乳がん患者のサロン2 - ノエル編

乳がん患者の皆様、このサロンでのびのびと雑談しましょう。くつろぎの場です。

乳腺密度が高い閉経後女性の乳癌罹患率

2009年04月30日 | 病気・症状
乳がんは乳管にできるがんなので、乳腺の密度が高い人ほど乳がんに罹患する割合が高いんじゃないかと、素人ながら思います。で、その他にも色々と罹患リスクがあり、それらを組み合わせてリスクの高さを自覚しておくと、自分でも気をつけるようになるかもしれませんね。

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「乳腺密度が高い閉経後女性は乳癌罹患率が高い【乳癌学会2008】 」 2008. 9. 30

第16回日本乳癌学会学術総会

 マンモグラフィの乳腺密度が高い閉経後女性は乳癌発症リスクが高く、より積極的な検診対象になりそうだ。日本の乳癌検診の効率化を目指した検討から明らかになったもので、9月26~27日に大阪市で開催された第16回日本乳癌学会学術総会のプレジデンシャルシンポジウムにおいて、大阪大学大学院医学系研究科乳腺内分泌外科の玉木康博氏が報告した。

 日本の乳癌罹患率は英国や米国の約1/3である。日本で効率的に検診を進めるためには欧米と同様の検診プログラムではなく、乳癌罹患リスクの高い女性を重点的にスクリーニングすること、すなわち個別化が必要である。

 玉木氏らは、肥満やエストロゲン濃度、アディポネクチンなど、個々の女性の乳癌罹患リスクに注目し、さらにマンモグラフィにおける乳腺密度に着目したケース・コントロールスタディを実施した。

 対象は、同大で手術を受けた乳癌患者205人。コントロールは大阪市の健診センターを2回以上受検した健常女性223人。

 乳腺密度は担当医や撮影条件により所見にばらつきが生じる可能性がある。乳腺密度を客観的に評価するため、マンモグラフィをスキャナーでデジタル化し、乳腺と大胸筋の境界線を設定し、乳房に対する乳腺部分の面積比を計測した。

 コントロールを乳腺密度で5群に分けたところ、最も乳腺密度が高い群は他の群に比べて乳癌発症リスクが2.96倍高かった。

 疫学因子別に乳腺密度とリスクをみると、乳腺密度が高い群であり、閉経後経過年数が5年未満、BMIが23を超える場合、出産歴がある場合が乳癌発症のリスク因子となった。

 また血清DNAのメチル化解析(感度77%、特異度52%)について乳癌の45~59歳の138人で検討すると、メチル化陽性例は陰性例に比べてリスクが3.5倍であった。

 乳癌の発症リスクとして、これまでの年齢、初潮年齢、出産歴と、BRCA、乳腺密度、エストロゲン、アディポネクチンなどの因子、そして今後はメチル化も有力となる可能性がある。「リスクを評価し、それに合わせた検診プログラムを実施することが、検診の個別化につながる」と玉木氏は話している。
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>疫学因子別に乳腺密度とリスクをみると、乳腺密度が高い群であり、閉経後経過年数が5年未満、BMIが23を超える場合、出産歴がある場合が乳癌発症のリスク因子となった

乳がんは一般に、出産歴のない人のほうが罹患しやすいと、かのW腫瘍内科医が言ったのを覚えていましたが、この条件だと逆になるのに興味を持ちました。

BMI23ってのは、ちょっと厳しいかも。「少し太め」ぐらいですもんね。いずれにせよ、肥満は乳がんのリスク因子であることは間違いなさそうです。


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セルフグリーフケア

2009年04月28日 | 緩和ケア
前回の「生前グリーフケア」に興味をお持ちの方がとても多かったので、もう少しグリーフケアについて私の体験談を書きましょう。

家族の一人が亡くなると遺族は大変悲しい。
まして、がんなどの闘病生活の末に訪れた死となると、その家族も患者と一緒に病気と闘い続けてきたわけで、心身ともに大変疲弊しています。ですから、グリーフケアはとても必要に思います。

私の場合、生前は緩和の先生に癒やされ、通夜には病院長が弔問に来て遺族を見舞い、病院関係者としてのケアはなかなか行き届いていたと満足感を持ちました。
しかし死者を前にすれば、やっぱり悲しい。

通夜が始まる頃、近隣の方が次々と弔問に訪れ、故人がどのように亡くなったか、私に説明を求めます。で、かいつまんでそれを話していると、、、やっぱり悲しくなって自然と泣けてきます。すると相手も故人の生前はあーだった、こーだった、、、と、涙です。涙顔を見ると、こっちも更に涙です。親族のような近しい関係者が相手だと、もーみんな一斉に涙です。で、やはり故人について私は涙で語ることになります。

これを20回ぐらい繰り返していたら、、、あの~、なんというか、、、その~、、、不謹慎かもしれないけど、、、悲しみに飽きるというか…(苦笑)。
なんだかとっても冷静になってきて、次の人にはもっとコンパクトに話そうとか、ここは泣き所だから、もっと感情を込めて言おうとか。。。
う~ん、、、辛い気分にも飽きちゃうんですよね(やっぱり苦笑)。

そして、自分の気持ちを親しい友人に電話でずーっと話していたら、3時間後にはスッキリしました。相手は超長電話で迷惑だったかもですが(^^;)。
で、その友達が別の友達に伝え、えー、何で言ってくれなかったのよ、と始まります。で、次の友達からも電話がかかり…。やっぱり私の話はコンパクトになってきます。友達にはそれぞれ、温かい励ましとランチおごりの約束をとりつけ、それを十人ぐらいに繰り返すと、悲しいというより最後のほうは事務連絡口調です(笑)。いやはや、持つべきものは友達です。。。

というわけで、悲しい時は思いっきり悲しむ。辛い気持ちを声に出したり涙したりすることって、案外大切だったなと思った次第です。まあこれは、その時その時を大切にするってことにも繋がるのでしょうけど。

それからももう一つ、とても大切に思ったことがあります。
がんで亡くなる場合、一般的には告知から時間がありますよね。その間、患者と一緒に病気や治療について学んだり、看護したりの充実した時間を過ごしますよね。

それと並行して私は、左リンクにある医師のブログや本などを読んでいました。がんだとどんなふうに亡くなるのか、亡くなるということはどういうことなのか、残された人はどんな気分になるものなのか、、、今から思えば、看取りのイメージトレーニングを無意識に行っていたような気もします。

病気での看取りは初体験という方は特に、刻一刻と変わる患者の状況に大きな不安を感じるかもしれません。そんな時に、死に向かう人はこういう状況になる、、、などの知識を入れておくと、多少は方向性がつかめて冷静になれるかもしれませんよ。がんはそういう準備期間を用意してくれる病気でもあります。

自分が乳がんになった時、自分と同じような体験者を探そうと、ネットを彷徨って探しだしたのがyukoさんです。なかなか自分の意とする人を見つけ出すのは難しいし、時間もかかるのですが、いつかは見つかるのがネットの長所です。ですから、同じ状況下にある人をネットで探すのも一つの手だと思います。

・・・と、ここまで書いてきましたが、この書き出す作業もセルフグリーフケアになると思います。

仕事で漫画を描く場合、描きあげるまでは、あーだこーだと悩んで色々考えが飛ぶ。更にまたぶち壊したり、再構築したり…、ぐちゃぐちゃした頭の中からなんとか考えをまとめて仕上げる、という作業をしています。(これでもね)

で、描き上げてしまうとですね、、、もうそれは終わったこと。
私は描き上げた作品を再度読み返すことって、ほとんどしないんです。頭の中は既に、次の作品のことを考えている。
私にとって、書く・描くという作業は、気持ちにケリをつける作業でもあります。
皆さんも、自分なりのセルフグリーフケアを探してみて下さい。


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生前グリーフケア

2009年04月25日 | 緩和ケア
「がん哲学外来の話」を読み返し、思い出したことがあります。

私は末期がんの母を病院で看取ったのですが、彼女が意識混濁で臨終に向かう頃、緩和の先生がやってきて彼女の手をずっと握っていました。で、反対側で手を握る私は長い沈黙を破り、この本のことを話してみました。
その先生もお読みになったとのこと。でも、「特に何も得るものはなかった」とおっしゃり、あら、どうしてですか?などと、先生と話が盛り上がったのです。

その先生も主治医と同様、外科出身で同じがんの専門医ということを私は存じていたので、話が進むうちに、どうしてもお尋ねしたいことが胸の内に湧き上がりました。
それは、抗がん剤治療の順番、時期、投与期間などなど、、、主に治療に関することでした。あの時、あの薬を先に使っていたら、開始時期を早めた方がよかったのではないか、もっと母に我慢をさせて治療を続ければよかったのか・・・。

主治医には絶大な信頼を寄せていたものの、お尋ねできなかった小さな疑問が私の心の中で澱となって淀んでいました。10年近くも同じ先生と付き合っていると、こんなこともあるのです。病院との関係もこれで最後だと思うと、何だか全てを精算したい気分になったのでした。

するとその先生は、このタイプのがんには抗がん剤があまり効かない。乳がんのように薬の効きが良いわけでもないし、治療も確立していない。どの薬をどの順番で使ったとしても、結果は似通っている。薬のエビデンスは、実際はあまり有用ではない。このがんの生存率は個人差が大きく、エビデンス通りの人は稀なのだから、と。
「それよりあなたのお母さんは、どんな人ですか?」

と、質問返しされました^^;
あら、先生、それは「がん哲学外来の話」の著者も必ず聞く質問って書いてありましたよ、キャッキャッ(>▽<)というわけで、また盛り上がってしまいました。

なぜ先生がそんな質問をされたかというと、患者さんがこういう状況になると、「なぜ私がこんな目にあうんだ」と言うこと多い。しかしあなたのお母さんは全く言わない。そこに関心を持ったとのこと。

私はとっても嬉しくなりました。これこそ、私が最大限、努力をしてきたことなのですから。。。

このブログを共同で始めたyukoさんのアドバイスです。
「死を怖がらせないようにすること」。

末期がん患者の心に、希望を持たせることは本当に難しい。

しかし、やり遂げられるのは家族しかいません。Yukoさんのアドバイスに従い、私も相当のエネルギーを費やす数年間を送りました。
その点を専門家に評価されたことは、兄妹や親族に評価されることより、私にとって、ずっとずっとずぅ~っと嬉しいことなのです。

更に先生は、「このがんには抗がん剤の治療より、日々の過ごし方のほうが重要なんですよ。普段、病気のことは考えず、いやなことをかわして過ごす人のほうが、長期生存する印象があります」。

あら、先生、それも本に書いてありましたわよ( ´艸`)と、またまた盛り上がったのでした。

この本の著者は病理医でしたが、この緩和の先生は臨床医。直接がん患者さんと接しているわけで、ケア時の良いところも悪いところも、美しいところもそうでないところも、実際に直面している。話がリアルでシャープなんです。
結局、1時間近くも時間を頂戴してし(^^;)、私の質問の一つ一つを丁寧に答えてくださいました。

うちなる疑問が全て解決したら、、、1週間前から食欲が全くなくなり激やせしていたのですが、何だか急にお腹が空き、昼食に焼肉定食をもりもり食べる始末。私って、結構たくましい性格してるのねなんて、自分に笑っちゃいました。
で、よっしゃーっと拳を握って気合を入れ、再び病室に戻ったのであります。これって生前のグリーフケアかしらん?と思いながら。。。

参考:グリーフケア


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がん哲学外来の話その4

2009年04月23日 | 患者の気持ち
【第8話】  死んだ後に何を残せるか

ある末期がんの男性が、家族に頼んだことは、
「自分が入るお墓を建てた時、墓石の四隅に溝を掘り、水を入れてほしい。鳥が来て、水を飲めるように」。

人間、最後は布団1枚分の墓場しか残らない。自分が残せるのは、「どう最期を生きるか」。

   ◇

「私のお墓に私はいません。私は千の風になりますから。だから泣かないで下さい」と言って死ぬのも、残された人たちへの思いやりがあっていいかなあ。

葬式へ出席すると、たまに遺族の方が、「亡くなった○○のことを忘れないで下さい」とおっしゃることがあります。私はこの言葉に違和感があります。忘れるはずがない関係だから、この葬式に出席しているのにと、ちょっと悲しい。

自分が葬式を出す立場となっても、私がこの言葉を発することはないでしょう。故人を忘れるか忘れないかは、参列者自身が決めることです。遺族がお願いすることとは思いません。
故人がどのように最期を生きたか、、、参列者ひとり一人が回想し、深く関わった人は脳に格納するし、そうではない人は忘れる。それでいいと私は思うんですけど。。。


【第9話】 人は何のために生きるか
 
がんになった時、「何のために今日までがんばって生きてきたのか」という心境になる人は多い。これは最も深い問いでもある。答えはひとつでシンプルである。

人は幸せになるために生きている。

がん患者となったからこそ与えられるものもある。それは社会生活というコントロールからはずれたことで得られる自由さと豊かさ。
人間はある極限状態におかれると、心がどんどん明晰にシンプルになっていく。不要なものを捨て、本当に必要なものだけで生きていこうとする。むしろ、社会で働く人のほうが無駄は多い。

見舞いに来た人を、逆に力づけて元気にする患者がいる。見舞い客の表情や態度から疲れや悩みを敏感に感じ、さりげない言葉で彼らを癒やそうとする。もしかしたらその患者は、そのときのために生きているのかもしれない。

家族や親しい人間にとって、患者の笑顔ほど力を持つものはない。笑顔は笑顔を生む。

   ◇

幸せを示す物差として、財産とか地位とか、、、これらは目に見えて分かりやすいし、これで幸せをうんと感じる人は、それはそれでいいんじゃないでしょうか。
どーがんばってもそんなに財産を造れないし、地位もあがんないだろう私は、そっちの方で満足して幸せを感じることはなさそうなので、違う道で幸せをさがそうと思います(^^;)。

  
この本を読み哲学することで、当時介護で激疲れしていた私は、多少リラックスすることができました。自分なりにこの本を要約すると、


ものは考えようだ
何かをする時、当人が決断する。自分なりの信念を持って行えば、それでいいんだよ~ん!


てへっ…(*^_^*;)A まあ、私にとって「哲学する」ってのはこの程度なんですぅ。

そうそう、最後に私のお気に入りのブログ、「泣いて、笑って、前向いて。」からも紹介しましょう。
ここのリンクにも紹介してある、緩和ケアの白井先生の言葉です。

「死は美しい」。

肉親の看取りって辛すぎて、できれば私はしたくないです。そんな時、この一行で自分を奮い立たせていました。そしてもう一つ、

「いま自分がいる世界が幻覚かも? 目を覚ますと全てが消える??」

この言葉には爆笑です。介護でキーキー言いっ放しの私の現実が、実は幻だった…!?
夢の中の自分が現実で、今、キーボードをたたいている自分は、ホントは夢の中にいる?! いーですね~、、、こーゆー発想、大好きです。


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がん哲学外来の話その3

2009年04月21日 | 患者の気持ち
【第五話】 患者とともにがんと闘う家族について

著者が小学校で講演した時、子供から核心をつく質問を受けました。
「うちには寝たきりのおじいちゃんがいる。楽しいことは何もできないのに、何のために生きているのか。先生はどう思いますか」

「誰にでもそれぞれ立派な役割があり、寝たきりでもおじいちゃんは何もしていないわけではない。そこにいる使命があるんです」と著者は答えます。
その子が理解できたかは問題ではなく、その場でわからなくてもよい。しかし、言うべき時に言っておかなければならないことはあると。

がん患者の家族の子供も同じ。子供には子供の人生があり、家族ががんになることは、その子の人生にも大きな問題。だから、著者は真実を伝えると言います。
リスクはあるし、不安定になるかもしれない。そういう反応を含め、親が子どもの全てを受け止める準備をしておくべき。

完璧にやろうと思わず、むしろ親も完璧ではないし、立派でもないのだということを、子供にわからせることも大事。
みんな人間で、みんな悩んでいる。だからこそ、人と人はつながり慰めあう。

ポイントは、子どもの不安を和らげるため、子供に必要な情報を与えること。
例えば、がんの父を介護する母が疲れている。子供は母親に元気がないのがわかっていて不安になる。その時、「なぜお母さんは元気がないのか」を、子供に分かる言葉で説明してやる。

また、不安や疲れがたまり、子供に八つ当たりすることもあるかもしれない。そういう時も落ち着いてから、「なぜそうなってしまったのか」を説明することは大事。理由がわかって納得すれば、子供の不安は和らぐ。

がんであることを子供に言わないほうがいいと判断したら、それでもかまわない。その場合は「なぜ言わないほうがいいのか」がはっきりしていればよい。言葉としては真実ではなくても、「心」をともなわせることはできる。


著者は、「自分はこう思ったから、そうしたんだ」という、信念を持って実行したのならそれでよい、と言っているように見えます。


【第6話】 がんで夫を亡くしたある女性の話

夫の女性関係に苦しみ、離婚を何度も考えた妻だったが、夫が末期のがんになると、それまでの不満や恨みが吹き飛んで献身的に看病した。

夫が昏睡状態になり、医者が「明日までもつかわからない」と言われたのに、数日経っても夫は逝かない。苦しそうに息をする夫を見て、ふと「これほど苦しいのに死ねない理由があるのではないか」と思った。

「すまなかった」と夫は言いたいのかもしれない。苦しみながら生きているのも、その罪悪感で自分を罰しているようにも見えた。だから夫を苦しさから解放してあげたい、しかしもう会話をすることもできない。そこで心の深いところから夫に伝えた。

「色々あったけれど、今はあなたと結婚できて良かったと心から思っている。あなたのおかげで色々な体験ができた。子供も孫も授かった。あなたのおかげで私の人生は豊かだった、本当にありがとう」
翌日、夫は静かに息をひきとった。


妻の思いが夫に届いたからなのかは、誰にもわからない。しかし、妻はそう信じている。そして何より自分が夫に感謝できたことで救われたのは、自分自身だったと彼女は語ったそうです。心の奥底でくすぶっていた恨みや心の傷から自分を解放することができたからです。

「許してほしい」と思うからには罪悪感がある。罪悪感の裏には「罰せられる」という恐れがある。だから潔く謝罪できない。
また、許すのはなかなか難しい。

しかし、精算のチャンスは必ずやってくる。自分の問題を避けていても、「ものごと」が気づかせにやって来る。がんという死を意識する病を得たときは、まさにその時なのだと著者はいいます。


【第7話】 自殺未遂をした男性患者さんの話

がんが体中に転移し医師から余命宣告された男性が、希望を失い自殺を試み未遂に終わった。この患者さんに著者は、
「それでもあなたには、死ぬという大事な仕事が残っている」

男性はしばらくの沈黙の後、
「わかりました、なんとか頑張ってみます」


最後の希望を絶たれて自殺したいと思っている患者さんに、「希望を捨てずに頑張って」というのは酷。希望を持ち続けて頑張り続けてきた、その希望が絶たれて死にたくなっているのだから。死に向かって「どう生きるか」を考えた時、患者さんの表情はきりっとするといいます。
「死」という最後の仕事を立派に務め上げたい、、、人間には誇りがあります。


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がん哲学外来の話その2

2009年04月19日 | 患者の気持ち
好評につき、続きました!

【第三話】 病床にいる自分に与えられた「なすべきこと」

「なすべきこと」はmustでなく、自分に与えられた役割と著者は捉えます。
健康な時は、「やらなければならないこと」に追われるが、病床につくとそれは減り、「なすべきこと」が気になってくる。

多くの患者は「思い出す」という作業をする。子供の頃の思い出、両親、祖父母…と思いだすうちに、不思議と現在の自分の問題に立ち向かう勇気が出てくるものだといいます。

「思い出す」行為は、忘れたことを思い出す。特に「人間関係」。
誤りたいと思っていた人、お礼を言いたい人、、、心の中にずっといた誰かのことを思い出し、それを果たすのが自分の「なすべきこと」となってくる。

この時、「偉大なるお節介」をするのが家族の役目。自分を赦し相手を赦すことで、背負ってきた重荷を下ろさせる。この時、人は本当に癒やされるとものだといいます。


【第四話】 人生の荷物として背負うべき「罪悪感」

なぜ自分はがんになったのか。がん患者は理由を知ろうとする。喫煙をやめなかったからだとか、暴飲暴食だったからだとか、、、自分の中に原因を探そうとして、自分を責め、罪悪感を持つ。

やってしまったことは、なくせない。著者は、「仕方ない。事実を事実として受け入れ、自分の荷物として背負って生きていくしかない」と患者に伝えるといいます。「罪悪感ではなく、事実を背負って生きなさい」と、正確に伝えます。
著者は、きちんと背負って生きていくと、そのうち荷物を下す時が必ずくると信じています。

◇ ある男性患者が荷を下したプロセス

最初のうちは、家族や友人が心配し、慰めてくれる。男性が不安や不満をもらすと、理解しようとできるだけ対応してくれる。

次第に慰めの言葉よりも批判や忠告の言葉が多くなる。「あなたもこういう点を直したほうがいい」「病気になったのは、あなたのそういう頑固さが原因」など。
患者と共に闘う同士としては、慰めてばかりはいられない。しかし、患者は罪悪感を刺激され、「自分を理解してくれない」と、寂しさと苛立ちを感じる。家族と心の距離ができ、孤独を感じる。

孤独になると、家族に向けていた目が次第に自分自身に向き始める。どうしてこうなってしまったのか、自分について深く考えるようになる。

すると、自分の間違っていたところ、良くなかったところが、霧が晴れるように見えてくる。嫌な状況になった時に、自分がどういう態度をとっているか、気がつく。

病気になったのは「自分」。自分の人生に起きた自分の問題であり、それは自分で受け入れるしかない。自分にしか解決できない問題である。

自分の問題を自分で解決していく時、人は自ら変わろうとする。厳しく険しいがん治療の道を進むには、「自ら変わらなければならない」という決意で行っていただきたい。それが自分を支える杖となり、軸となる。
 
 ◇

このプロセスを読んで思い出したのが、学生時代の一人旅です。
東北の鄙びた地方を、リュックを背負って歩きました。人気のない小さな観光地を回り、宿へ行く町営バスは、一日に2本。で、私はその2本目に乗り遅れてしまったのです。

バスの停留所がね、なぜか2ヵ所あってね、私が待ってたバス停は古いほうで、使われなくなってたんだってさ。近くにいたおばちゃんがね、教えてくれたんよ。私がそこでず~~~っと立ってるから。

もー、ぼーーーーーぜん(*0*)ですた。
「んじゃ、なぜ停留所を立てておくんだーーーっ」と、じだんだ踏んでも、「私はなぁんにも悪くなーーーいっ」と怒鳴っても、、、バスは来ない。来ないもんは、来ない!
この気持ち、病気になった時の不条理な気分と似ています。

仕方ありません。私は思いリュックを背負ったまま、夕暮れ迫る山道を歩きだしました。バスで30分って、歩いてどんだけあんのよぉって、やっぱり心の中で怒鳴って歩きましたとも。
自分で解決するしかなかったんです。助けてくれる人なんていないんだから。。。

まあ、一人旅なんかすると、こんな目に遭ったこと、誰でも一度や二度はあるでしょう。私は早い時機に、国内外の旅でこんな経験をいっぱいしちゃったので、自分で解決しなくちゃっていう気分になりやすい性格だと思います。

この旅行、結局さっきのおばちゃんが心配して、車で追っかけてきて、私を宿まで送ってくれました。私は当時、若い娘だったし、日没迫る時に鬱蒼とした山を歩いて越えるのは、あまりにも忍びなかったから、、、という、おばちゃんのありがたい人情を頂きました。
著者のいう、「不思議に分け持ってくれる人間がでてくるものだ」の通りになりました。

あ、もちろん誰も現れず、物騒な夜道を1人歩く経験も多かったですよ・・・(^^;)

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がん哲学外来の話その1

2009年04月17日 | 患者の気持ち
樋野興夫著「がん哲学外来の話」、最近、ようやく読みました。

「がん哲学外来」は、昨年、順天堂大学医学部付属病院に特設された外来で、「医師と患者が対等の立場でがんについて語り合う場」がコンセプトです。

著者は、「深く悩んだことのある人なら分かると思うが、人からどんな慰めの言葉をかけられても、すっきりとはいかない。何かを納得してそこから抜け出すためには、自ら、自発的に、自分の中で組み立てていかなければならない。その時に、“言葉”があると、それを核とし、その周辺に理論を構築していくことができる」という哲学をお持ちです。

よっしぃ先生のブログで、オススメ本として紹介されたので、内容についてはそちらで参照下さい。

で、長年がん患者を介護していたがん患者の私が、読んでおもしろかった部分を紹介しましょう。


【第一話】 「人生いばらの道、にもかかわらず宴会」

 ある男性患者は、夫婦関係について悩んでいた。再発の不安が強く、妻に毎日それを訴える。もちろん妻は心配する。最初は親身になって聞いていたが、次第に苦痛になってくる。ついに、自分も体調がすぐれないと言い訳をし、夫との会話をさけるようになった。


夫ががんと闘っているのにひどい妻だと思われがちだが、妻をそこまで追い詰めてしまったのは夫。最終的には夫婦仲が疎遠になってしまいやすい。こういうケースは多い。
自分ががんになって大変なのと同時に、家族も病人を支えようと奮闘している。その疲れを癒やせるのは、ほかならぬ患者本人の笑顔である。
「頭ではわかっている、でもできない」と、正直に言う患者もいる。まずは「病気であっても人生を楽しむことはできる」と決意させ、意識的にそのように振る舞う努力をさせる。「人生いばらの道、にもかかわらず宴会」と、人生を楽しむことを家族全員で話し合うことを勧める。


病人の不安を聞いてばかりだと、私もすっごーく気持ちが暗くなります。「私だってがんなんだから、もーいーよ」って、ウンザリです。だから、この妻の気持ち、よーくわかるなあ。。。

「あの楽しかった花見に、また一緒に行けるといいねえ」などと、共通の目標とか希望とかを持つのがいいです。ほんの数週間先の具体的で小さな目標がいいんです。


【第二話】  「使命感」次第で寿命は延びたり縮んだりする

 かなり進行した胃がんで大手術した人がいたが、10年以上たっても再発しない。彼の父はがんの専門医、その息子の自分ががんで死ぬわけにはいかん、他の病気ならいい、、、という単純な思いが使命感となった。
 

著者は彼のような例を何人か知っていて、共通するのは使命感といいます。社会的な使命感ではなく、個人的に大事に思っている使命感。
「精神論」ではなくて、使命感が現実の行動に反映されることに力点を置いています。「死なない」の決意が治療に積極性を持たせ、心の柔軟性や弾力を作る。その人のなかでの優先順位が「がん」ではなく、「使命を果たすまで生きる」ことになるのがよいといいます。

もう一点、「忘却力」も重要なポイントです。
がんであることを忘れられなくても、生活の優先順位の下に位置させる。必要な治療は淡々と受け、後の時間は人生を楽しむために使うこと。
エビデンスはないが、長寿のお年寄りを見ても、たいては嫌なことは淡々と行い、あとに引きずらない人は多いといいます。

この話で私が思い出すのは、ある保険会社の、障害児を持つ親の寿命調査です。障害のない子どもを持つ親より、寿命が有意に長かった、、、「この子を残して死ねない」の使命感を感じます。


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医師の対応マニュアル

2009年04月15日 | 患者の気持ち
がん告知や緩和ケアについて、医師のアンチョコになりうるマニュアルを発見。患者へ病状を伝える一見本です。

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「緩和ケアに引き継いだ後も元主治医は1日1回患者に会って欲しい」

【泌尿器科学会2008】
 癌を告知する時や、緩和ケアを紹介する際には、具体的にどう伝えればよいのか。緩和ケアにシフトした患者に元主治医はどう対応すべきか。閉塞性腎症への対処法は?──4月25日から開催された第96回日本泌尿器科学会総会のシンポジウム「緩和ケアーの実際」では、緩和ケアにおける患者とのコミュニケーションのあり方について議論された。

 ここでは、シンポジウムで交わされたディスカッションをQ&A方式でまとめた。議論のポイントは、
(1)告知時に気をつけるべき点とは、
(2)緩和ケア科に担当を譲るときどのようなタイミングで相談するか、
(3)引き継ぎの際の留意点は、
(4)その後の元主治医の対応はどうあるべきか──という点だ。

シンポジウム座長
鳶巣賢一氏 静岡県立静岡がんセンター病院長
篠原信雄氏 北海道大学腎泌尿器外科准教授

演者
木澤義之氏 筑波大学人間総合科学研究科講師、緩和医療学会教育委員長
戸谷美紀氏 国立がんセンター中央病院がん看護専門看護師
堀夏樹氏 NTT関東病院緩和ケア科部長、元泌尿器科医
三浦剛史氏 日本医科大学泌尿器科
小串聡子氏 日本医科大泌尿器科

Q 最初に癌と診断したときの告知において気をつける点は?

A
 ・患者に事実を充分に伝えること。最善の場合、最悪の場合など、どのような転帰をたどる可能性があるかを伝えておくことが中でも最も重要である。(木澤氏)

Q 初回治療後の退院時に留意すべき点は?

A
・最初の治療後の退院時で、見かけ上は全部切除した状態だが、将来に再発する可能性がある(あるいは高い)場合、事前に、退院後の検査計画を説明しつつ、再発のリスクが高いこと、その時の徴候、もし再発したときの治療法の概略などを説明している。時には、再発後の治療では根治は望めず、延命治療になることも説明し、経過観察の計画に入る。こういった手順を踏まないと受診しなくなる患者がでてくる可能性がある。(鳶巣氏)

Q 再発の告知時に気をつけるべき点とは?

A
・最初にすべきは「今まであなたはほんとうによく頑張ってきました。私たちも頑張りました」といった“いたわり”、患者、そして医療者がやってきたことは間違いではなかったこと、標準的な治療法に則って治療を行ってきたもので決して間違いではなかったことを確認した上で、お互いもう一踏ん張りしましょう、と今後の方針を伝える。(堀氏)

 ・最初の診断の時よりも再発の告知の方が患者のショックが大きいという調査結果がある。また患者は、「今まで頑張ってきたのにうまくいかなかった」「今までの治療が無駄だった」などと感じていることが多い。患者のやりきれない気持ちを語ってもらう機会を設け、患者が次のステップに進めるよう配慮する。(戸谷氏) 

Q 予後告知はどの段階で行うか?

A
・予後告知については、患者に対する臨床研究の結果が報告されており、これによると再発の時点で予後告知を望む患者(全てを教えて欲しいと望む患者)は4割程度しかいない。全く望まない患者は10~20%、望んだときだけ教えて欲しいという患者が約30%となっている。そのため、患者個々人の意向を聞いて対応すべきだ。ただし、再発の時点で予後告知を希望するかどうかを聞くわけにはいかないので、もっと早い時期から、患者への情報提供の仕方について話し合いをしておく必要がある。(三浦氏)

・再発が確認された時点で、「さまざまな治療を行っていくつもりだが、残念ながら、治る可能性はほとんどない」ということを何とか伝えるようにしている。具体的な生命予後の話には触れないが、この時点で最初の担当医が伝えなければ、緩和ケア医も引き継ぐのが難しくなる。(鳶巣氏) 
Q 緩和ケアの紹介やコンサルテーションをするのはいつか?

A
・治療の中止と同時に緩和ケアを紹介すると、患者は主治医の交代と抗癌剤治療の中止という2つのことを同時に体験することになり、紹介されたくないという気持ちから病院に来なくなってしまう場合がある。緩和ケアを紹介するのは、時期ではなく、苦痛に焦点を当てることが重要だ。望ましい例は「もっと日常生活を活動的にするために痛み、眠れない、吐き気が止まらないというところを診てもらいましょう」という紹介の仕方だ。「末期だから診てもらいましょう」「もうすることはないので診てもらいましょう」という紹介は望ましくない。(木澤氏) 

Q 末期で緩和ケアを紹介する際の主治医の説明とは?

A
・「化学療法をやめてしまう」ではなく、「これ以上化学療法を行うのは、逆にあなたの寿命を縮めます。だから、ここで考え方を変えて、緩和という医療であなたの寿命を延ばしましょう」という説明があるとよい。「もうやることがないから緩和です」というのは最悪である。(堀氏) 

Q 緩和ケアにシフトしつつある患者に対する主治医の対応は?

A
・患者には「治療してもらった」「一緒に頑張った」という気持ちがある。そのため、主治医が顔を見せなくなるのはつらい。1日1回、5分でも顔を出してもらうと、患者はその夜はよく眠ることができる。(堀氏) 


Q 疼痛管理時の吐き気への対処法は?

A
・オピオイド投与初期の吐き気は、消化管由来の場合もあるが、多くは中枢性であるためプロクロルペラジン(ノバミンなど)がよい。便秘をコントロールできているかどうかが両者の鑑別に重要だ。(堀氏) 

Q 再発し、予後告知を受ける時期の患者から、「罰が当たったのかな」といった自分自身を責めるような訴えがあったときの対応は?

A
・この時期に不眠が見られることがある。精神的な問題だけからの不眠か、身体症状からの不眠か、また早期覚醒なのか中途覚醒なのか、といった睡眠障害のパターンを把握し、まず夜の睡眠を確保するためにベンゾジアゼピン系薬剤やトランキライザーを使う。「いろいろと考えてしまって眠れない」という訴えに対しては、不安を感じていることを聞きながら、解決できることとできないことを明確化していくことが重要である。(堀氏)

・回答に窮して患者と医師の間のコミュニケーションが断絶してしまうことがよくあるので、すぐに答えを出そうと思わず、「どうしてそう思うか?」と問いかけ、患者の気持ちを語ってもらう。(戸谷氏)

Q 全身倦怠感にどう対処するか。

A
・エネルギー温存療法がある。1日のエネルギーは限られているため、患者のやりたいことに優先順位を付け、それができる時間帯(午前中が多い)に集中して取り組んでもらい、後は怠けてもらうというもので、看護チームと一緒になって指導する。薬物療法ではコルチコステロイドを使う。有効率は約6~7割で、1カ月で効果が切れてしまうことが知られているため、予後と副作用のバランスを考えて使う。(木澤氏) 

Q 家族へのケアは?

A
・臨床心理士を交え、家族が持つ「自分たちは間違ったことをしてきたのではないか」「患者のライフスタイルを誤ったほうに導いてきたのではないか」といった悩みに対してカウンセリングを行う。また、亡くなった後についても、ソーシャルワーカーを交え、最後までサポートすることを保証することが重要だ。(堀氏) 

Q 緩和ケアの地域ネットワークを上手く構築するには?

A
・一般成人2581人を対象に、「痛みを伴う末期状態の場合、患者はどこで療養したいか」を聞いた調査がある。結果を見ると、希望する療養場所は緩和ケア病棟23%、自宅59%、今まで通った病院10%であったのに対して、希望する死亡場所は緩和ケア病棟50%、自宅11%、今まで通った病院33%というものだった。しかし現実は約8割が病院で亡くなり、緩和ケアが十分に提供できていない。茨城県県南・県西地域では、緩和ケアのトレーニングを受けた医師による診療所・在宅ケア、一般病院緩和ケアチーム、緩和ケア病棟での緩和医療専門医、大学病院の緩和ケアチームが連携して緩和ケアを提供するためのカンファレンスを行っている。最初のうちは10人ぐらいしか来てもらえなかったが、粘り強く全ての機関に連絡するほか、常に広報し、来られたら歓迎して、顔見知りの関係を作ることを重要視している。何でも言い合える関係が重要であると考えている。 

・医師のマンパワーは限られるので、医師が医師の裁量権を減らすことに同意し、薬剤師、訪問看護師などに譲り渡すことを考えていく必要がある。(会場からの意見)
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自分が再発していないためか、母のがんが再発し、抗がん剤治療が難しくなってきた時、彼女がどんな気持ちで生活していたのか、いま一つ気持ちがつかめなかったです。診察室で医者が病状説明をしても、なんかうわの空に見えたし。。。ですので、

>予後告知については、再発の時点で予後告知を望む患者(全てを教えて欲しいと望む患者)は4割程度しかいない。全く望まない患者は10~20%、望んだときだけ教えて欲しいという患者が約30%

には、やっぱりなぁ、今後のことなんて考えたくないよなあと思ったし、

>再発の時点で予後告知を希望するかどうかを聞くわけにはいかないので、もっと早い時期から、患者への情報提供の仕方について話し合いをしておく必要がある。

には、主治医が彼女の性格を見定め、そういうことを一切言わないのはさすがだなあと思いました。我々家族側も口に出すことはしないと決めたことでもありました。
患者家族としては、いつ緩和ケアに移るべきか、患者にどのように伝えるかは難しい課題ですよね。

>治療の中止と同時に緩和ケアを紹介すると、患者は主治医の交代と抗癌剤治療の中止という2つのことを同時に体験することになり、紹介されたくないという気持ちから病院に来なくなってしまう場合がある。
>緩和ケアを紹介するのは、時期ではなく、苦痛に焦点を当てることが重要だ。望ましい例は「もっと日常生活を活動的にするために痛み、眠れない、吐き気が止まらないというところを診てもらいましょう」という紹介の仕方だ。

>「化学療法をやめてしまう」ではなく、「これ以上化学療法を行うのは、逆にあなたの寿命を縮めます。だから、ここで考え方を変えて、緩和という医療であなたの寿命を延ばしましょう」という説明があるとよい。

家族としても、とても参考になります。実際、担当して下さった緩和の先生も、自然な説明でケアへとギアチェンジして下さいました。

>「もうやることがないから緩和です」というのは最悪である。

激しく同意です。

>患者には「治療してもらった」「一緒に頑張った」という気持ちがある。そのため、主治医が顔を見せなくなるのはつらい。1日1回、5分でも顔を出してもらうと、患者はその夜はよく眠ることができる。

これは、自分がその時になれば、やはり同じ気持ちになるような気がします。
自分が「頑張った」ことって、希望を持って努力していた時です。そんな時に一緒に頑張ってくれた人の顔を見ると、何だか不安を吹き飛ばしてくれるような気になるんじゃないかしら。

>1日のエネルギーは限られているため、患者のやりたいことに優先順位を付け、それができる時間帯(午前中が多い)に集中して取り組んでもらい、後は怠けてもらう

やはり、午前中がよさそうなんですね。その方が、介助する側も時間が作りやすいという利点はあるでしょう。
患者が希望することに対し、解決できることとできないことを明確にすることは、家族の重要な仕事です。「それはできないよ」っていうのも、仕事・・・かな。

>一般成人2581人を対象に、「痛みを伴う末期状態の場合、患者はどこで療養したいか」を聞いた調査がある。結果を見ると、希望する療養場所は緩和ケア病棟23%、自宅59%、今まで通った病院10%であったのに対して、希望する死亡場所は緩和ケア病棟50%、自宅11%、今まで通った病院33%

希望する療養場所と死亡場所に差異がありますね。患者の微妙な心理状態を出しているように思います。
しかし、この調査に答えた人は一般の人たちであり、病気による痛みや苦しみなど経験していないわけです。
実際、私が知る末期状態の人たちの中には、自宅だと不安だから病院の方がよいとか、病院でないと苦しみが緩和できないとか、病院にいることを希望する方は少なくなかったです。痛かったり苦しかったりすると、場所なんてあまり関係なくなるような気がします。


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妻のDV

2009年04月07日 | 社会
女性の社会進出により、晩婚化や高齢出産による高リスクなど、取りざたされて久しいですが、DV問題も表面化してきたようです。

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都、男性被害のDV相談 「妻から暴力」4割(産経新聞) - goo ニュース 2009年4月5日(日)08:05

 配偶者からの暴力「ドメスティック・バイオレンス」(DV)について、東京都が男性からの相談内容を分析したところ、4割が女性から「暴力を受けた」と回答していることが4日、分かった。「かい性なし」などの暴言を含む精神的暴力が9割以上、「殴る」などの身体的暴力が7割以上もあった。

 都が、昨年7~9月の3カ月間に相談窓口「配偶者暴力相談支援センター」、各保健所に寄せられた男性からの電話相談内容を分析した。

 相談件数は56件で、このうち22件(39・3%)が女性から「暴力を受けた」と回答。内訳をみると(複数回答)、身体的暴力は16件で、「殴る」が7件で最も多かった。次いで「ける」(5件)、「ものを投げつける」(5件)と続いた。ほかにも「凶器を突きつける」「首をしめる」などの回答もあった。

 精神的暴力は21件で、「怒鳴る」(12件)、「脅す」(12件)が多いほか、「外出制限」(3件)、「携帯電話のチェック」(2件)、「かい性なしと言う」(2件)などがあった。このほか「小遣いを渡さない」といった回答もみられた。

 東京都の出先機関「東京ウィメンズプラザ」などによると、被害男性の相談内容の中には「『もっと働け、クズ』などと言葉による暴力を受けた」のほか、「殴られて肋骨(ろっこつ)を折った」「熱湯をかけられた」などの身体的暴力を訴えるケースも確認されているという。
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>4割が女性から「暴力を受けた」と回答していることが4日、分かった。「かい性なし」などの暴言を含む精神的暴力が9割以上、「殴る」などの身体的暴力が7割以上もあった
>「『もっと働け、クズ』などと言葉による暴力を受けた」

女性のDVというと、暴言などの精神的暴力が主じゃないかと思っていましたが、身体的暴力も7割以上とは、、、行動力もありそうです。


>「殴られて肋骨(ろっこつ)を折った」「熱湯をかけられた」などの身体的暴力を訴えるケースも確認されているという。

肋骨を折る暴力は、男性のDVにも多い。男性の場合は妻を蹴って骨折させるのが多かった。女性の場合はどうなんでしょうか。やっぱり蹴るのかな。

あと、男性が妻の顔を殴り、鼻骨を骨折させるのも多い。が、女性にはこれが上がってこなかった、、、というのは、女性はあんまり拳で顔を殴らないのかな?

う~ん、、、私だったら、やっぱり<殴る>より<蹴る>ですね。殴るのは拳が痛くなるのがいやだし、足の力の方がずっと強いから威力があるような気がして。
ということは、本気でこのくそったれと思うから威力のある方を選んじゃうんでしょうけど。。。


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お年寄りの脳

2009年04月05日 | 病気・症状
あまりにも辛い体験をすると、その記憶を喪失することがあるそうです。幼少時にひどく虐待された子どものうち、虐待された記憶がスッポリと抜けた子どもも時々いるそうな。

自分の許容量を超えるストレスを受けないよう、人間には不思議な機能が備わっているようです。

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「お年寄りの脳、過去はバラ色? 米大が記憶消す働き分析」
 2009年1月13日11時44分

 【ワシントン=勝田敏彦】お年寄りは若い人に比べ、嫌な記憶を消すのが上手らしいことが、米デューク大の研究でわかった。お年寄りはつらい記憶を処理するとき、若い人とは別の脳の部分を使っていて、過去がバラ色に見えやすいらしい。米専門誌サイコロジカル・サイエンス電子版に発表した。

 研究チームは、平均年齢70歳と24歳の15人ずつの協力者グループに、30枚の写真を見てもらった。写真には、普通の図柄に加え、ヘビがかみつこうとしているところや暴力シーンなど、見るのが嫌な図柄も含まれていた。

 その後、写真の図柄を覚えているかどうかを尋ねるテストを実施。普通の図柄ではお年寄りと若い人で成績に差はなかったが、嫌な図柄の写真では、若い人は52%が覚えていたのに対し、お年寄りが覚えていたのは44%だった。

 また協力者が写真を見ている間、機能的磁気共鳴断層撮影(fMRI)で脳を観察したところ、お年寄りは若い人に比べ、記憶に関連し、感情をつかさどる部分より高度な思考をつかさどる部分が活発に働いていた。

 人間は年齢によって脳の使い方の戦略を変えているらしい。チームのロベルト・キャベザ教授は「若い人は、いい記憶もつらい記憶も正確に記憶する必要がある。年配の人はつらいことの多い世界に生きているので、つらい記憶の衝撃を減らし、記憶するようになったのだろう」とみている。
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お年寄りの記憶って、自分に都合のよいことばっかに脚色してるじゃん・・・と思うことがありましたが、

>お年寄りは若い人に比べ、記憶に関連し、感情をつかさどる部分より高度な思考をつかさどる部分が活発に働いていた。

なるほど、これは高度な機能だったんですね。
年齢が上がるに従い、肉親や友人の死など葬式に出席することが多くなるし、病気になったり、体もいうことをきかなくなるし、、、確かに辛いことも増えてきそうです。

「前向きに考えましょう」って、お年寄りには当たり前に行っていたやり方なのかも。


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逝く時

2009年04月03日 | 患者の気持ち
人間には、科学で割り切れない不思議な力がある。。。

ある乳がんの勉強会で、乳腺外科医が印象に残ったある患者さんの死について語りました。

彼女は末期乳がんで、娘さんの結婚式に出席できるか心配していました。その医師は当初、出席はとても無理だろうと考えていた。しかし式が近づくにつれ、彼女の状態が安定、結局、式に出席でき、娘の晴れ姿を見ることができました。その夜、静かに息を引き取ったといいます。
命の灯火が式の夜までもったというのに、人間の不思議な力を感じます。

不思議な力について、ある心理学のサイトからの抜粋です。

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 「誕生日まで、死なないで。 フィリップスの調査」

◆ クリスマスには、死にますか?
カリフォルニア大学の社会学者であるデビッド・フィリップスは、「人間っ
ていつ死ぬか」ということに興味を抱きました。そして彼は、
「たとえば楽しいイベントがあったら、それまで死ぬのを待つんじゃない? 
そしてその直後は、死ぬ人が多くなるんじゃない?」
と考えました。

彼は中国の「中秋節」という祝日に注目しました。
これは、中国の主婦たちが伝統的な料理を作って周囲に振る舞うという、一大
イベントの祝日です。
そしてこの祝日は、年によって日にちが変わります。
フィリップスは、この前後で、果たしてどれだけ死ぬ人が多いかを調べたわけ
です。すると、

「中秋節の前の一週間の死亡率は、他のときより35%低く、中秋節のあとの一
週間は、逆に35%高くなる」
ということが分かりました。
すなわち人間は、イベントによって死ぬ率が変わる可能性がありえるのです。
さらに、フィリップスの調査は、ここで終わりませんでした。

◆ 誕生日には、死にますか。

続いて彼は、1969年から1990年にわたってカリフォルニアで死亡した300万人
を対象にして、「いつ死んだか」を調べました。その結果、

「女性は、誕生日の次の週に死んでいることが多く」、
「男性は、誕生日の前の週に死んでいることが多い」
ということが分かったのです。

では、この差はどうして生まれるのか。
フィリップスの分析では、
「女性は、誕生日を楽しい祝い事と考えて楽しみにするため、それまで死ぬの
を待つ」が、
「男性は、誕生日を自分の人生の節目として考え、『あぁ、この年になったの
に、どうして自分は思い描いていた位置と違うんだ』と悲観的になるため、そ
の前に死んでしまうから」
だそうです。

実際にこの調査に関しては、多くの論争がおきました。
さまざまな学者が調査したところ、「この傾向は認められなかった」という結
果もありましたし、「この傾向は同じく認められた」という結果もありました。
ですので、話半分程度にお取り下さい。ただ、フィリップスの分析自体は、なか
なか興味深いモノがあると思うのですが、いかがでしょうか。

女は、誕生日というイベントをすごく楽しみにする。
男は、誕生日というイベントを憂うつに感じる。

実際に考えてみると、確かに女性って男性に比べて、自分の誕生日を、イベン
トとしてものすごく重要視する人が多いように思えます。

この調査、「死ぬ」からには、基本的に年配の人たちの話です。
あなたも60・70になれば、「開き直って楽しめる」のではないでしょうか。
しかし男は、それでも「切ないもの」と感じてしまうのです。
そう考えると、女性の方が寿命が長い原因の一つは、これなのかもしれないと
思えてしまいます。

◆ ムチ打つ男は、道が遠い。

あなたは「伍子胥(ごししょ)」という人物をご存じでしょうか。
彼は、父と兄を、楚の国の「平王」という王様に殺されてしまいます。
その復讐のために、別の国の将軍となり、数十年をかけて、楚の国の首都を占
領するに至りました。

しかしそのとき、すでに平王は、死んでいました。
おまけに現在の楚の国の王もすでに逃亡していました。

怒りの向けようがない彼は、平王の墓をあばき、その死体を引きずり出します。
そしてその死体に向けて、何度もムチで打ったのです。
この故事は「死者にムチ打つ」という言葉の語源になっています。

そして伍子胥は、その行為を責められたときに、こう答えました。
「日暮れて道遠し」。

人生で残された時間は少ない。
しかし、まだ目指すべき道は遠い…。

◆ 今の、幸せ。

自分は、こうなりたい。
いつか、こんな夢を達成させたい。

そんな期待を持つことは、何より大切です。

しかしそれがあまりに大きすぎると、自分の「いま」と比較した場合に強いショ
ックを感じてしまいます。

「俺は今まで、何をしてきたんだろう…」
「自分の人生って、何だったんだろう…」
「昔思っていた場所に、どうしてたどりつけないんだろう…」

これは男性だけでなく、女性も感じることはあるはずです。
人はこんなときに強くショックを抱えてしまい、特に高齢の場合、死に至るス
トレスにすらなる危険性があるわけです。

ですので、もしあなたが、そんな風に考えてしまうタイプなら、
たまにはその思い描くレベルを、もっとずっと、下げてみてもいいのではない
でしょうか。

それこそ、あなたは今年、何らかの事故で亡くなっていたかもしれません。
もしくは今、目の前にいる人を、失っていた可能性だって、ゼロではなかった
はずです。

でも、そうじゃなかった。
少なくとも、あなたはこうして生きているんです。
さらに目の前に誰かがいるなら、実はそれだけで、すごく幸せなことなんです。
小さな不幸だけに、目をとめないでください。

失ってからでは、遅いんです。
死んでから後悔しても、意味がありません。
今の幸せに、今気がつくことが大切なんですよ。
----------

私の場合、病気になる前はいかに幸せに過ごしてきたか、、、で、病気になった自分はとっても不幸だわ~~って思った時期がありました。で、上記の通り、ある時から思い描く幸せのレベルを下げたわけですよ、「今、生きているのが幸せ」と。

この考え方、病床に臥しても使えそうな気がします。
病気が進んで寝込むようになると、「あれもこれもできなくなった…」ってがっかりながら死ぬのかなと思っていたんですが、、、「あれもこれもやったことがあったなあ…」と、よい思い出を呼び起こして死にたいです。


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病気の受験生

2009年04月01日 | 社会
足を怪我し、松葉杖の生活をした時期があります。
で、仕事に通えず暇なので、英検でも受験しようと願書を取り寄せますた。「身体障害者も受験できます」と記載があったので、これなら受験できるかなと。

「足の怪我なので、洋式トイレのある所で受験できますか?」と、事情を検定協会に話したら、「んじゃ、障害者用の部屋を用意します」と。
受験会場は、とある高校だったのですが、高校生用の小さな机、40人ほどのクラスでギューギュー詰めで受験する人たちを横目に、私は校長室へと導かれますた。

うはは、応接室の2畳ほどのご立派な机とフカフカの肘掛け椅子に座り、私は監視員の見守る中、たった一人でお受験しますたよ! 

高校の放送設備って、あんまりよくなくてノイズで聞き取れにくいんですが、ご立派な机の上に<私専用の>カセットデッキがありましてね、リスニング試験は、もーバッチリ、一人だとホント、咳やくしゃみをする人とかいなくて集中力がアップ、快適ですたっ!

二次の面接試験も一次と同様、障害者は特別待遇で順番が早いんです。試験官も「足、どーしたのー?」って日本語でたずねるほど同情的だったし。。
いやー、日本英語検定協会は待遇がよかったなぁ(はぁと)。

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がんの生徒の受験拒否 長崎日大高「特別対応できない」 asahi.com 2009年3月30日3時2分

 長崎県諫早市の私立長崎日本大学高校(野上秀文校長)が今年の入試で、がんを患う中学3年生の女子生徒(15)の受験を断っていたことがわかった。生徒は治療で抵抗力が弱っており、感染症を防ぐため他の受験生とは別の部屋での受験を求めたところ、同校は「特別な対応はできない」と説明したという。

 生徒は同校で、一般入試に先駆けて1月20日に行われた特別入試の受験を希望。在籍する中学校の校長が同13日、願書を提出した後、野上校長に事情を説明した。高校側は県に相談したうえで翌14日、「個室を用意することができないので受験を差し控えてほしい」と回答。願書と受験料を返却したという。生徒は同校の受験をあきらめた。

 野上校長は朝日新聞の取材に対し、特別入試の受験者は1700人以上いたと説明し「申し訳ない気持ちはあるが、教室が足りなかった。1人の受験生のために試験監督をつける余裕もなかった。志望者全員にチャンスを与えるべきだと思うが、学校として対応できる自信がなかった」と述べた。さらに「批判もあると思うが、私たちが教育したい人、できる人を選抜したい。それが私学の独自性だ」と語った。

 私立学校を管轄する長崎県学事文書課は同校から相談された際、「学校で検討して決めてほしい」と答えたという。同課は「受験について県は学校を指導する立場にない」としている。

 生徒は結局、別の私立と公立の2校を受験し、いずれも合格した。両校とも試験の際は生徒の要望を受けて別室を用意した。このうち私立高は「病気は本人の責任ではない。最大限できることはやろうと思い、対応した」としている。

 長崎日大高は生徒1458人、教員101人。日本大学の付属高校で、学校法人長崎日本大学学園が運営している。
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まー、私学は色々ってことですかね。
私学だから、上記の理由で受験生を断る権利はあるのかもしれません。だから、県学事文書課も「受験について県は学校を指導する立場にない」と、判断しなかったんじゃないでしょうか。

受験生の立場にたったら、それは非常に気の毒です。病気で受験のチャンスを与えられないのは不条理ですから。
しかし、校長が「批判もあると思うが、私たちが教育したい人、できる人を選抜したい。それが私学の独自性だ」と明言したのだから、それが学校の理念でもあるわけです。
「あなたを教育する自信がない」と言ったぐらいですから、何とか入学できたとしても、さて、その後はどうなるのでしょうか?

「病気は本人の責任ではない。最大限できることはやろうと思い、対応した」と受け入れた学校で勉強する方が、ずっとよい環境ですね。勉強するモチベーションがあがるように思います。

この受験生は15歳にして、社会の大きな不条理を味わってしまいましたが、めげずに病気と闘って、また一生懸命勉強してほしいと思います。


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なかのひと

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