御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

クリストファー・ソーン「太平洋戦争とは何だったのか」

2005-07-18 17:48:53 | 書評
戦後60年の節目に読むべき本としてどこかで推奨されていた。10年ぐらい前に買って埃をかぶっていたがこれを機に読んだ次第。
率直に言ってそう面白い本ではない。記述対象が背景であって前景でないから、どうしても地味な話となる。「鷲と太陽」という本は太平洋戦争の戦闘の全記述だが、はっきりと「鷲と太陽」の方がはるかに面白い。この本はその背後の動きを網羅した本である。合わせて読むとすこしは興味深かろう。いわばミドル・バックの歴史である。
太平洋戦争が人種間、男女間、社会的階層間などでどのような影響をもたらしたのか、人々はプロパガンダをどう捉えていたのかなどなど、書けばきりはないし、それが統一的視点に向かって収斂してゆくわけでもない。あえて言えば、よく団体競技であるように、チームは勝っても個々人の感情はさまざまであり、補欠がチームの敗北を願うようなゆがみさえある、それは連合国も例外ではない、ということかと思う。それにしても枢軸国側の「無関係」「非連携」ぶりはどうだろう。ほんと徹底してるね。ばかな同盟だったなあ。

なお、2-3の書評ではこの本が太平洋戦争の実態を暴くがごとく、東京裁判史観へのアンチテーゼのごとく取り上げていたように思うが、それは読んでないといっていいかもしれない。多分、帯とあとがきを見ているのだろう(笑)。評者の力量の目安には役立つ。

注目は翻訳の市川洋一氏。大変すばらしい翻訳をされているが、本業は東レグループのサラリーマンだった人である。定年後にどうやら本格的な翻訳をはじめておられるようだ。調べて見ると現代史・戦争史系の本格的な本で何冊か訳がある。昨年も1冊出ていたが、もう80歳になろうというお歳である。たいしたものである。

西部邁「友情 ある半チョッパリとの四十五年」

2005-07-18 00:50:06 | 書評
親族のために身を売られた母と、その母を身請けした、日本人に協力的だった朝鮮人の末の子として生まれた海野治夫という男と、著者西部氏の友誼の物語である。中学と名門の高校の同級生として過ごした2人は、貧しさとアウトロー的傾向を共有し、親しい間柄となる。その後著者は大学に進み学生運動に身を投じ逮捕され、アカデミズムに戻って、その後アウトロー的評論家として生きてゆくが、海野治夫は2年で高校を中退し、任侠の世界を生き始めた。40前後でヒロポン中毒となり、その後そこから生還するが、もとの稼業はうまくゆかず、恩人宅への放火という事件を機に組織に逆らい、そして自害する。海野氏は生前自分の来し方をつづって西部氏に送っており、西部氏は名誉ある義務を果たすべくこの本の出版にこぎつけたということのようだ。

話者の地位にかかわらず姿勢を正して読むべき話、聞くべき話というのは確かに存在するが、まさにこれはそれに当たる。これは鎮魂の書である。鎮魂の読経の音をいずまい正しく聞くのは当然である。
感想を2-3.第一に思うのは、戦後という時代はそれなりにひどい時代だったのだな、と思う。北海道という土地の問題、アウトローへの冷たい視線、朝鮮人問題、娼婦、BC級戦犯、貧困救済の仕組不足。海野氏や西部氏に社会がしたことを振り返れば、ひどい奴らとしかいいようがない。そして、その一方で、もしかしたら僕も彼らの至近距離にあれば、凡庸なひどい奴の一人に名を連ねていたかもしれない、と思う。
第二に思うのは、にもかかわらず西部氏の筆致にやわらかさが感じられることに意外さを覚えた。これまで13年間負債となってきたであろう、故海野氏の原稿と遺志にようやく答えられる安心感からか、軽やかというべき筆致である。あるいは西部氏ご本人が「丸くなった」ということだろうか。さしもの硬骨の論客も、「もういいや」という境地に達しつつあるのかもしれない。
第三に、西部氏の奥さんはとても素敵である。ところどころに脇役として登場するのであるが、なんとも頼もしい戦友であろうか、西部氏、故海野氏、そして潔い生を全うしようと生きる男どもにとって。まさに、士は自分を知るもののために死す、である。大衆に迎合せぬ気持ちのよい生き方をする人々の裏には必ず西部氏の奥方のような存在があるにちがいない、と思った。

昭和の悲哀を鎮魂する、一流の歌であった。 合掌。