御託専科

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林望「帰宅の時代」

2005-07-02 21:58:01 | 書評
納得できる本であった。自分の実力を磨けとか、これからは起業の時代だ、といった本を読むにつけ、もっともと思いながら違和感で胸がざわついていたが、林さんの本はすんなりと入ってきた。

言っていることはそんなに奇異なことではない。会社人間、仕事人間をやめて、自分らしさを磨き悠々と誇り高く生きようではないか、ということ(第一章)。会社人間、仕事人間に対して、これは「自分人間」宣言とでも言えばいいかな。実はその意味では起業のすすめの本とよく似ている。ただ、「自分人間」の分野が必ずしも「儲け」の方向に行かずに済んでいるので、起業の本よりは落ち着いて読めた。

ご本人は「自分人間」を早々と小学生のころからしていたので、それなりに大変ご苦労されたようだ。(第二章) イギリス留学前後までの苦しい生活はさらっとかかれているがほんとに苦労だらけだったのではなかろうか。そのイギリス留学がきっかけでいわゆるBreakをしたわけで、もともとの地力があるからその後も一定のポジションを確保しているのだろう。それでいまはある程度豊かな自分主義者となっているということだろう。
ところで、と思うのだが、もしかしてそういうきっかけもなかった場合、林さんはどのような40代、50代を迎えていたのだろうか?どこかの名もない短大か何かの専任講師どまりで薄給に苦しんでいた場合、どこまで自分主義者でいられたのだろう。意地悪で言っているのではない。お金の切実さを想像し、問いかけているのである。

第三章「自分らしさ」を見つけるための六カ条 はまとめ。本居宣長の引用がなかなかすばらしかった。ちょっと長くなるが引用する。
「詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦まずおこたらずしてはげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかようにてもよかるべく、さのみかかはるまじきこと也。いかほど学びかたよくても怠りてつとめざれは功はなし。又人の才と不才とによりて其功いたく異なれども、才不才は、生まれつきたることなれば、力に及びがたし。されど大抵は、不才なるひとといへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有ル物也。又晩学の人も、つとめはげめば、思いの外功をなすことあり。又暇のなきひとも、思いの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也。されば才のともしきや、学ぶことの晩きや、暇のなきやによりて、思いくづをれて、止むることなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば、できるものと心得べし」

そのほかもうひとつ(2章から)。
「コンピュータの場合、アプリケーションソフトの性能を高めても、OSがそれと連動してバージョンアップされることはありません。しかし人間の場合は、ここのソフトを磨いてゆくことが、その大本のOSを磨き向上させていくことにもなるのです。
私自身は一人前の国文学者になりたい一心で勉強していましたが、それは「国文学の勉強」であると同時に「勉強の勉強」にもなっていた。どんな勉強も徹底的にやれば、間接的に自分のOSがバージョンアップされていくのです。
そして人間の能力でもっとも大事なのは、専門性の高いアプリケーションソフトの部分ではなく、このOSの性能です。OSが優れていれば、新しいソフトをインストールしても問題なく稼動する。つまり新しい分野に手を出しても早く上達するわけです」
←「一芸に通ずるものはすべてに通ずる」ということばがあるが、その具体的で納得的な説明を読んだ。

自分の生き方をScrachから組み立ててみようかな。