方なく、水をかけながら、虫をどかしました。
あまり効き目なしだけど。


そして、今年入手した小さな株のバラに、
うどんこ病を発見。
こちらは、早速、酢水を1:30にして、
シュッ、シュッ!とかけてあげました。
これは、効果が期待できますよ。





去年の写真です。

何せ去年、なすのうどんこ病にはよく効きましたからね。


暑くなって来ると、どんどん病害虫が襲うので気が抜けません。


無農薬は、野菜のみならず、バラにもいいことです。
そして、何より環境と人間に優しいですよね。






さて、おととい読み出した「津軽のマリア 川村郁」。
あっという間に昨日、読み終えました。


短めというのと、地元の地名がたくさん出てくるのと、
何より川村郁さんの生き方がすばらしいなと思えて、
どんどん読み進められました。




この方、お父様亡き後から、黒石に住んでおられて、
黒石カトリック教会(つまり、私たちの前任地で、同じ町内の教会ですよ。)で
洗礼を受けられた方でした。
現在も弟さんは、黒石に住んでおられるそうですが。




この方、30代半ばで天に召されるまで、
ずっと小学校教諭として、僻地校で奉職されました。

昭和30年あたりの、黒石から更に奥地の善光寺平という地域は、
当時、電気すら来ていない、貧しい開拓民の村で、
開拓民と家族数十組が生活しながら、開墾していった、
そんな村でしたから、

生活の不便に加え、診療所さえなく、
また、子どもたちは、学校がないため、
野放し状態であったようです。


そんなときに、ここに分校(バラック小屋ですが)ができることになり、
かねてから僻地教育に携わりたいと願っていた川村郁さんが、
志願してこの地に来たというわけです。


川村郁さんは、弘前女子高等学校(今の県立弘前中央高校)で
教師の資格をとって、以来教職として過ごしてきた方ですが、

カトリック信者の弟さんの死をきっかけに、郁さんも入信。
洗礼を受けたそうです。


キリストの教えに感化された郁さんは、
地元の小学校よりも、自分を必要としているのは、
僻地の学校であると、神様に示されて志願しました。

そこで、開拓民とまさに生活を共にするような毎日を
送っていたようです。


しかし、彼女は数年後に、病に倒れ、
泣く泣くその地を去らなくてはならなくなりました。
当時まだ治療法がないホルモンの病気で、
神戸の病院での長い療養に入りました。

この間に、郁さんは、奉職中の手記を残しています。
これは、僻地教育の現実を、全国の人に知らせたいという思いが
あったからのようです。
特に青森や岩手は僻地校が多く、現状は厳しかったようです。



一旦は教師を辞めますが、
しかし、自分の病気が完治する見込みが無いことを知り、
再び僻地に戻り、今度は、カトリック教会の附属保育園の
保母として、亡くなるまでの数年間働きました。


実は、この地には、当初、立派な校舎もなければ、
教会すらありませんでした。

郁さんが勤務してしばらくののち、
学校として使える新しい校舎とともに、
カトリック教会が建ちました。
(カナダの宣教師団体の援助と黒石カトリックの援助のようです。)


郁さんの教育の姿勢や、この方の人柄に感化された
30人以上が、この教会で洗礼を受けています。

ところが、彼女はあえて口でキリストを伝えていたのではなく、
その行動を通して、誰しもがキリストの教えのすばらしさを感じ、
影響されていったと書いてありました。


今は残念ながら、開拓民は下山し、拠点を変えざるを得ず、
教会も校舎も壊されてしまったそうです。


子どもたちと、その両親たちと苦楽をともにし、
学校での関わりのみならず、生活全般の関わりによって、
子どもや親からの信頼はかなり厚かったようです。


開拓の当時を知る人々は、郁さんのことを
「津軽のマリア」「第二の蟻の町のマリア」と呼びました。


このことを知る人はごくわずか。
黒石市民でも知らない方の方が多いかも知れません。


聖書の中の有名な一節を思い出しました。

あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、
しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、
わたしにしたのです。

マタイの福音書25章40節


郁さん、どうやら私の高校の先輩らしいです。
こんなすばらしい方が先輩なんて、嬉しいですね。




ここあでした。


「津軽のマリア川村郁」

2013-05-31 07:35:30 | 読書・本
昨日は、午前中は雨で、午後から天気が回復。


私は、水曜の夜中から、ちょっと体調をくずしてしまいました。
多分、畑に行って雨に濡れたせいかもしれません。

のどの違和感と時折の咳、夜中の腹痛。

教会の祈祷会や読書会もお休みして、
頼まれていた入力の仕事をしたり、
貸していただいた本を読んだりして過ごしていました。


その本ですが・・・




津軽のマリア 川村 郁
木鎌耕一郎著 聖母文庫


皆さんは、有名な「蟻の町のマリア」さんのことは
聞いたことがありますよね。
(貧しい人々と共に働き、一生をささげた人で、北原怜子さんのこと。)


そのマリアさんのような人が、津軽にもいたというお話です。
「第二の蟻の町のマリア」と呼ばれた事があった人。

でも、北原さんのように有名ではなく、
県内でも知られていません。

私もそんな女性の存在は、今回初めて知りました。


川村郁さんは、黒石市から温湯を越えて、更に山奥のランプの宿から、
もっと上った山奥の「善光寺平」という開墾地で、
教育を受けられずに野放し状態だった子どもたちのために、
教師として一生をささげた方です。

カトリック教会で洗礼を受け、クララという洗礼名だそうです。


昭和初期の開拓地での生活はひどく荒れた、厳しい環境で、
初めは電気も来なかった地域だったそうですが、
持ち前の明るさで、何とか切り抜けられたそうです。


まださわりしか読んでいないので、これからこの方が
どんな風に子どもたちや親たちと関わっていくのか、
とても楽しみです。






この本を貸してくださったのは、
以前も私に数冊の本を貸してくださった人生の大先輩。

この方の貸してくれる本は、普段私が自分からは買わない、
選ばないような本が多いので、かえって刺激になって嬉しいのです。
(歴史本であったり、社会問題本であったり、青森県の本であったり。)


彼とは、いつしか「本仲間」になってますね。
(頼まないのに、貸すよ・・・と言って下さいますから。笑!)


こういう人生の先輩がいると、なかなかおもしろいですね。
彼もクリスチャンで、ずっと教育に関わってこられた
(今もいろんな形で関わってますけど。)大先輩です。

すでに70歳を越えてますが、
お茶をたしなみ、お菓子も作り、畑も耕す・・・
まあすごいスーパーマンですよ。


実に老後を楽しんでいます。
こんな年の取り方をしたいなと思いますね。


あと20年もしたら、私も70代だよ。
信じられないけど~~~。



本を読んだら、また感想を書きます。




5月も終わりですね。早い。

今日は気温が上がって夏日になりそうです。

先日、ココアをこぼした椅子の座面、
まだ乾燥しきれず、今日は絶好の乾燥日和です。




ここあでした。