御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

山田 優 の売り出し方・使われ方

2005-07-21 14:35:07 | 時評・論評
いまをときめく山田優について若干。正直言って私はテレビはあまり見ない人間なので資格はないことは重々承知している。もしお読みいただいている方がおられたら、まったくの素人の考察であるのでご笑殺いただきたい。

山田優が私にさえ目立つようになったとき、ふと思ったのは彼女の「空虚さ」の雰囲気である。大変な美人でスタイルもよいことは重々承知しながらも、どこか空虚な感じと、「単なる美人」という雰囲気が付きまとう。

まずは後者の話から言うと、彼女が如何に美人であっても、ファッションカタログに写っているあまたのモデルたちとさして変った空気がないように見える。美人が並べばそんなものとは思うが、気のせいかかつての藤原紀香のような別格感は弱い。いわば、「美人が好き」と「山田優が好き」が意味としてさして違わない。月並みないい方だが、あまりに整っているためか? 藤原紀香の場合はロシア系の血があるのか、後年貫禄がつきそうな「予感」があり、それが(僕にとっては)存在感を際立たせていたように思われる。

空虚さ、ということについてはちょっと表現しにくい。主に東京メトロのポスターを見てのことである。視線がなんとなく空虚な感じがする。顔を向けている方向にあるものとは微妙にずれた視線を感じてしまう。カメラに向いたショットもそうでないものも同様である。この人は上の空ではなかろうか、という雰囲気がちょっとある。

上記2点とかなり異なるのが最近の日焼け止め(だと思う)のコマーシャルである。水着で肌を大きく露出して、「ドウダ」ってな具合に演出している。むかしの夏目雅子の「ナツダカラコウナッタ」を思い出さないわけでもない。素材の競争力を前面に押し出したものである。しかし、しかし。これって山田優でなくともよいのでは?と感じる。

まとまらない話だが、要は山田優は売り出し戦略をもっと慎重にまた長期的に考えたほうがよいのでは、と思った次第。浅野ゆう子がもともとは「体を見せる」タレントとして長くすごしたが、W浅野前あたりからうまく戦略を転換し、てるてる家族の母親役なども出来る息の長い人になったが、そうしたことを山田優(のプロモーター)も2-3年内に検討すべきではなかろうか。素材への負荷が高い戦いではいずれ使い捨てになるのでは、山田優の場合特にそれが早いのでは、と懸念する次第である。ま、ブレーク中はなかなか手がつけられないとは思うがどこかで考慮は必要だろう。

うーん、このエッセイは文字通り噴飯ものかも。ここまで読んでいただき深謝。