黒羽芭蕉の館

2007年10月13日 | Weblog

 毎年思うことですが、雑草との戦いが無いと、こんなに楽なのかということを、この頃は毎日実感しています。雑草はゼロではありませんが、夏のようにどんどん生えてくる訳ではありません。

 昨日は、隣町に住んでいる、かつての同僚がウナギを持って遊びに来て、出かけることになりました。こちらに、ゆとりができたのを知って、出かけようよという訳です。隣の栃木県の黒羽(くろばね)という所に行きたいと言います。そういうことならお任せください。

 合併以前はここは黒羽町といいましたが、今は大田原市(おおたわらし)になっています。大田原では広域すぎるし、「奥の細道」には大田原などという名前は出来ていません。とても連想しにくいですので、黒羽と言いたいところです。こういう話をするときには、平成の大合併は迷惑な作業だと思わざるを得ません。

 黒羽に行く途中に、これまた別な友達が夫婦でやっているレストランがありますので、そこで昼食をとりました。しばらく行っていないので、つもる話が山ほどありました。私の銃が十丁ほどこちらまで届き、そのお客さんにまで行っていたらしいです。そのお客さんが偶然食べに来てバッタリと出会い、「蟻が十匹」と言われてしまいました嬉しかったですね。 
  注) 銃が十丁 = トウガン
     蟻が十匹 = ありがとう

 黒羽には芭蕉の足跡があります。「奥の細道」への旅の途中で14日間もこの町に逗留していたという話で、その旅の中では一番ながく逗留した所なのだそうです。

 日光から、黒羽に向かう途中で野に出たのですが、そこで百姓に道を尋ねると、道があちこちあって土地に詳しくない人は迷ってしまうからと言って馬をかしてくれます。その馬が歩いていって止まったらそこで下りて馬を返(帰)してくれと言われます。

  
                画 与謝蕪村

 それで、馬を借りて行きますが、子供が二人ついてきます。男の子と女の子ですが、女の子は かさね という名前とか。それで

  かさねとは八重撫子(なでしこ)の名成(なる)べし

と詠みます。そしてやがて黒羽に。馬に借り賃を付けて返してやります。

 黒羽には 「黒羽芭蕉の館」 という資料館 があります。そこに行きました。先ずは隣接している、というより敷地がその中にあると言った方が良い、黒羽城趾からです。

  

 周りを円く高く盛り、小さな盆地のような形にして、城を造ったようです。もちろん、この周りにはあちこちお堀があります。この盆の底にあたるところに、びっしりと建物があったようです。左手は、はるかしたに那珂川が流れています。

 濠を越える橋を渡っていくと 「黒羽芭蕉の館」 という資料館があります。

  

 民家のように見えますが資料館です。二棟は中でつながって続いています。

  

 入り口には、芭蕉と曽良が馬を借りて、野っ原を通っていく姿を現した像がありました。かさね たちは居ませんでした。

 黒羽には弟子がいたので、そこに逗留したのでしょうね。14日の間にあちこち出かけて句を詠んだようです。

  木啄も庵は破らず夏木立
  (きつつきもいおはやぶらずなつこだち)

 さっきの かさね の句と一緒に、この句が詠まれて「奥の細道」に出ています。

  

 この 芭蕉の館 の庭の片隅に、「奥の細道」の中で、馬に乗って黒羽に至る部分のところが書いてある碑がありました。

 ここに来るのは久しぶりのことでした。野良仕事を忘れて、なかなか充実した一日でした。

 この次には、馬頭(ばとう)という、この隣町にある「広重美術館」と「いわむらかずお絵本の丘美術館に行こうかということになりました。