チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

えっ! 県は32軍壕を埋めてしまうの?

2012年03月13日 | 沖縄・32軍司令部壕

 今朝(3月13日)の沖縄タイムスを見て驚いた。県が、2012年度に32軍司令部壕の強度などを調査をしたうえで、埋めることもあり得るとの考えを示したというのだ。

 説明板から「慰安婦」や「住民虐殺」等の史実を削除しただけではない。司令部壕そのものを埋めてしまい、すべてを葬り去ろうとしているのだ。事態はますます深刻になってきている。

 17日に、この問題を考える学習会があるので、その前に、もう一度、32軍司令部壕を見ておこうと、午後、首里城に向かった。

 春の観光シーズンに入ったのか、首里城は多くの観光客であふれていた。しかし、守礼門から円鑑池への石段を下りていくともう人影は少ない。右手の藪を入ったところに小さい広場があり、正面に頑丈なコンクリートのトーチカがある。入口は金網で覆われており、その前にはお供え物も置かれているので、ここが司令部壕の入口かと思う人も多いが、ここは通信隊の施設で壕の入口ではない。

 壕の第1坑道入口は、園比屋武御嶽の真下の斜面にあるらしいが、そこは雑草が生い茂って入口はもう確認できない。 大戦当時、ここから南北に約400m、総延長は1kmを超える壕が掘られ、牛島司令官をはじめ、総勢1000人あまりが雑居していたという。

  (厚いコンクリートの壁には、大きな弾痕跡が残っている。)

 石段の左側にも、コンクリート製のトーチカが2ケ所残っている。

 金城石畳道に向かうところにも、コンクリート製のトーチカがある。

 沖縄県立芸術大学は、当時、沖縄師範学校だった。司令部壕の掘削には、師範学校の学生ら243名も動員されたという。そして、1945年3月31日には、全生徒に召集令状が出され、生徒たちは鉄血勤皇師範隊に組織された。刻銘された石碑の両隣には、移設された当時の門柱が建っている。近づいてみると、ここにも弾痕が確認できる。

 

 

 

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