
(25日、読谷の運動広場で開かれた県民大会には、9万人の人たちが集まった。)
午前11時、那覇の県庁前広場を平和市民連絡会のバスで出発。58号線を一路、北に向かう。黄色いリボンをつけて走る車も多い。天候も快晴、どれだけの人たちが集まるだろうかと、期待が高まる。

(高遠菜穂子さんと、イラク・ファルージャから来たワセックさん)
バスには、イラク支援を続ける高遠菜穂子さん、イラク・ファルージャから来たワセック・ジャシムさんらも乗りこんできた。ワセックさんは、米軍のファルージャ総攻撃後の遺体引渡し時の様子を撮影し、国際社会に衝撃を与えた方だ。2人から、「イラク、アフガンに送られている米軍の主力が沖縄の海兵隊。抑止力などではない。今こそイラク戦争を検証すべきだということを、沖縄から発信してほしい。」とアピールを受ける。
それを受けて、昔、琉球共和社会憲法私案を発表した詩人の川満信一さんが、「現在の闘いは、単に基地を返せということだけではない。日本とアメリカという国を我々の力で解体するのだ。」と過激なメッセージ。高良勉さん、真喜志好一さんらもジョークを連発し、車内はおおいに盛り上がる。

(うるま市の中高生による組踊「阿麻和利」)
時間も早かったので、まだ渋滞は始まっておらず、正午すぎに会場に着いた。
午後3時開会予定なのに、どんどんどんどん湧き出すように人波が駐車場から読谷村運動公園の会場に向かう光景に胸が高まる。
午後1時、ケン子の司会でオープニングイベントが始まった。
歌や踊りの後、うるま市の中高生が演じる勝連城十代目城主の「阿麻和利(あまわり)」の半生を演じる現代版組踊「肝高(きむたか)の阿麻和利」で会場は一気に盛り上がる。
注1「きむたか」
沖縄最古の古語で、「心豊か」気高い」などを意味し、高い生活文化を称えた勝連および勝連城の美称。
注2「阿麻和利」
勝連城10代目城主。15世紀の琉球統一の大きなうねりの中を疾風の如き情熱で駆け抜けた風雲児
会場の後ろに座っていると、なんと京都・沖縄県人会の旗をかかえたHさんがやってきた。会場で県人会の旗は京都だけ。Hさんは、ビデオを抱えて、関係者を撮影しているという。たった一人で、本当にご苦労さまだ。

そして午後3時、大会が始まった。
今朝、京都を発ったTさん一行が来ないので電話を入れると、58号線の嘉手納ロータリーの辺りにいるが、渋滞で全く動かないとのこと。終了までに着くかどうか心配だ。
翁長那覇市長の開会の挨拶、高嶺県議会議長の主催者挨拶の後、仲井眞知事が演壇に立った。知事に抗議の指笛が飛ぶ。知事は、「県内移設反対」とは明言しなかったが、この県民大会に、ともかく知事も出席したということで、沖縄の意思は一つにまとまっていることを示した意味はあるだろう。
その後、伊波宜野湾市長、稲嶺名護市長らが大きな拍手の中、登壇。伊波さんのスピーチは、さすがに明快で鋭い。

(直前まで参加を躊躇していた仲井眞知事は、やはり「県内移設反対」とは言わなかった。)

(「静かな日々を返せ!」と訴える、宜野湾からの大勢の参加者。)
4時を過ぎるころになると、渋滞で止まっていた車からの参加者も到着してきたのか、広い運動広場も超満員になってきた。会場を少し歩いて回ったが、まさに人、人、人。こんなに大勢の参加者の集会は、私には初めてだ。
参加者は9万人と発表された。そして、会場で集められたカンパは、500万円を超えたという。
会場で配布された号外には、「県内移設を拒否!」という大きなタイトルが踊る。これだけの盛り上がりに、もう県内移設が不可能なことは明白だ。歴史の変わる現場に立ち会っているという思いに興奮する。
以下は、会場で配布された地元紙の号外

