乳がん患者のサロン2 - ノエル編

乳がん患者の皆様、このサロンでのびのびと雑談しましょう。くつろぎの場です。

がん哲学外来の話その4

2009年04月23日 | 患者の気持ち
【第8話】  死んだ後に何を残せるか

ある末期がんの男性が、家族に頼んだことは、
「自分が入るお墓を建てた時、墓石の四隅に溝を掘り、水を入れてほしい。鳥が来て、水を飲めるように」。

人間、最後は布団1枚分の墓場しか残らない。自分が残せるのは、「どう最期を生きるか」。

   ◇

「私のお墓に私はいません。私は千の風になりますから。だから泣かないで下さい」と言って死ぬのも、残された人たちへの思いやりがあっていいかなあ。

葬式へ出席すると、たまに遺族の方が、「亡くなった○○のことを忘れないで下さい」とおっしゃることがあります。私はこの言葉に違和感があります。忘れるはずがない関係だから、この葬式に出席しているのにと、ちょっと悲しい。

自分が葬式を出す立場となっても、私がこの言葉を発することはないでしょう。故人を忘れるか忘れないかは、参列者自身が決めることです。遺族がお願いすることとは思いません。
故人がどのように最期を生きたか、、、参列者ひとり一人が回想し、深く関わった人は脳に格納するし、そうではない人は忘れる。それでいいと私は思うんですけど。。。


【第9話】 人は何のために生きるか
 
がんになった時、「何のために今日までがんばって生きてきたのか」という心境になる人は多い。これは最も深い問いでもある。答えはひとつでシンプルである。

人は幸せになるために生きている。

がん患者となったからこそ与えられるものもある。それは社会生活というコントロールからはずれたことで得られる自由さと豊かさ。
人間はある極限状態におかれると、心がどんどん明晰にシンプルになっていく。不要なものを捨て、本当に必要なものだけで生きていこうとする。むしろ、社会で働く人のほうが無駄は多い。

見舞いに来た人を、逆に力づけて元気にする患者がいる。見舞い客の表情や態度から疲れや悩みを敏感に感じ、さりげない言葉で彼らを癒やそうとする。もしかしたらその患者は、そのときのために生きているのかもしれない。

家族や親しい人間にとって、患者の笑顔ほど力を持つものはない。笑顔は笑顔を生む。

   ◇

幸せを示す物差として、財産とか地位とか、、、これらは目に見えて分かりやすいし、これで幸せをうんと感じる人は、それはそれでいいんじゃないでしょうか。
どーがんばってもそんなに財産を造れないし、地位もあがんないだろう私は、そっちの方で満足して幸せを感じることはなさそうなので、違う道で幸せをさがそうと思います(^^;)。

  
この本を読み哲学することで、当時介護で激疲れしていた私は、多少リラックスすることができました。自分なりにこの本を要約すると、


ものは考えようだ
何かをする時、当人が決断する。自分なりの信念を持って行えば、それでいいんだよ~ん!


てへっ…(*^_^*;)A まあ、私にとって「哲学する」ってのはこの程度なんですぅ。

そうそう、最後に私のお気に入りのブログ、「泣いて、笑って、前向いて。」からも紹介しましょう。
ここのリンクにも紹介してある、緩和ケアの白井先生の言葉です。

「死は美しい」。

肉親の看取りって辛すぎて、できれば私はしたくないです。そんな時、この一行で自分を奮い立たせていました。そしてもう一つ、

「いま自分がいる世界が幻覚かも? 目を覚ますと全てが消える??」

この言葉には爆笑です。介護でキーキー言いっ放しの私の現実が、実は幻だった…!?
夢の中の自分が現実で、今、キーボードをたたいている自分は、ホントは夢の中にいる?! いーですね~、、、こーゆー発想、大好きです。


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なかのひと

This blog “The salon of breast cancer women authored by Noe:l” is able to read in Japanese:-)