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ここあコテージ

風景、鳥、畑、クラフト、ハンドメイド「みつより」情報など発信♪

大間原発に一人で反対してきた人

2011-09-10 16:32:27 | 震災関連
大間原発の隣接する土地で、長い間、一人で闘い続けてきた、今は亡き「熊谷あさこ」さん。

大間原発の工事を進めようとしているのは「電源開発」。
ところがこの会社、一度もこれまで原発を扱った経験がないそうです。
この大間原発は、世界初フルMOX燃料を扱っています。
更には、電源開発は、津波を最大4メートルしか想定していないそうで、今回のような大地震が来て、大津波が押し寄せたなら、たちまち電源を喪失します。

熊谷あさこさんは、2006年5月に亡くなりました
原因は不明だそうです。
熊谷さんの土地は、大間原発建設用地と隣接しており、そこから立ち退いて、電源開発に売るように迫られていました。

しかし、彼女は断じてそれを許しません
町の人達は、公に彼女に賛成、協力する人はいませんでした。会社側は多額の資金をちらつかせて来ましたが、それにも応じませんでした。

工事差し止めの訴訟をおこしましたが、電源開発もまた、土地の明け渡しの訴訟を起こし、1,2審とも勝訴しています。

熊谷さんは、2006年4月、まさに亡くなる少し前、上告しました。
あさこさんの意志を受け継いで、今は娘の小笠原厚子さんらご家族が運動を続けています

この方のインタビューがあるので、是非聴いてみてほしいのです。

たった一人でも闘い続けて逝ったおばあちゃん。そこから何を私たちは学ぶべきでしょうか。

今は「あさこはうす」と呼ばれて、今も、この土地と家は明け渡されずにそのまま残っています。

この働きが続けられますように。
大間原発の建設が中止され、あさこはうすが守られますように。
函館の人達と同じ思いを、青森の人達が持てるように。

私たちも、熊谷さんのように、小さくても、年老いていても、若くても、勇気を出して声をあげたいと思わされます。

ここあでした。

連れ、ケーキ作るとか・・・

2011-08-23 09:48:14 | 震災関連
きょうは雨。

きのう被災地に行った連れから連絡あって、あっちも雨だとか。

そして今日はカフェの手伝いをするらしいけれど、何と!ケーキを作るんだとか?
えーっ、だって、だって、連れは料理の「りょ」の字もできないのよ~。
(でも、本人の名誉の為に言いますけど、ご飯炊きと簡単な味噌汁とキャベツの千切り、鍋焼きうどんはできますけど・・・。

えっ?なんでキャベツかって?神学校時代に朝食だけは当番制で学生が作っていたので、そのメニューにはやたらキャベツの千切りが多かったわけ。それでできるようになったの。笑)

被災者が食べるのに、大丈夫?
いやいや、ご心配には及びません。なにやらパティシエさんがいて、その方の手ほどきのもと作るみたいだから。

今日の夜、戻って来たときには、きっと一皮むけて?くることでしょう。

今朝の雨の中、隣の畑でトマトとナスの収穫を。

手前の黒い粒は「ブラックベリー」。

おかげで我が家は毎日「トマトとナス」ばかり。
きょうもさっそくナスの辛子漬けを仕込みました。
まのうはナスの挽肉炒め。その前はトマトのサラダにトマト入りカレー・・・
最近ちょっと「トマトとナス疲れ」ぎみ。


今年は40粒ほどとれたブラックベリー。冷凍してます。のちにジャムにします。


今日夜8時からNHK総合に「飯館村」のドキュメンタリーが放送されるようですから、見られる方、見てね。

何か、先日観た「アレクセイと泉」を彷彿とさせそう。
だって、以前テレビで観た飯館村の人々が、アレクセイたちのいる村の人々と同じ感じで生きているんだもの。

放射能汚染は仕方がないけれど、自分たちはここに残りたいから残った。
ふるさとがいい。多少がまんしてもふるさとは捨てられない。

アレクセイの住む村は、森林が多くて、その分汚染されやすい。
でも、村人はきのこも平気で食べていました。危険だと知っていても。
「食べるのを我慢する方がからだに悪いさ・・・」なんて言って。
あまりに単純に、平和に、静かに、何事もないように暮らしている姿は、かえって悲しくなりますね。

きょうは一日雨降りらしいです。
行く夏を静かに見送り、そこまで来ている秋を喜んで迎え入れたい。
それにしてもまだ赤とんぼが現れませんねえ。

ここあでした。


連れ、被災地へ行く

2011-08-22 10:41:05 | 震災関連
今日から2日間、宮古市田老地区へ、連れと牧師達が数人で出かけていきました。

うちの連れ合いはこれが3回目。(3月、4月に続いて)

震災直後の被災地の状況と今とではだいぶ変わっています。

連れの自分の荷物も変わりました。

初めの頃は、水、電気、ガスも通じていなくて、おまけに寒いから荷物も多くなります。

でも、きのうの荷物は、日数が少ないせいもありますが、かなり少なくなりました。

今回は、救援物資の米、素麺、蚊取り線香、衣服、リンゴジュースなどを持って行き、現地から野菜をたくさん調達して配ります。

当初、野菜をここ青森から持って行くつもりでしたが、現地の野菜を買って、そこにお金を落として、それを被災者に届けると一石二鳥だということになりました。

仮設住宅も増え、孤独を感じている方々も増えると聞きます。

物資を届けたり、現地で行われているカフェを手伝ったりしながら、被災者との交わりをするのが今回の役割です。

震災から5ヶ月半。
少しずつ復興はしていますが、これからの課題は大きい。

続けてお祈りくださいね。

ここあでした。




広島原爆投下の日に思う

2011-08-06 15:10:03 | 震災関連
今日は8月6日、広島市に原子力爆弾が投下された日です。

義母と義祖父が、当時広島市の近郊にいたため、危うく被爆者になりかけたという事実も私を動かす要因と書きました。(とはいえ、やはり義母もなんらかの影響を受けたのではと心配してます。)

広島市に投下されたのは、ウラン型爆弾
9日の長崎市のものはプルトニウム型でした。
「2種類」でした。

私はこのことでいつも思います。

アメリカは、日本に原爆を落としたのは「日本がなかなか戦争をやめないため。早く戦争を終わらせたいから投下した。これは間違ってはいなかった。」と言いました。

確かに、当時の日本軍は、アジア諸国を苦しめ、支配し、占領してきた事実は本当です。
戦争が早く「終わらせられた」ことによって、アジアの国々、そして日本の人たちにも平和が戻りました。

しかし、なぜ「2種類の爆弾を落とす必要があったのか。」
「実験説」が言われたこともあります。
たぶん永久にこのことは、真実が明かされることはないかもしれない。

きょう、広島市で平和式典が行われ、5万人が参列したそうです。


私は毎年この式典を見ていましたが、今年は思いが一段と強かった気がします。

今年、新たに被爆のために亡くなった人は5785人。
名簿に載った人はこれで、27万5千人以上になりました。

戦後66年の今年でも、まだ被爆して苦しんでいる人たちがいる。
この事実から目を離してはいけないと思います。


広島市長さんは、戦後初の被爆Ⅱ世市長だそうです。
福島の原発事故にも触れた平和宣言がなされました。

でも残念ながら、「脱原発」は宣言に盛り込まれませんでした。
広島市だからこそ、福島県民を助け、支えることができる面が多いのに。
とても残念です。

さて、福島県の石川町という所をご存じですか?
広島に原爆が投下されるほんの少し前、この地で、旧・日本軍が極秘に「理研」に原爆が作れないかと相談して、造らせていたという話がニュースに出ました。

結果的には実験は失敗して、原爆は造られませんでした。
日本軍はこれに成功していたら「加害者」になっていたはずです。

当時、この実験のためにウラン採掘にかり出されていたのは、15歳ほどの少年達でした。当時は放射能については無知であり、多少の理解があったとしても気にかけなかったようです。
恐ろしいことです。当時の少年達は今どうなっているのでしょうか。

この話を聞いて、広島と福島が不思議なつながりを感じて何か恐ろしい気持ちになりました。偶然ではないような、そんなリアルさを感じます。

「核と人間は共存できない」

福島から広がった放射性物質の量の正式な値が未だに政府から、東電から、出ていないということが不安です。
一説には広島型原爆の29.6個分と言います。

よく、広島や長崎の被曝の程度と比べて、福島を楽観視している専門家もいます。
広島型の29.6倍という数値を見て、どう思っているのでしょうか。

「核と人間は共存できない」

かつて原爆で苦しめられた広島や長崎の人々でも、「核の平和利用ならいい」と原子力発電を認めました。

なぜ?

ある新聞では「核にやられた自分たちだからこそ、今度はそれを平和のために利用してほしい」と、善意からの許容だったと言います。

被爆者達も「核」の恐ろしさを知りながらも、「平和利用」(アメリカのアイゼンハワー大統領曰く)の言葉にうまくだまされてしまったのかもしれません。
あの当時の知識のなさが、こうした現実を生んだのかもしれない。

今、私たちは、核の怖さ、恐ろしさを、「フクシマ」という形で実感させられ、現実にいろんな面で不安を強いられ、恐怖と闘っています。

「無知」の時代は過ぎ去りました。
もう「無知」といういいわけを使うことはできません。

「核と人間は、いやすべての物は共存できない」のです。
ここあでした。

パシフィック・グリーブ号が9月にむつ小川原港へ入港

2011-08-05 12:33:42 | 震災関連
8月3日付けのイギリスの新聞から(要約)。

「3月3日、セラフィールドの高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)が、イギリスの貨物船「パシフィック・グリーブ号」に積まれて、8月中旬にカリブ海を通り、18日ころにパナマ運河に入る予定。

しかし、カリブ海沿岸の各国を代表するカリブ共同体は、カリブ海を通ることを拒否している。

青森の「むつ小河原港」に入港するのは、9月25日頃の予定。
今回のガラス固化体は76個、総量で40トンを超える放射性廃棄物が入っている。
この高レベル放射性廃棄物は、半径1メートル以内に人が立てば、1分以内に死ぬという恐ろしいもの。」

福島の事故処理がまだまだ収束にはほど遠い現実がある日本に、高レベル放射性廃棄物を積んだ船を入港させるイギリスもイギリスだが、それを許す日本も日本。

カリブ共同体のように、堂々と拒否したらいいのに。
正当な理由があるではないですか。
日本はまだ復興途中であり、福島の事故も全くめどが立っていないのですから。

断固反対です!

ここあでした。