乳がん患者のサロン2 - ノエル編

乳がん患者の皆様、このサロンでのびのびと雑談しましょう。くつろぎの場です。

人知の及ばぬ事象に無罪判決

2008年08月20日 | 福島県立大野病院事件
福島大野病院事件に際し、私は「ボールペン作戦」 に参加して、マスコミ関係を中心に配りました。最後の1本は、本日、一番お渡ししたかった方に渡すことができました。

先月、不正出血があり、青くなって通院する病院の婦人科に予約を取ろうとすると、なんと3週間待ち! 他の病院へ行く選択肢はありません。この病院は産婦人科外来に医師が4人、週3回も診察するにもかかわらず、越境患者の出現でいつも混雑しているのです。

「皆さん、同じ事情で待っていただいておりますので・・・」と事務員の声。2年前は1週間で予約が取れたのに、産科崩壊はここまで来たかという思いがしました。新たながんになっちゃったのかなという不安を、3週間も引きずるのは少々厳しかったです。他の人たちもそうなのよね。

朝イチの診察だったのに、担当医は目をこすりながら、私のカルテを読んでいました。年に一度の診察ですが、私よりお若い先生なのに、昨年よりぐっと白髪が・・・。
ホルモン分泌の乱れとの診断を得、ほっとしたところで、例のボールペンを先生にお渡ししました。

「この判決に関心の無い産科医なんて、一人もいませんよ」
とにっこり微笑み、受け取って下さいました。私のような一般市民が、この事件に関心を持つことは、専門家にとっても意味のあることのようです。

帝王切開で29歳失血死、医師に無罪判決…福島地裁(読売新聞) - goo ニュース

 福島県大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開手術を受けた女性(当時29歳)が死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死の届け出義務)違反の罪に問われた産婦人科医、加藤克彦被告(40)の判決が20日、福島地裁であった。
 鈴木信行裁判長は、「標準的な医療措置で、過失は認められない」として無罪(求刑・禁固1年、罰金10万円)を言い渡した。
 医療界からは、医師の逮捕に対して反発の声が上がり、元々勤務が過酷とされる産科医離れが進むなど波紋を広げたとして注目された。
 判決によると、加藤被告は04年12月17日に女性の帝王切開手術を執刀。子宮に癒着した胎盤をはがした際に大量出血が起き、女性は失血死した。子どもは無事だった。
 鈴木裁判長は、胎盤をはがしたことと死亡との因果関係を認め、「手でこれ以上胎盤をはがせないと判断した時点で、はく離を続ければ大量出血の恐れがあると予見できた」と、検察側の主張を認めた。
 だが、はく離を途中でやめて子宮摘出手術に移り、大量出血を回避すべきだったとする検察側の主張については、「最後まではがすのが標準的な医療措置」として、結果を回避する注意義務はなかったと判断。さらに、「女性は(難症例の)癒着胎盤という疾病で、過失のない診療行為でも死亡という結果は避けられなかった」として、医師法違反についても「異状死ではなく、届け出義務はない」とした。
 検察側は「胎盤の癒着は広範囲で相当深く、はがし続ければ大量出血し、生命に危険が及ぶ」と指摘。弁護側は「胎盤をはがしている最中の出血量は最大555ミリ・リットルで、大量出血の予見可能性はなかった。はがし始めたら最後まで行うのが臨床の実践。標準的な医療行為だった」と主張した。
 産科医は、04年ごろから減少が顕著となり、加藤被告の逮捕・起訴後は、医師の産科離れにさらに拍車がかかったとされる。日本産科婦人科学会は「故意や悪意のない医療行為に個人の刑事責任を問うのは疑問」とする見解を表明。国は「医療安全調査委員会(仮称)」の設置を検討している。
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この事件に関して、Dr.I先生のブログ 「やぶ医師のつぶやき」にわかりやすい説明があります。

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医学っていうのは、不確実なものですから。
絶対に大丈夫って事はないんですよ。
日本は、周産期死亡率が世界一低いんですけど。
それでも、お産をすれば、死ぬ人もいるんですよ。
ある一定の確率で、必ずね。

100点満点のテストで60点以上が合格として。
99点だったら、喜びますよね、普通。
楽勝で合格点だし、
ほとんど満点に近いような点数だから。
多分、クラスで一番か二番でしょう。

でも、言い方を変えれば、
1点はミスしているんですよね。
100点満点で99点っていう事は。
その1点の事だけを取り上げて、「医療ミスだ」
って言っているのが、一部の医療訴訟です。

しかも、点数の基準が○×とか。
マークシートとか、そういう完全に白黒
はっきりつけるものならともかく。
採点者によっては、人によっては正しいけど、
人によっては、正しくない。
って言ってるような、そんな基準で。
一部の医療訴訟は行われています。

福島大野病院事件の場合は、
極めてまれで予測不能な難治疾患と遭遇して、
救命を目的に必死の思いで
正当な医療行為を実施しても、
結果的にその患者さんを救命できなかった。

そういう場合に、今回のように極悪非道の殺人犯と
全く同じ扱いで逮捕・起訴されるようでは、
危なくて誰もリスクを伴う医療には
従事できなくなってしまうんですよ。
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多くの医師が団結し、抗議しているのは、この事件が刑事罰に問われたことです。しかも、書類送検ではなく、逮捕・拘留されてしまった。

この事件では、警察、検察は医療の専門家ではないから、医療の専門家の意見を尋ねました。ところが、経験の乏しい鑑定医が鑑定した。結果、多くの専門家が鑑定に疑問を持った。

ひょっとしたら、今までも専門的な知識を必要とする事件で、同じようなことが起きていたかもしれません。。。

弁護士さんとは頭がよくて優秀で、きちんと説明すれば理解してもらえる人たちだと私は思っていました。が、実際の医療現場において、治療をすれば治るという思い込みでもあるのかなと、今回、考えを新たにしましたね。

もっともこれは、私が親の十数年来がんと付き合い、「治療をしてもうまくいかないこともある」のを実感しているからかもしれませんが。


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深いなあ・・・。

2008年08月19日 | 福島県立大野病院事件
「罪を憎んで人を憎まず」と言われるのは、人を憎んで罪を忘れようとする人が多いからでしょうか。

私とて右ほほをぶたれたら、左足で蹴り返しちゃいそうです(^^;)。頭でわかったつもりでも、相手を理解し自分を納得させるには、また、それを行動に移すには時間がかかる…かな。

明日の福島県立大野病院事件の第一審判決を前に、産婦人科医なな先生のブログ「ななのつぶやき」を読みました。

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「お祈り」

今日は、寝る前にお祈りをします。
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明後日は、福島県立大野病院事件の、第一審判決の日です。
無罪が確定しても、福島県警と福島地検を、罰してはならないと思います。
警察も検察も、その道のプロフェッショナルだからです。
警察は、プロとして犯罪捜査をし、逮捕しました。
検察も、プロとして捜査・起訴・立証をしました。
専門家が判断して、その場その場で正しいと思って行ったことです。
しかし、専門家も人間ですから、過ちを犯します。
だから、誤認逮捕も冤罪も、存在します。
誤認逮捕をした警察官を処罰し、結果として無罪の人を起訴した検察官を処罰してしまったら、
警察官も検察官も、萎縮してしまいます。
警察が凶悪犯の逮捕を躊躇して、第2第3の犯罪が起きたり、
検察が迷った挙句不起訴処分にして、真犯人が野放しにされたら、
日本の治安が守れなくなってしまいます。
そんな危険な国にしてはなりません。
やるべきことは、警察・検察の処罰ではなく、
何故このような逮捕・起訴・裁判がなされてしまったのか、 原因を究明し、
二度とこのようなことが繰り返されないように、対策を立てることです。
処罰は、過失の根絶につながるのではなく、萎縮につながるものだと思います。
警察と検察が、萎縮することなく仕事ができる世の中を、願って止みません。
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起こってしまったことは、再発防止の対策に役立てることが必要なんですね。医療技術も警察の捜査法の進歩も、根っこは同じだと思います。というか、失敗から学ぶことの重要性を、我々は日々の暮らしで体感しています。

不毛な争いは早く終わりにし、再発防止にエネルギーを注ぎ、暮らしやすい社会になることを願います。


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注目の判決を前にして

2008年08月16日 | 福島県立大野病院事件
「医師数は足りている」と県から評された地域に私は住んでいます。しかし、新たに建設された中規模病院の産婦人科に医師はおらず、最新設備は埃を被ったままです。

産婦人科は大病院へと集約化され、妊婦さんと婦人科へ罹る患者さんとで溢れています。常に午前の妊婦検診が午後に大きくずれこむほど、妊婦さんが集まっています。また、患者急変で医師の外来・検診は時々中断します。

数字的には医師数は足りている。しかし、周辺地域・隣県からの妊婦や患者が流れ込み、その割合は地元患者1に対し、越境患者0.7。集約前の約2倍の人たちがこの地域の病院を利用するようになりました。これのどこが医師数は足りているというのか?
片道数時間かけて通院する妊婦さんがざらにいる。これは母体に安全なことなのか?

この地区では、里帰り出産しても住民票がなければ、妊婦教室や赤ちゃん教室には参加ができなくなりました。妊婦の大量流入に、行政が対応しきれなくなったためです。

がん検診の予約を入れても、婦人科だけは1か月待ちです。他の科は1週間で予約がとれます。婦人科がんの疑いのある人が入院・手術となると、長い時間を不安の中で待たされることになるでしょう。

皆、我慢を強いられています。

大野病院事件の後、産婦人科を取り巻く環境は激変しました。これが実情です。(事件については、大野病院のカテゴリーを参照下さい)
この事件の公判記録を読むと、自分も医師と長らく付き合うことになった「乳がん患者」の立場として、大いに疑問を感じた点があります。

第12回公判の亡くなられた妊婦さんの夫の証言
>加藤先生の手術の内容は、弁護側の先生からは誰でもする、特に問題がなかった、と言われました。何も問題がなければ、なぜ、妻は死んでしまったのか、とても疑問です。
>子供と妻のために、責任を追及し、責任をとってもらいます。

加藤医師とこの妊婦さんとで、いかなる話がなされたか。
その話は彼女の夫、家族などと共有されたものだったのか。各々が彼女の意志や希望を正確に理解していたのか。

治療については、乳がん患者も一人ひとりの価値観が異なります。乳房全摘出するのが最善の治療であっても、絶対に乳房を残したいと医師に懇願する人、治療・手術より妊娠を継続したい人など等、医師の提示する最善の治療と離れた希望を述べる患者もいます。
診察室ではその希望を叶える治療とリスクについて、医師と患者は十分に話をするものだということは、患者となられた方ならご存知でしょう。医師は自分にできないことはしないし、できるだけ患者の希望に沿った治療を考える。そして患者自らが選択するんですよね。

亡くなられた妊婦さんは、過去の出産経験から想像するに、彼女の希望を叶えるべくリスクは小さくなかったように思います。つまり、彼女はもう一人子供を得るため、小さくないリスクを取ったのではないのか。

私の場合、乳がんの治療をするにあたり、主治医には自分の希望や意志を率直に伝えても、家族には隠すことがあります。家族に言うと、私を心配するが故に私の行動を阻止する可能性がある時です。それはまた、自分が腹をくくった時でもあります。

家族は妊婦さんの気持ちをどのぐらい理解していたか。彼女を深く思いやり、彼女の意志を尊重したというのでしょうか。リスクに対し、彼らは担当医とどのぐらい話し合ったのか。
医師が「責任をとる」時、そこには医師と家族との間にも、出産に対し共通の理解があるはずです。原告の公判記録からは、その点が読み取れません。

もう一つ、警察と検察が依頼した鑑定医についても大いに疑問があります。
この妊婦さんは、産科医が遭遇するのは1万分娩に1回ほどの強い癒着胎盤で、出産時に予期せぬ事態に陥ったといいます。そのような事態の処置を、完璧に行った医師を鑑定医に選ばなかったのはなぜでしょう。

未経験の鑑定医の鑑定を判断の基とするのは、素人目に見ても納得がいきません。あとから「こうすれば助かったはずだ」と言い出せば、言った人が有利です。それは今後の医療の改善に役立つかもしれませんが、当時、医師が行うべき行為の過失とは全く別のものです。この件では、産婦人科医としての経験と実績のある鑑定医をつける必要がありました。

検察側は、医療の「不可抗力」とはいかなるものか、専門家の知識と経験を正確に知る必要があると思います。その時できるだけのことを行い、しかし結果が悪い場合、犯罪者とするのは間違いです。

産科医のみならず、全国には患者とその家族の希望を踏まえ、限界まで精一杯の仕事を行う医師が大勢います。私の主治医もその一人です。
この裁判で有罪判決が出たら、その行為は犯罪になるかもしれない。その状況に耐えられる医師がどれほどいるというのか…。
自分が受けた医療の恩恵が受けられなくなる人々の出現を、私は危惧します。


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ボールペン作戦途中経過

2008年07月04日 | 福島県立大野病院事件
子供でもわかる『福島大野病院事件』で紹介したこの事件、判決が8月20日に言い渡される運びになりました。

医師の意見として、「この事件後、積極的な治療を行うことに消極的になった」、「攻めの手術ができなくなった」など、医療の萎縮を感じたことがあります。
また、一縷の望みをかけ、医師に治療を託したいと思う患者にとっても、治療のハードルが高くなったような気分です。

この事件の後、産婦人科医の減少に歯止めがかかりません。医療の萎縮が急激に進む現在、一体、誰に得があるというのでしょうか。

医療ミスと不可抗力は、違います。
患者は医師の説明で、聞きたくない部分に耳を塞いではいけないし、医師は包み隠さずわかりやすく病状を説明すべきでしょう。

医療裁判では、“患者対医師”の構図になりがちですが、本来、両者は対立の関係にはないはずです。互いに協力しあい、結果、両者にとって最善の治療をした、となりうる関係だと私は信じたいです。

裁判長は、専門家集団である多くの医師の意見を尊重した上で、判決を下していただきたいと切に願います。

現在、医師を中心に医療関係者が被告の無実を信じ、様々な活動を行っています。
私は「ボールペン作戦」に参加しました。医師が治療を行うに際し、いかに人命を重く見ているか、、、自分の乳がん体験を文章にし、ボールペンを添えてマスコミ関係へ投書しました。

興味を持った会社もあり、わずかですが反応はあったように思います。
判決が出る時期は、例年だと「記事薄」の時期なので、大事件などがなければ注目の判決として報道される可能性はあると思います。

この運動に参加することで、自分の主治医の仕事環境が少しでも改善されることを願っています。

ボールペンの使用感は、グリップは太め、滑り止め機能あり。やや重い。ごくごく普通の書き心地です(液漏れしないタイプではありません)。

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医療崩壊

2008年04月26日 | 福島県立大野病院事件
「医療崩壊」という言葉が頻繁に報道されるようになりましたが、報道機関の表現も日和見の感が強い、、、うかつに内容を信じるわけにはいきませぬ。
「多面的」に報道するのと「儲かる表現」で報道するのとは、意味が違います。

春野ことり先生のブログ「天国へのビザ・わかりやすい医療問題」 で見つけたサイトを紹介します。

作者は農業を営む方で、コメント欄に「日本国全体の医療崩壊は阻止できないにしても、自分がよく行く病院や地元の医師くらいなら守れる可能性はあるのでは。そのために問題意識を共有することが必要だと思っている」と述べられています。
内容がよくまとまっておもしろいのが特徴です。

私が読みやすいと思ったのは、「その3 大野病院事件」です。
被告人となった医者の無罪を信じ、医師が全国的に運動を起こす中、一般の人々は「何を熱くなってるん??」とわけわからん状況。

報道機関は、この事件を様々な角度で報道しています(と彼らは主張しる)。んが、どっこい、全国の医師たちは、主張する内容を履き違えて報道しているぞと、彼らから見たらイマイチ、いえ、イマゴ、イマシチ、的を射てないのです。
そこんところ、このサイトはよく整理して両者間の齟齬を明らかにしています。

☆医療問題を注視しる!その3 大野病院事件☆
☆医療問題を注視しる!その2☆
☆医療問題を注視しる!☆


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福島大野病院事件がもたらしたのは…

2008年03月03日 | 福島県立大野病院事件
福島大野病院事件を機に医療崩壊が加速したと、多くの医師が考えているようです。

ネットでは医師による署名活動が盛んですし、最近は一般の方々もこの活動に賛同する動きもあります。がんになっても、あわてないの著者、平方眞医師のブログで見つけた記事を紹介します。
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「患者側も医療を壊さない配慮を」
2008/2/27 「患者側も医療を壊さない配慮を」 
 キャリアブレインニュースで「勤務医の疲弊、患者にも原因」という記事があり、Yahoo!ニュースにも載っていた。患者側に責任転嫁しようというのではなく、医療を守るためには利用者側の協力も不可欠という意味だ。記事は次のとおり。長いです。

勤務医の疲弊、患者にも原因
2月27日9時48分配信【医療介護情報CBニュース】

厚労省は「安心と希望の医療確保ビジョン」会議を開き、医師不足が深刻な産科・小児科・救急医療などの現場で先進的な取り組みをしている医師から意見を聴いた。
 「雨が降ったからという理由で救急車を呼ばないでほしい」「患者の暴言で仕事への誇りがズタズタにされる」――。厚生労働省の審議会で、産科・小児科・救急の医師が共通して挙げたのは勤務医の疲弊で、その原因の1つに「クレーマー患者」や「暴力患者」などの存在を挙げた。西川京子厚生労働副大臣は「医療の分野では国民の意識が育っていない。すべて受け入れる側が悪いというのではなく、一緒に医療を構築するという方向性を持たないと不毛の議論になっていく」と感想を述べた。(新井裕充)

 厚労省は2月25日、「安心と希望の医療確保ビジョン」会議を開き、産科・小児科・救急の現場で先進的な取り組みをしている医師から意見を聴いた。

 この会議は、長期的な視点に立って日本の医療の問題点を考えようと、舛添要一厚生労働大臣が中心となって1月7日に設置された。

 4回目を迎えたこの日のテーマは、医師不足が深刻な産科・小児科・救急医療などの現状把握。各分野の医師が現在の問題点や今後の課題などについて意見を述べた。

 東京都立府中病院・産婦人科部長の桑江千鶴子氏(東京医科歯科大産婦人科臨床教授)は「産婦人科臨床現場の3つの問題」として、(1)劣悪な労働環境と待遇、(2)医療事故と訴訟への恐怖、(3)医療者への暴言・暴力(モンスターペイシャント)の存在――を挙げた。

 桑江氏は「大野病院事件で産婦人科の医師が逮捕されて以来、ビクビクする状況で萎縮医療になっている」と述べ、過酷な労働環境に追い討ちをかける訴訟リスクや患者の暴力などが医師のモチベーションを下げていると指摘した。
 「優しい気持ちでなんとかしてあげたいと思っても仕事に対する誇りをズタズタにされ、若い医師は疲弊している」
 桑江氏はこのように述べ、早急に解決することが難しい大きな問題であるとした。

 続いて、愛知県岡崎市の花田こどもクリニック院長の花田直樹氏は「現在の小児医療の問題点」として、(1)不当な報酬の低さとフリーアクセスによる患者数の多さ、(2)小児科勤務医の減少、(3)乳幼児医療無料化に伴う救急外来のコンビニ化、(4)訴訟リスクとクレーマーの存在――を挙げた。

 花田氏は「コンビニ感覚で救急車が利用されるが、コンビニ診療さえ難しい状況だ。しかし、司法判断は救急外来にも最高級の医療レベルを要求している。無理して対応しても刑事事件の対象になり得ることを医師は学習している」と述べ、産婦人科の医師が逮捕された福島県立大野病院事件の影響で入局する医師が減少し、現場では「無理に救急を受け入れない」という萎縮医療が生じているとした。

 花田氏はまた、医師らに言いがかりを付ける「クレーマー患者」の存在が萎縮医療に拍車を掛けているとした。
 「過熱する医療事故の報道で、不信に満ちた攻撃的な言動が目立ち、現場のやる気をさらに萎えさせている。今までは医師の使命感でカバーしてきたが、現状では医療安全上も自分の健康上も無理がある」

■ 救急患者の増加と国民の意識
 疲弊した勤務医をさらに追い詰める「クレーマー患者」と訴訟リスク。その背景には救急患者の増加がある。
 日本医科大学付属病院・高度救命救急センター部長の山本保博氏は、救急患者が増えている一方で救急医療機関が減少していることを指摘。「救急医療の現状、課題」として、(1)救急医療施設の負担の増大(救急患者の増加など)、(2)資源の圧倒的な不足(救急医不足など)、(3)救急医の士気の低下――を挙げた。

 山本氏は救急車の出動件数(2005年)のうち搬送されていない約9%について、「救急車が到着しても現場に患者がいない」と指摘。その主な理由として、▽119番した後の辞退、▽いたずら、▽酔っぱらい――を挙げた。
 その上で、119番通報した患者を重症度や緊急度などによって分類する「トリアージ」の必要性に触れた。
 「アンダートリアージ(過小評価)をどう考えるかという問題がある。『ちょっと胸がつかえる感じがする』という患者のうち1万人に1人ぐらいは心筋梗塞の場合がある。このような患者を自宅に戻してしまった場合の問題がある。しかし、これからはトリアージをしていかなければ、“たらい回し”はどんどん増える」

 この日、舛添厚労相が欠席したため、西川京子副大臣が次のように感想を述べた。
 「安全で安心な食物にコストがかかるという意識は国民の間に育ってきたが、医療の分野では国民の意識が育っていない。今日はマスコミの方もいるようだが、すべて受け入れる側が悪いという指摘の仕方ではなく、一緒に医療を構築するという方向性を持たないと不毛の議論になっていく。今、これを厚生労働省が一番先にやっていかなければならない」
(記事ここまで)

 日本では「水と安全はタダ」という、世界では通用しない常識があるが、いつの間にか「水と安全と医療はタダであるべき」と、人々の意識の中では医療も組み込まれるようになっていた。しかし今や医療提供側には全く余裕がなく、水のごとく医療を供給するのは無理である。

 医療側からこういう意見を言うと「甘えるな」と非難されるとは思うが、敢えて言う。「今は医療をいじめるな」。医療、特に最前線で頑張っている医療はもはや「弱者」である。いたわって壊れないように扱わなければ、本当になくなってしまう寸前である。なくなって困るのは国民である。頼むから最前線の医療を保護してほしい。
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この記事では、東京都立府中病院・産婦人科部長の桑江先生、花田こどもクリニック院長の花田先生、ともに大野病院事件が萎縮医療をもたらしたと述べています。

花田先生の「司法判断は救急外来にも最高級の医療レベルを要求している。無理して対応しても刑事事件の対象になり得ることを医師は学習している」と述べ、産科現場では「無理に救急を受け入れない」よう、医療は委縮している事実は深刻です。

私自身は、主治医が無理して対応して下さり、十分な医療を受けた一人です。こういう人は「できる限りの治療をやった」という満足感が強い。こうなると再発は運だなと腹が座ります。

初発のがんにつきまとう、ぬぐってもぬぐってもぬぐいきれない再発の不安が相当払拭される、、、この精神的な安定感ががん治療には重要だと実感しています。

せっかくがんの治療を終了しても、その半数が再発の不安から鬱状態になり、精神科にかかる患者も多いと聞きます。病後のケアまで考慮しないといけないのがこの病気。

医療の委縮は私にとって深刻な問題です。


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正義の追求って?

2008年03月01日 | 福島県立大野病院事件
現場での、その場その場の判断がすべて適切か、と後から判断材料を全部揃えて検証されたら、どんなお医者様でも耐え切れないのではないでしょうか。
また、そこまで完全無欠を求めていくのは、やりすぎではないかと思えます。
普通、裁判となると一瞬一瞬の判断をひとつずつ検証していく作業があるのでしょうね。

これは、正義を追求することでしょうか。
医療側の怠惰で治療を受けられなかったケースなどとは全く違うわけですから。
がんばって手術しているときの、医師の判断自体を裁くわけでしょう。。
これは裁判にはなじまないのでは。

最善を尽くしても後から見れば、適切ではなかった可能性があるときに、それを責められると、当事者は萎縮してしまう。
難しい手術は敬遠したい、という気持ちになるのではないかと危惧します。

医師と患者側が対立関係になるのは不幸なことです。
訴える側には何があったのでしょう。
事情がよく分かりませんが、出産には危険が伴うし、100パーセントの安全はない、ということの理解はあるのでしょうか。

警察がとりあげ、検察庁がなぜ起訴したのか。違法性があると判断したのは別の医師の意見を採用したからですね。
ひとりの医師の意見でなく、何人かの医師からの意見を聴取して、起訴するぐらいの慎重さがほしかったと思います。
すぐに何でも裁判をする時代。何か閉塞感を感じるのは私だけでしょうか。
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これは前回トピック子供でもわかる『福島大野病院事件』のyukoさんのコメントです。

>がんばって手術しているときの、医師の判断自体を裁くわけでしょう。。

非医療従事者の私は、この点に着目しています。
内科医よっしぃ先生は、「情報が全部そろった状況での裁判は『後出しじゃんけん』と言われるのです。」とブログに書かれています。子供でもわかる『福島大野病院事件』
さらに、内科医春野ことり先生のブログに関連記事を見つけましたので抜粋します。
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小松秀樹先生の講演を聞きました
医療崩壊―「立ち去り型サボタージ...  医療の限界  の著者、小松秀樹先生の講演、タイトルは「 医療を崩壊させないために」。医療事故調査制度についての痛烈な批判です。
1.はじめに
日本の医療機関は相矛盾する二つの強い圧力にさらされている。医療費抑制と安全要求である。医師の士気喪失の象徴となったのが、刑事司法の介入である

2言語理論体系の齟齬
司法と医療という社会の基盤となるシステムの間に大きな齟齬が生じている。
(つまり、医療は医療、司法は司法の独自のシステムがある。司法が医療を扱うときも、医療用語を使わず、司法用の用語に組み直している。
まるで脳の中で神経細胞がつながっていない状況とのこと)

福島県立大野病院事件では、多くの医師の団体が警察・検察に抗議した。その理由は、医療における因果関係の判定方法、正しいとされる医療行為の分布のありよう、労働環境の医療従事者への影響などを十分に認識することなく、「違法性」(死亡結果を惹起したこと)と、「責任」(死亡結果を予見すべきで避けるべきだったこと)があれば処罰できるという、あまりに乱暴な論理に基づいて医療における犯罪を認定しようとしたところにある。
(要するに、これだとほとんどの医者を逮捕してしまうことができる)

司法、政治、メディアはものごとがうまくいかないとき、規範や制裁を振りかざして、相手を変えようとする。(規範的予期類型)
これに対し、医療、工学、航空運輸など専門家の世界では、うまくいかないことがあると、研究や試行錯誤を繰り返して、自らの知識・技術を進歩させようとする。(認知的予期類型)

グンター・トイブナー(法社会学者)は分野ごとの正しさの衝突となると、法がすべての部分社会を統括するような規範の大体系を提示できるはずもなく、法はそれらの矛盾を解消できない。互いの合理性を尊重し、自立的部分社会同士の相互観察で共存を図るしかない、とする。
(つまり、医療における正しさと、法における正しさが違うわけで、法における正しさが人間を死なせないことだとすると、不可能なわけ。
その場合、それらを統括するような法をつくるのは無理な話で、互いの合理性を尊重して共存するしかない)

現在の刑法は明治41年(1908年)に施行されて以後、本格的改正はなされていない。
(つまり、100年も前に作られた刑法にわれわれはしばられているのである)

3.刑法211条 業務上過失致死傷罪
単純過失は罪か
2003年3月、東京都の1時間に50分以上閉鎖される開かずの踏み切りで、女性二人が電車にはねられて死亡する事故があった。
手動で遮断機の上げ下げをしていた保安係の男性が逮捕された。他の人間がここにいても間違いは起こりえた。立体交差にすれば事故は起こりえない。ヒューマンファクター工学の常識では、これは誘発されたエラーであり、「犯人」の処罰は安全を向上させない。社会はこの事件を個人の責任とした。会社は男性を懲戒解雇にし、刑事司法は逃げも隠れもしない善良な男性を逮捕起訴し、有罪とした。
(まさに、これと同じことが医療の現場でも起きているのだ)
医療はその性質上、業務上過失致死傷で訴えやすい。
検察は起訴するかどうかの判断について明確な基準を描けておらず、
被害の重大性、被害者側の処罰感情を判断材料にしている。
これは、不都合なことが起きたとき 「悪いやつを探し出して罰しろ」と主張する「被害者感情」が制御なしに一人歩きをしている日本の風潮と同じである。
( 以下、ことり先生のブログをお読み下さい)
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正義の追求って、何が正義なんでしょうか?

私の最大の注目点は、亡くなった妊婦さんを取り巻く状況です。
出産前に、本人や配偶者、取り巻く家族…それと、被告になった医師と。出産について何をどれだけ話し合ったのか。または話し合わなかったのか。。。

話し合わなければ、行動しなければ、その人が何を考えているのかは伝わりにくい。。。

人の心は変わる?
人の心は変わらない?


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子供でもわかる『福島大野病院事件』

2008年02月28日 | 福島県立大野病院事件
2年前のマスコミの報道の際、「経験のない医師」が「無理矢理胎盤をはがした」事件だとの印象を私は強く持ちました(餅は餅屋に )。ある医師が事件の成り行きを子供に語る形式で書かれた記事を、よっしぃ先生のブログで見つけたので紹介します。
子供でもわかる『福島大野病院事件』

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あるところにね、お腹の大きいお母さんがいたの。

そのお母さんには一人、もう子供がいてね、二人目の子がお腹の中に入ってたの。
一人目の子供はね、お母さんのお腹を切って、お医者さんにとりあげてもらったんだって。

で、そのお母さんはね、次の子を産む時も、同じようにお腹を切って、赤ちゃんをとりあげてもらったの。
赤ちゃんは元気に産まれてきて、良かった!おめでとう!ってなったんだけど、そのあと、お母さんのお腹から血が出て、止まらなくなっちゃったの。
シャワーみたいにすごい勢いで血が吹き出して、大変なことになったんだって。

それで、なかなか血が止まらなくて、とうとう、そのお母さんは死んでしまったの。

そしたら、そのお腹を切ったお医者さんは警察に逮捕されたんだよ。

そのお母さんが死んだのは、そのお医者さんのせいだ、お医者さんがそのお母さんを殺した、って。

そのお医者さんはね、頑張って血を止めようとしたんだって。
でも、止まらなかった。止められなかった。

そういう時に血を止めるにはね「子宮」っていう、赤ちゃんが入ってた袋を全部、取ってしまうのが一番いいんだよ。

だけど、そのお医者さんは、その前に、そのお母さんと話をしてたんだって。

「あともう一人、子供を産みたいです」ってそのお母さんは言ってたんだって。

お腹を切ったお医者さんは、そのことをおぼえてたんだって。

そのお母さんはね、3人の子供が欲しかったんだろうね。
3人子供がいる、5人家族になりたかったんだろうね。

でも、子宮を取っちゃったら、もう子供を産めなくなっちゃう。

赤ちゃんをとりあげたあと、お腹から血が止まらなくなったとき、すぐに子宮を取れば、血が止まる。
でも子宮を取ったら、3人目はもう絶対、産めない。
だからお医者さんはギリギリまで子宮を取らないで、なんとか血を止めようと頑張ったんだって。

でも、血がどんどん出てくるのを止められなくて、とうとう最後には子宮を取ったんだけど、遅すぎて、そのお母さんは死んじゃった。

警察は、もっと早く子宮を取ってればそのお母さんを助けられたのに、子宮をなかなか取らなかったお医者さんが悪い、って言って、お医者さんを逮捕して牢屋に入れたんだよ。
警察はね、別のお医者さんに聞いたんだって。

「こんなことがありました。どうしたら、このお母さんを助けられたと思いますか」って。

きかれたお医者さんは「もっと早く子宮を取っていれば、助けられたと思います」って答えて、紙にもそう書いて、警察にあげたんだって。

でもね。

その、別のお医者さんは、そのお母さんとお話、してないからね。
そのお母さんが「もう一人、赤ちゃんを産みたいです」って言ってたの、知らなかったのかも。

だけど、警察はその紙をもらって、そのお母さんが死んだのは早く子宮をとらなかっ
たお医者さんのせいだ、って逮捕しちゃった。

死んじゃったお母さん、かわいそうだね。
生まれたばかりの赤ちゃんと、もう一人の子供を残して、死にたくなかっただろうね。
お母さんが死んじゃって、子供たちもかわいそう。

だけど、そのお母さんが死んだのは、ぜんぶお医者さんのせいだ、っていうのは、まちがってる。

どんなお医者さんでも、ぜんぶの人を助けられるとは限らない。

悲しいことだけど、お医者さんがどんなに頑張っても、助けられない命が、あるんだよ。

今、日本中で、赤ちゃんをとりあげるお医者さんが少なくなってきてるの。
お腹の大きいお母さんから、赤ちゃんをとりあげる時に、大変なことはいっぱいあって、みんながみんな、無事に産まれるとは限らないし、産んだあとも無事とは限らないの。

でも、それは、全部、お医者さんのせいだってわけじゃないんだよ。

お医者さんが一生懸命に頑張っても、助けられないこともあるんだよ。

お母さんか赤ちゃんかが死んだ時に、そのとりあげたお医者さんが逮捕されて牢屋に入れられちゃうんだったら、赤ちゃんをとりあげるお医者さんがもうとりあげるのをやめたり、赤ちゃんをとりあげるお医者さんになる人が、いなくなったりするんだよ。

でもそれで困るのは次に「赤ちゃんを産みたい」っていう人なのにね。

お医者さんが、わざと殺したんじゃないんだから、逮捕して牢屋になんか入れないで欲しいよ。

赤ちゃんをとりあげる仕事って大事で、それをするお医者さんがいないのって、とっても困るのにね。

________________________________________

この話を読むと、大変難しい問題を含んでいたことがわかります。

自分がお亡くなりになった妊婦さんの親、子供、そして夫の立場であったなら、新生児より母体を助けてと医師にお願いするでしょう。
で、妊婦さんご本人は、もう一人子供が欲しかった。(しかし、自分が死んでしまうかもしれない状況に陥ったら、子供より自分を優先する選択を取るか、、、はこの話および実際に起こった時には不明である)

この話から、被告となった医師がためらったのは、子宮の全摘出でしょう。そこには母体である妊婦さんの、意思や希望が詰まっている。

ギリギリまで頑張って、母体の命も子宮も、そして彼女の未来までも、この医師は何とか守ろうとしたんじゃないでしょうか?

彼女とその家族、更には両親まで、出産についてどのぐらいどんなことを事前に話していたのでしょうか。
自分が乳がんの手術を受けるにあたり、身辺整理をし、財産の隠し場所を示した書を机に入れてから病院に行ったことを思い出しました。医療事故というより、薬でショック死もあり得るかなと思って。


ブログでよっしぃ先生は、
医学とは、機械でないひとりひとり全く同じでない人間を扱う、不確かな学問。
同じ病気の人に、同じ医療行為を行っても、まったく同じ経過をたどることはない。多くは、似た経過をたどることが多いが、中には全く異なる経過をたどることがあると述べています。

また、
医者は、あらゆる事を考えてその時考え得るベストな選択をする。
その時ベストであったとしても、2時間後の状況でベストかどうかはわからない。なぜなら、状況は、時々刻々とかわっているからであり、新たな情報も加わってくるからとも述べています。


出産をひかえた妊婦さんが言った希望を記憶していた現場の担当医師。
情報が全部そろった状況下の周囲の人や裁判関係者。

裁判では、当事者個々の心情は平たくされるものなんでしょうか。公平に平たくなっていますか?
心情を報道するのは大変むずかしい。報道の公平性ってどういうことでしょうか?


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餅は餅屋に

2008年02月18日 | 福島県立大野病院事件
2年前の2月18日は、福島県立大野病院産科医が逮捕された日です。
この事件を私が知ったのは、あるTV報道からでした。その後もこの事件の情報はすべてTVから得ていました。

しかし、TV報道とは視聴率を意識した一方的な情報の得方です。
事件に纏わる情報を全て報道するわけじゃない。予めディレクターらのスクリプトがあり、それにそった情報を視覚的、効果的、劇的に放映する。。。

それに気がついたのは、自分が乳がんになって医師たちのブログを読むようになってからです。医師の目からは、この事件は全く別の意味があるようです。

2年前のマスコミの報道では、「経験のない医師」が「無理矢理胎盤をはがした」が主でした。
未熟な手術で失敗したのかと思ったのです。それがある産婦人科医師ブログを読むと、「強い癒着胎盤の頻度は0.01%(1万分娩に1回)」とありました。これじゃ経験がない医師と表現するのはおかしいでしょう。

更に私が驚いたのは、検察側になった鑑定医のプロフィールです。産科医の経験が少なすぎる。裁判の焦点は、専門的な知識・経験の不足を問う専門性の高い領域のはずなのに。

で、別の産婦人科医のブログによると、検察側証人は癒着胎盤の手術経験はかなり昔に助手として入った1件のみ。当然、癒着胎盤のエコー像は実際に見たことはなさそうで、それなのに「エコー像より癒着胎盤を疑うべきであった」と証言している、とありました。

自分に甘く他人に厳しい態度を取るにしても、自分の経験もなく頭で考えるだけでは、専門家ではありません。“精通”してこそ、専門家でしょう。そしてこういった裁判は、専門家が鑑定しなくちゃ意味がない。

情報の取捨選択が複雑になった時代です。また、一般の人でも自由に情報が発信できる時代でもあります。私もその一人ですけどね。

TVやネットの画像など、視覚に訴える媒体はインパクトが強い。だからこそ、情報を入手する媒体はバランスよく自身に備えることが、自分の身を守ることになると私は思っています。

リンク先の医師のブログを読むと、最初にTVで放映された映像や解説が極めて一方的な見方であったか、改めて考えさせられます。
私はマスコミ関係者と仕事をすることもあります。彼らは、報道のポイントは、「事実を客観的に報道する」と言います。で、私から見るとそれは時々、「自分たちに責任がかからないように報道する」に映ることがあります(^^;)。

医学史上最悪の刑事事件

最凶さんへのリンクはこちら
この処置がミスだとサツが言ったから2月18日は崩壊記念日

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